JR事故について

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 JR西が脱線事故を起こして、107名もの人名が失われた。
世間はこぞってJRバッシングをしているが、自分には我々の責任はどうなのかという気がする。
 20年前、JRは国鉄だった。当時の自民党の国鉄分割民営化に自分は反対した。デモもしたし、署名活動もした。でも国民全体はどうだったか。多数派は、その動きを支持したのだ。
 民営化すれば、赤字は解消する。民営化すれば、ストライキはなくなり、だらけた勤務態度による事故もなくなる。すべてうまく事が運ぶという自民党の宣伝に乗って、国民は民営化を選んだのだ。

 当時、赤字は貨物であって、乗客列車は黒字であった。貨物の赤字は大企業優先による国策だし、不合理な停車駅は権力政党による圧力から来た物だった。
 ストライキは国民の権利であって、一方的に責められるものではない。
 莫大な資産は、国民の税金による財産であった。それらがすべて自民党、マスコミ、それらの権力により民間活力万能の美名の下、国民から永久に奪われたのである。

 儲け本意の民営化の行き着いた先が、安全軽視の人身事故になったのだと思う。だとしたら、あの時の国民の判断がまちがっていたという反省はどうして出てこないのだろう。

 今また、郵政の民営化が自民党によって進もうとしている。こちらは人命はかかってはいないが、二度と同じ間違いは繰り返したくない物だ。