生きちょる
2002.4.18
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 「生きる力を育てる」のが近頃のテーマのようです。具体的にはどういう事でしょう。
 20年以上この仕事をやって思うことは、公教育としてできる事を全力でやろうという事です。
 江戸時代、ほとんどの国民は字が読めませんでした。農業国には必要なかったのですね。工業国に生まれ変わるために必要な事は読み書き計算のできる国民を育てる事でした。そのために公教育が生まれました。

 その後、戦争に勝つために軍事教練が行われたり、オリンピックに勝つために水泳や器械体操に力が入れられたり、今は、国際競争力をつけるために創造性のあるエリートを作れとか、英語に取り組めとか、環境問題に取り組めとか、パソコンに習熟させろとか、まあいろいろな無理難題いえいえ、課題が学校に押し寄せて来ているわけですね。何をやるにしても良い事はあります。でも無理も生じますね。演劇、討論、発表、何でも良い面はあります。でもそれに膨大な時間とエネルギーを注ぐと、教室は知的な一部の子どもの活躍する場になり、目立たない多くの子の学力を保証できなくなります。一部のエリートを育てる場に公教育がなってしまうのはまちがいだし、税金の公正な使い道にも反します。

 まず何よりも力を入れる事は全ての子に基礎的学力をつけさせる事だと思います。学力の基礎になるものは生活習慣であり、しつけです。はしが正しく持てない子、雑巾のしぼり方を知らない子、あいさつができない子、返事をしない子、まず生活指導がぼくの仕事になります。次は読み書き、計算です。九九を覚える事自体は算数の概念操作とは関係ありません。でも九九を覚えてないで、算数の概念操作をするのは困難ですし、日常生活にも支障があります。第一それぐらいの集中力、忍耐力がなければ学習に取り組めません。

 九九を覚えたら、それを使う事です。実際に買い物や具体物を操作する事で学ぶのが理想ですが、効率的ではありません。ですから、繰り上がり、繰り下がり、九九を使わないと正解にたどり着けないゲームをさせるのです。これは実際の数の操作ではありませんから、数の遊びにすぎません。ですからゲームです。でもこのゲームをやる力も無い子に、算数の概念操作を期待する方が無理です。ですから、教科書の単元通りにやっているだけでは、子どもに無理な事を期待している事になるのです。今日の授業で見てもらう計算ゲームはそういうねらいでやっています。親御さんもゲームのルールを理解し、ご家庭でいっしょにやっていただけると効果的ですね。

 後は音読です。まず読める事が大事です。次に書ける事です。
 遊びも大切です。鬼ごっこがいいです。ルールを破る乱暴者やずるい子が出てきます。そこでけんかをすればいいのです。けんかも大事です。自己主張できない子は自分の良心を守れません。なかなおりの仕方を学ぶ事もできます。ぼくがガキ大将になって仕組んでいきます。
 総合の時間も利用して行うつもりです。責任はぼくが取ります。

 最後に、「生きちょる」とはぼくの田舎の方言で、子どもたちに生きる力をつけさせたいという願いです。