カエルの子はカエル

〜娘と私のフルートライフ〜

 

※ムラマツの100号記念エッセイに応募してボツになった原稿です。

 

 私と主人は、中学・高校と同じ学校の吹奏楽部。そして、地元の市民バンドでも、私はフルート、主人はホルンを続けてきた。 子どもは3人。長男、次男、3人目は女の子。1人ぐらい吹奏楽をやらないかな、と思っていたら、娘が小5になるとき、吹奏楽部に入ると言い出した。

 娘は、フルートがやりたかったらしい。しかし、フルートは希望者が多く、じゃんけんで負けた娘はトロンボーンへ・・・それでも、どうしてもフルートがやりたいなら、放っておいてもやるだろうと傍観。一応、フルートのレッスンへ行く気があるかどうかきいてみたが、返事は否。

 娘は案外しぶとかった。6年生になるとき再度パートの希望調整があり、今度はじゃんけんに勝ってフルートをやることになった。ここぞとばかりに、また声をかけた。

「ママと一緒にフルートのレッスンへ行く?」

「行かない。私、そういうのはやらないの。フルートはやりたいんだけど、ママみたいには練習しないの。」

 私、そんなにつらそうに練習してるかしら?少々悩んだが、やる気もないのにお金をかけてやる必要もない。またまた傍観を決め込む。

 

 それでも、卒業が近づくと、

「私、中学校でも吹奏楽部に入ろうと思うの。で、そのうちママたちの入ってる吹奏楽団にも入ろうと思ってるんだけど。」 などと言い出した。

 そんな下手くそなまま入団されたら、私が恥ずかしい。それに、娘にじゃんけんで負けてフルートがやれなかった子が、どうしてもフルートがやりたくてレッスンに通い、中学ではフルートを希望しようと思っているという情報が入ってきた。やる気の点で、すでに負けている。下手な上に押しの弱い娘は、フルート・パートに入れないかもしれない。

 そこで、あれこれ知恵を授けた。

「フルートがやれるかどうかわからないけど、とりあえずレッスンへ行こう。で、顧問の先生に、『レッスンに行ってます。楽器も用意できます。どうしてもフルートがやりたいです。』って主張するんだよ!」

 のんびりやの娘も、これには同意。幸い、私のレッスンの前の時間帯が空いている様子だったので、先生にお願いして即決定。親子でレッスンとなった。

 娘に与えた楽器は、私が中学のとき親に買ってもらったM−60。アルテも表紙が変色していて、私の中学時代のニックネームが書いてあるお古。さすがに不憫で、クロスだけは新調した。

 

 ところが、このライバル出現の噂はガセネタだったらしい。娘は、あっけないほどすんなりと中学でもフルートを吹くことになった。

 私としてはうれしいような、うれしくないような・・・という微妙な心境である。地元で1校の中学なので、私の所属する市民バンドからボランティアで指導に行っている。つまり、親子でパート練習という不毛な場面が展開するのである。これは、すごく嫌。娘は、どう思っているのやら・・・

 相変わらず練習嫌いの娘は、レッスンの直前にあわててさらっているようである。当然、なかなかうまくならない。先日は、3連符のリズムが笑えるほど変だった。そう言うと、「頭じゃ分かっているんだけど、どうしてもできないんだもん!」とふくれる。同じころ、私もフォーレの『ファンタジー』の2拍3連がどうしても変だった。私の子じゃ、しかたないか。

 

 それでも、レッスンを始めて1年が過ぎるころ、そろそろボロボロのM−60ではかわいそうな気がしてきた。タンポ交換も調整もせず、使っていたのだ。

 そこで、またまた私のお古で申しわけないのだが、ADをタンポ全交換、思い切って磨きもかけてもらうことにした。仕上がってきたADは、どう見ても新品。手許に来た日のことを思い出して私の方がうれしくなり、娘そっちのけで試奏した。

 お古とはいえ、総銀製。豚に真珠、猫に小判にならなければいいんだけれど。

 

 今日もレッスン。娘は先ほど練習室で特訓をしていたようだ。この間は6/8拍子が変だった。私もシチリアーノとか苦手だし。やっぱり血は争えないのかも。

 

 カエルの子はカエル。カエル以上のものにはなれないのかもしれない。それでも、フルートを吹くことが、少しでも娘の生活を豊かにしてくれたらと願う。私が、そうであったように。

 

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