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学級通信
2004.1.16
 
 
 
 昨日冷え込んだ体育館で、演劇集団扉座による演劇教室に参加する。と言ってもこちらは単なる見学者で、体育館の隅で震えていただけなのだが。例によって体調悪く、団員の元気な指導の下、笑い転げたり、走り回っている子供たちをうらやましく見ていた。
 
 いくつかの身体ほぐしの演技指導の後、いよいよ開演だ。
 プロの音響装置の下、「さようなら、先生」というお芝居である。
設定は、田舎の小さな小学校。海に連れて行ったという指導の責任を問われて、教師をやめされられ、駅から単身都会へと帰ろうとしている若い教師である。険しい山道をその教師を追いかけて走り寄ってくる小学生の群れ。
 2クラス、70名の子たちが6グループに分散して、体育館のあちこちで団員の指導の下、声を張り上げている。「先生は悪くない!」「先生は悪くないよ!」との大合唱である。いつも先生が悪い、先生のせいだと言われている現役教師の自分にとっては、何とも複雑な思いで事のなりゆきを見ていた。
 
 団員の模範演技がある。台詞は完璧。仕草も完璧。プロの音響効果と相まって、うまいなあと舌を巻く。
 そして最後に子供たちの演技だ。先生役はプロの団員。子ども役が子供たちだ。
つたないしゃべり、ぎごちない動きがかえって感動を呼ぶ。ひげ面の自分がどんなに完璧に若く美しい女性を演じたとしても、それはうまい、じょうずだを乗り越える事はできないだろう。ところが、子供たちの美しい顔、かわいらしい声、それらは本物だ。本物の美しい子たちが、子ども役を演じているのである。プロの音響効果と相まって、まちがいなくこちらの心の琴線を鳴らし始めた。きっちりと前を見すえる瞳、せいいっぱい空中に伸ばした小さな手。プロの団員の演技を超える本物の感動だ。のどの奥がつまって、目頭が熱くなるのを感じる。
 
 思わず涙がこぼれそうになるが、完全に感情移入ができなかったのは、どのグループにも二、三人、感情移入ができなかった子がいたせいだ。照れ笑いと言うか、にやにやしているのですね。つっつき合っている子もいた。そのせいで、涙がこぼれそうになる手前で感情が冷えてしまうのです。もったいないなあと思った。笑ってはいけない!にやにやしたらみんなの演技が台無しです!という叱責があったら、全員の緊張感が一つになり、まちがいなく感動のある舞台になったと思う。団員はひたすらほめる指導に徹していたので、それはできなかったにちがいない。一期一会の団員にそこまで期待する方がまちがっているだろう。でも惜しかったなと思う。すべての子に、礼に対しては礼に答えるという誠実さ、場を共感するというすなおさがあればできた事だと思う。フランスの詩人、ルイ−アラゴンの「教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実さを胸に刻む事」という言葉を思い出す。あれほど、真剣に立ち向かった団員の姿に、どうしてきっちりと向かい合ってくれなかったのかと残念でした。
 やはり叱る教育は、今の子たちには必要だと再確認した日でもありました。子供たちの学習能力の高さ、内面から出てくる美しさに感服した日でもありました。