生きちょる 
2005年12月2日
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 27年前、ぼくは特別指導学級の担任でした。人生ちょっと回り道をして教員になったものですから、25才の新任教師でした。当時は各小学校に障害児学級がほとんど無く、遠い所から親に連れられて通ってくる子が多かったです。
 知的障害と自閉症、情緒障害、機能障害と様々な障害を重複して抱えている子が雑多に集まっている感じでした。言葉がない、排泄の自立ができてない、意思の疎通ができないため、パニックに陥り、他者を攻撃したり、自分を傷つけたりする子が雑多に混じっている感じでした。その中に大学を出て間もない、何の知識も経験も無い自分もいたわけです。
 パニックに陥っている子を取りあえず押さえないといけないわけです。自分の両腕はその子のつねり傷で、内出血でどす黒くなっていました。毎日毎日、昇降口の足洗い場でうんこのついたパンツを洗っていました。
 だっことおんぶで腰痛にもなりました。
 ただ純粋に子どもと向き合い、手探りで、この子達に何をしてあげられるのか、自問し悩み、自信を失う毎日だったような気がします。
 ただそんな中でもこどもたちが自分に見せてくれる笑顔が、何よりものプレゼントだった気がします。今思っても、あの一、二年自分は何をできたたのだろうか、何か役に立ったのだろうか、自信がありません。
 でも、毎日歌ったり、踊ったり、散歩に出たりと体をぶつけ合って子どもたちと生活している喜び、実感はありました。若い同僚と障害児教育にいっしょに悩み、ぶつかっていった連帯感、教師としての喜びも初めて知る事ができました。

 普通学級の担任になり、25年経ちました。小学生に何が必要で、何は適当にやっておけばいいのか、経験からわかるようになりました。教師としての信念もあります。ただの頑固者かもしれませんが、自分の教育方針に自信もあります。
 今のクラスの子は、みんなすばらしい可能性を持っています。傍目から見ると、問題児だとか低学力児だとか言われる子もいるかもしれませんが、少なくとも自分はそういう目で子どもを見ていません。この八ヶ月の実践で、どの子も確かに成長しているのです。年間を通して実践してきた計算ゲームでも、はっきりと力が伸びてきた事を証明もできます。 やればできる、やれば伸びる子どもたちの集団なのです。

 27年前のあの日、あの場面に戻る事ができれば、自分はもっと役に立つ教師でいられたかもしれない。老いぼれた体で何ができるものかという自分の声も聞こえますが、ふとそんな事を思い、涙がこぼれました。