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 下の通信をクラスのホームページに転載しようとしたら、校長が許可しないのだ。
何がいけないのだろう。担任も一人の教育者として、大人としての教育観がある。それを披露する事がなぜいけないのか。いろいろと添削、削除、書き直しした後があったが、結局全文削除、転載は認められないという。人の文章を勝手にいじくりまわした上に発行してはいけないというのだ。後の通信は、多少書き直しに応じるなら許可するという事だった。
 だが、これは第一号なのだよ。第一号が無くて6号まで転載したって、不自然じゃないか。
しかももう父母には配布済みの通信なのだ。何が恐いのだろうね。
 修正してまで転載する気は無かったので、学級通信の転載は断念した。クラスのホームページは、写真と当たり障りのない文章だけとなる。これじゃ単なる写真のギャラリーだね。

 まあ当たり障りのない文章と写真だけならいいという事でしょう。生きた教師の文章など、おまえ個人の考えなどいらないという事でしょう。昨年の校長は同趣旨の文章を認めていただけに、学校での閉塞感が年々強まってくる感じがする。駐車場問題と言い、研修権が実質無くなった事といい、死んじょるよ、学校は。
 
 
 2003.5.8
 学級通信
 



 学校が生まれたのは明治政府になり、封建的農業国から資本主義の国になるために読み書き計算のできる労働者が必要になって来たからです。文字そのものは紀元前から発明(中国より伝来)されていましたが、貴族などの特権階級が文学を楽しむもので、奴隷や農民などは文盲のまま取り残されてきました。江戸時代の頃になると商業の発達により、商人の世界では読み書き計算の必要性が出てきて寺子屋文化が生まれてきました。町人の中でも文学の楽しみが生まれてきたのです。読み書き計算ができる事は、人らしい生き方をする上でも必要な事なのですね。

 明治政府により強制的に学校が生まれた事は結果的に日本人に幸福をもたらしたでしょう。でも戦争政策や、天皇の神格化教育の手段としても使われ、15年にも渡る先の大戦で300万人以上の戦争犠牲者が出ました。戦後の民主主義の原点は教育の民主化にあったのです。
 ですが、時の政策の影響を受けるのは避けられず、今は国際競争力をつけるために英語やプレゼンテーション、総合、パソコンなどいろんな要請が学校に押し寄せていますね。でもぼくは、時流に流されずどの子にも読み書き計算などの基礎的学力を身につけさせる事に全力を注ぐ教師でいたいと思っています。

 集団教育の利点は、集団生活の中で社会性を育てられる事です。あいさつや掃除、給食当番、歯みがきなどのしつけ的教育にも力を入れています。自立するとは自分の事は自分でできる事です。いつまでも幼児的わがままを認めるわけにはいきません。年齢に応じた社会性を求める事は本人のためにもなりますし、教室の雰囲気を安心、安定したものに変えていきます。

 今80を超えた父が兵隊だった苦しみを語っていたのを記憶しています。歴史の流れの中で、教師として今子供たちの前に立っているのです。イラクでは多くの子供たちが傷つけられ殺されました。子供たちの未来、それは貧しくても平和で民主的なものでなくてはいけません。大人としての責任を果たすつもりです。