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小三治に会う
と言っても、向こうからしたら会った事にはならないだろう。こっちは大勢の観客の一人に過ぎないのだから。でも、こっちにとっては会ったという事になるんですね。
 ホール寄席というらしんですね。我が田舎の町にもこれがやってきたんです。夫婦そろって小三治のファンなので、妻がしっかり電話予約というやつで券を去年の暮れから取っていたんですよ。
 独演会ではないので、まあ他の噺家さんもいるわけです。みなさん期待以上の力量の持ち主でそれはそれで充分楽しませてもらったわけですが、こっちは小三治以外眼中にはないわけです。小三治見たさ、会いたさで、この券を買ったわけですからね。毎晩のように小三治のcdを寝枕に聞き、小三治のエッセーを読んでいるわけですから。もう相手も高齢。こっちも50を過ぎている。この地方都市に住んでいる自分に取って最初で最後の会うチャンスなのですよ。同じ思いをしている観客で座は満席になっていたのでしょうねえ。最後に小三治が現れた時の観客の拍手といったら尋常ではなかったです。
「本物だ!動いている!」
て、やつですね。まだ何にも芸をしてないのに、観客は興奮の渦です。これこそ芸人ってやつなんでしょうねえ。ぼくなんかもうこれだけで感激、満足してしまいました。
 落語なんかやらなくたっていいんです。何か話してくれさえすればありがたい、という感じでしたね。えらい枕が長くなったというか、取り留めなくなったというか、なんかこのまま枕噺で終わるのかな、それでもいいじゃないかという気になりました。
 成人式が政府、役人の都合で1月15日じゃなくて、ころころ変わるのがおかしい、変わらない祝日もあるじゃないか、天皇誕生日は連休を増やすために変えるのか、変えないでしょう、だったら成人式も1月15日でいいじゃないかというような内容だった気がしますが、まあそんな事はどうでもいい。小三治の顔を見、声を聞くだけで満足でしたね。人が生きる楽しみは、自分が楽しい事もそうだが、他人を喜ばせる、他人の役に立ってるそう思える事じゃないでしょうかという語りには、うんうんとうなづく人がいっぱいでしたよ。落語の方は、幽霊長屋ていうのでしょうかね。cdでも聞いた事のある噺でしたが、cdとはやはり違いますよね。なんせ表情、しぐさがあるんですから。充分楽しませてもらいました。

 お金てありがたいものだと思いました。チケットの4千円は高いと思ってました。4千円あればおいしい物が食べられますからね。でも、4千円払えるから小三治に会えた、落語が聞ける、そう思うと働いてお金が稼げるありがたさというものを感じましたよ。
 ぼくも教師の端くれ。人の幸せのために少しでも貢献でき、かつお金がもらえる喜びを大切に感じて生きて行かなくては、とね。