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 校内研究で、同僚に学力低下の危機意識と学力定着の実践としての往復算の提起をした。
基礎学力とは、読書を何百冊と繰り返す事で簡潔な文章や美しい文章表現力を身につけられる事です。読書量の無い子に、簡潔な文章作成力や美しい文章表現力を要求する事は無い物ねだりです。
数学においても、四則演算の不確かな子に数理的合理性を要求する事は無い物ねだりなのです。
 若い頃学んだ弁証法的唯物論は、量から質への転化を教えてくれました。水が水蒸気に質的に転化するのは、熱の量的蓄積があってからの事です。量的蓄積を保証しないで、質的転化を求めるのは、無い物ねだり
なのです。読書、音読、四則演算の計算練習の反復練習を家庭学習にまかせるのではなく、学校教育の中でどの子にもしっかりと保証する事が、基礎学力の定着につながるわけです。その基礎の上に、応用としての表現力や合理的思考力が芽生えてくるわけなのです。
 この自分の提案に同意する同僚もいたが、総合の目的とは、国際社会で通用する日本人に必要な表現力、自主的思考力を養う事なのだから、学力をそのような狭い意味でとらえるべきでないという反対意見もあった。学力低下の危機を感じないという反論もあった。今の子に必要な学力とは、自ら主体的に課題を見つけ、自ら学ぶ力であり、自己を表現する力、独創性にあるという意見だった。でもそのような力がどういう実践から生まれるのかの実践報告は無かった。
 自分に言わせればそのような理屈は文部省の受け売りであり、現場の実践から出てくる実証的提案とは思えない。机上の空論だ。目の前のこどもたちの低学力、根気の無さ、集中力の不足、幼児的自己中心性をしっかり見ていけば、読み書き計算の反復練習こそ、公教育に求められるものだ。どの子にもしっかりとした基礎学力を身につけさせる事こそ我々公教育に携わる物の責務ではないか。国際競争力など知ったことではない。大企業が社員教育で追求すればいい課題なのだ。
 結果として、総合の時間の中で基礎学力定着の時間を作ろうという自分の提案は全体の了承するものとはならなかった。残念ではあるが、これが学校現場の実態なのである。

追伸
 学級通信で往復算の実践の総括をした。その際朝日新聞に載っていたいわゆる「陰山メソッド」という実践の紹介文も自分の実践と似通っていると思って転載したのだ。ただホームページとなると著作権の関係からまずいと思い直してこの文面から削除した。従って、学級通信の転載という書面の形にはならなくなった。ご了解下さい。