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学力向上のための三つの法則

2017年8

その1

思考力、判断力の基礎は記憶力である。記憶してないと思考する材料がない。記憶が多いほど思考する材料が多く最善の判断が出来る。知識、体験などの経験の豊かさは知った事、体験した事を記憶しているかで決まってくる。

 算数で言うと、10の補数、くり上がり、くり下がりの数の組み合わせを記憶する。九九を記憶する。これらの記憶が元となって、四則演算ができるのである。そこの記憶があいまいであっては、文章題の思考、判断ができないのは当然の帰結であって、まず、しっかり記憶させる事である。それには反復練習である計算ゲームを日常的に行う事によって記憶が確かなものとなる。まずこれに日常的に力を注ぐべき。学習指導要領の中にそのような時間の配当は無いのだが、これをやらずして思考力、判断力の向上を望むのは無いものねだりである。記憶が沸点に到達した時、思考力、判断力は花開くものと理解すべき。

 ちなみに計算ゲームの具体的な中身だが、1年生ではトライアングルナンバー、10回足し算、10回引き算。九九を覚えた2年生には往復算の割り算の無い往算を。割り算を覚えた3年生には往復算ができる。往復算は四則演算の計算ゲームの完成形である。100マス計算は自分の体験上効率的ではない。丸付けも大変だし、子供同士でやらせる方法もあるがいい加減になりやすい。お勧めではないね。10回足し引き算、往復算がいいと思うよ。

その2

 作文力、読解力も同様であって、たくさんの読書をし、記憶する事である。文章、語いをたくさん記憶している子の方が作文力、読解力が高い。

 そのためには、授業で読書のし方、読書の楽しみを教える。全文を通読して学習課題を設定する三読法などの授業方法は、読書をお勉強にしてしまう。さらに感想文を書かせるなどを強要すると、授業の中で読書嫌いを作っているようなものである。

 一読法で題名読みの楽しさ、場面の立ち止まりで感動したり、表現したりする楽しさを味わい、物語の展開を予想する楽しさを体験させる。そのような授業で読書の楽しさを学ばせ、読書の時間を授業の中で確保してあげる。

 このような地道な取り組みの継続によってのみ、読書好きの子を授業の中で作る事ができる。

その3

 しつけについて。

 呼ばれたら返事をする、人の話は黙って聞く、立つ時は椅子を入れる、先生に提出する時は「お願いします。」受け取る時は「ありがとうございます。」と言う。これらのしつけが学力向上には必要だ。加えて、情報量の制約もいる。机の上にスポットライトが当たっているかのように、本を読む時は本だけ、作文をする時は作文用紙と筆記用具だけ、教師の話を聞く時は机の上には何も置かせない。これが情報量の制約である。

 机の上に本もノートも筆記用具も、あまつさえ水筒も雑然と置かれた状態で教師の話に集中しろというのは困難。よっぽど興味を引く話か、聞かないとひっぱたかれるかでないと、机の上の物に手が出て手いたずらするのが関の山である。その上隣の子が話しかけて来てその話がおもしろいとなおの事教師の話に集中などできない。

 あいさつもしない、返事もしない、教師の話も聞かない、出した椅子を入れもしないというのはその子の生活習慣であって、特に悪気があるわけでも、教師に反抗しているわけでもない事は多くある。その子の生活の習慣を学校の習慣、学習の習慣に是正するのは大変な労力を要するがこれをやらないと常に叱責と雑然とした情報過多の中で学習が進められる事になり、集中して学習に取り組むのが困難である。

 学習のしつけというのは学力向上の前提条件であり、教師がひょっとすると一番多くのエネルギーを取られる事かもしれない。が、しつけなのでしつけてしまえば後は極めて楽なのだ。初めが肝心。ぜひがんばって欲しい。

 ぼくのクラスの子は掃除もよくやるが、その前提として掃除中一切しゃべらない事を強制している。掃除の反省会(教師の司会の下、教師のチェックとしてやっている)の第一項目は、黙って掃除できた子という点検から始まっているぐらいだ。これもしつけであって定着するまでは大変だ。何度も叱責、点検しないといけないが、しつけてしまえば後は自然と掃除に集中しているのだ。見ている事、点検する事は同じだが、叱責の回数はぐっと減る。掃除の意義を教えたり、誉めたりといろいろと方法はあるかと思うが、しつけるという観点で指導する事も大切だと思うよ。