稲刈りだ。籾から発芽させた頃を思い出すと、よくここまで来たなあと思う。数人のお母さんの応援もあったが、何より子供たちのすなおながんばりがあって、午前中に稲刈りは無事終了できた。よく働く子たちだ。
稲を鎌で刈る事自体は思ったより簡単な作業だった。大変だったのは、刈った稲を束ねて縛る作業だ。麻ひもは荷造りに適していて、きゅっと強く縛れるはずなのだが、子どもの握力、体重の軽さでは、どうしてもゆるゆるになり、竿に干す事ができないのだ。
でも考えてみると、昔の農家の子はこうした作業をきちんとやり通していたはずだ。小さいなりに工夫し、こつを覚え、ちゃんと縛ったはずである。何事も、繰り返し同じ作業に取り組む事によって、こつを覚え、技術が向上するのである。
中学では柔道部で受け身のけいこを繰り返した。高校ではバレー部でパス、レシーブを繰り返した。それらは今でもその時の思い出と同時に身に付いている。社会人になり、少年サッカーを指導したが、そこでもボールリフティングの繰り返し練習が基礎だった。宙に蹴り上げたボールを一度も落とす事無く、100回も200回も連続する事は、技術だけでなく、集中力、気力を養う事に通ずる。
今の大人に欠けているのは、こういう苦行を子どもに押しつける強制力ではないだろうか。稲刈りの終わった田んぼで、虫と戯れ、歓声を上げて走り回る子供たちは、確かにかわいいし、美しい。でもひ弱な物も感じるのだ。
学校の農業体験とは、いつも感じるのだが、小さな耕地にたくさんの子が関わるので、どうしても作業が少ない。苦労なく、収穫を迎えるのである。本来の農業とは、広大な耕地に少人数で立ち向かう気の遠くなるような作業の繰り返しだ。その事が自然への畏敬の気持ち、労働の貴さ、食物への感謝の気持ちを育むのである。
今回の稲刈りにしても、それまでの水の管理、雑草抜き、それらの作業をすべての子に体験させる事は物理的に不可能なのだ。まあ、致し方ない事だが、学校農業の限界なのでしょうね。それでも、その後のレポート作成で子供たちの書き上げた物を見ると、楽しかったという言葉が並んでいたので、良い体験にはなったのでしょう。
防鳥網をかけ替える作業では、50肩なのにずっと両腕を上げて網を持ち上げるというか、からめ取られるというか、きつかったですね。お母さん方、ご協力ありがとうございました。
11月8日土曜の授業参観は、3時間目が公開となります。今回は道徳をやります。
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