生きちょる                                            2000.11.2

生きちょるとは私の故郷下関の方言で生きているという意味です。これは保護者の希望で保護者向けに書いた文章です。
ある日の授業
 「一つの花」の授業をした。
文学とは結局その人の生活体験によって理解が違ってくると自分は思う。だから小学生の読後感と大人の読後感が
違うのは当然の事だと思うのである。自分はこの教材を教室でやるといつも胸がつぶれそうな気がする。本当につらい話なのだ。 
 その日はもう話も最終にさしかかった場面だった。物語の立ち止まりの場面は人によってちがうのだが、授業でやる場合はそうもいかないので見開き2頁で読み取りをしている。その日の場面は、もうおにぎりを食べ尽くして、それでも空腹のため泣き叫ぶゆみ子をどうしようもなくなった場面だ。力いっぱい高い高いしてももうごまかす事ができない。別れに際し父親にゆみ子の泣き顔を見せたくない母親は懸命にあやすが泣きやまないゆみ子。その時父親はプラットホームの端のゴミ捨て場のような所に咲いているコスモスを見つけたのである。
「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花大事にするんだよう。」
 はたしてゆみ子は足をキャキャとばたつかせ笑顔を見せてくれたのである。そうして父親は何も言わずに戦地に向かうのである。
 その時、自分もあっこういう場面があったなと思い出したのだ。それは息子がまだ二つか三つの頃、外科手術のため大学病院に入院し、ベッドに点滴の管をつけられ縛られている場面だった。ぐずりだし泣き出した息子をあやすうち彼女も泣き出してしまった。自分もその時何かをさがして走り出したのだ。病院を抜けだし、近くの店を捜し回った。何か息子の気をまぎらすおもちゃなり、ぬいぐるみなり何かないかと懸命に走り回った。何を息子に渡したかは忘れたが、何かを買い息子に手渡した。自分には買い与える物があった。だが、この父親にはゴミ捨て場のような所に忘れられたように咲いていたコスモスしかなかったのだ。
自分はまた病院に会いに来る事ができる。この父親は最後の別れとなるかもしれないのだ。その親の気持ちを思うと、声がつまってしまった。
 
 自分は戦後8年して生まれた。物心ついた頃にはまだ戦後の貧しさがあった。遺族の家という表札を掲げた家があったし、町へ行けば白い包帯姿の傷い軍人がいた。とんとんぶきの家も珍しくなかった。
「一つの花」はその時代背景を知らなくてはとうてい理解できない物語だと思う。だから配給、徴兵、15年にも渡って続いた戦争の事、そして300万以上もの日本人があの戦争で死に、多くのゆみ子が本当にいたことをこどもたちに解説した。それは本当に必要な解説だったと思う。子供たちは少なくとも黙って自分の話を聞き、授業のレポートを書いてくれた。

 
 ゆみ子はいつもひとつだけちょうだいといってもらっています。私はたまにほとんどご飯をのこすこともある。今のこのせいかつはゆみ子からみたら天国みたいだろうと思いました。私はいつものことがあたりまえと思っていたけれど、しあわせなんだなと思いました。A.A
 
 ぼくが戦争の真っ最中に産まれて二十才になっていたら、戦争行きたくないのにいっていたと思う。だってけいむ所にはいるのはやだから。ぼくはこの時代にうまれてよかったと思った。R.T
 
 体の弱いお父さんが戦争にいくなんてとても考えられないなあ。顔も人をころすなんてとてもむりそうな人なのに。日本のために、戦争に勝つために。それだけなのに、みんな戦争に行って死んでいっちゃうなんて。小さい子どもの子も、よくがまんできるなあ。自分がこのころに生まれてお父さんが戦争に行くなんてとても考えられません。泣いちゃうだろうし、とてもばんざいなんかできないな。Y.K
 
 戦争がなければよかったのにと思います。わたしは、もう戦争はやってほしくないです。戦争に、はんたいします。戦争が早く終わってほしいと思います。それまで、この時代に生きていた人みんなたえてがんばってほしいと思いました。M.H  
 
 お父さんはおにぎりもなくてあげるものがない。これはぼくには、そのつらさがつたわってきます。でも、お父さんの方がぼくの思っている以上につらいと思います。S.K
 
 母はゆみ子の泣き顔を見せたくなかったんだ。だからおにぎりをぜんぶあげた。なみだもながさずにいたけど、心は泣いていたと思う。泣きたくても泣けない、泣くとつかまっちゃう。だから体の中でいっぱいいっぱい泣いたんだと思う。だってもうあえなくなるかもしれないんだものね。泣きたくなるよね。父も戦争には行きたくなかったと思う。もう母にもゆみ子にもあえなくなるかもしれないのに。本当は母とゆみ子と3人でくらしたいんだろうね。そのほうがいいんだよね。戦争に行けなんて軍のかってだもんね。戦争てざんこくだ。K.S
 
 ゆみ子は何も知らずにおにぎりをほしがりました。お母さんはお父さんにゆみ子の泣き顔を見せたくなくてぜんぶあげてしまいました。お父さん、お母さんほかの人もみんな本当は戦争なんてきらいだったと思う。でもその気持ちをがまんしてばんざいをする。戦争にいきたくないなんて言ったらたいほされるしひこくみんといわれみんなからいじめやけがをおわされる。戦争はかなしく、いけないおこないだ。Y.A