2001.8.7 今まで堅いことばかり書いてきた気がするが、今回は本音で語りたい。
いつも本音で語っているのだが、今回は特に本音である。
子どもにとっても教師にとっても楽しみなのは夏休みである。これは本音である。
だから今回は本音の話である。
夏休みは何のためにあるのだろう。暑いからだ。連日35度の教室では学習にならない。その通りである。ではクーラーが導入されたら夏休みは廃業になるのだろうか。
それでは具合が悪い。ただ暑いからだけでなくて、学校という集団生活から解放されて
自由な時間の使える個人の生活が保障される期間としてあった方がいいだろうと思う。
だから今は子どもにもできるだけ宿題は出さないようにしている。夏中泳ぎにはまってもいいし、昆虫採集に命をかけたって許されるのである。少なくともぼくという教師はそう思っている。では教師にとって夏休みという期間はどうなのだろうか。
もちろん給料はもらっているのだから、休みという事にはならない。でもだからといって
子どももいない学校に一夏中張り付く必要があるのだろうか。
ここの所が世間の思いと教師の思いの一致しない所だろう。教師には研修権がある。
だから子どもがいなければ学校でなくて、美術館でも体育館でも自宅でも研修が可能なのである。でもこれがなかなか理解されないというか、反発をくらう所らしい。
まあ10人いれば10人考えが違うのだから、同意を求める事に固執するのはばかばかしいことかもね。取りあえずぼくの研修計画を公開します。
1 まずはインターネットとホームページの研修だ。一通りできるようにはなったが、
ではこれをどう教育に反映させるのかという問題だ。
ぼくよりパソコンに詳しい教師はたくさんいるが、教育に生かしていると納得できる実践に出会った事は残念ながらない。パソコンが小学校教育に必要なのかどうかについての疑問も自分にはあるし、教育に生かすとなると難しい課題だ。無理に教育に生かす必要も無いとは思うのだが、現実にあるのだから使わないのはもったいないというのがぼくの考えだ。
2 民舞の研修。これは運動会の出し物の練習なのだが、ビデオを見ながら汗をかきかき
覚えるのである。この年になると(50近いです)学習能力が極端に落ちるのです。なかなか覚えられない。とても普段の学校生活の中では取得不可能です。夏休みがあるからこそできるのですね。ここの所理解してください。市民の皆様。
3 ストレッチ、筋力運動、読書、映画鑑賞、登山、水泳これらすべて研修です。大山にも
先日一人で登りました。体力のなさと、それでもやっと登れたという自信を得ました。
こういうのを研修と認めてくれないと、つまらない教師の集団になってしまいますよ。もっとも大山に登ったのは年休で申請したので、他人にとやかく言われる事ではないですが、研修にしたっていいとぼくは思っているのです。反論のある方はメールでどうぞ。 |