宵桜

「奇麗だね」

そう言うと、あかりは目を細めて嬉しそうに笑った。

春先とはいえまだ冷たい夜風が、それでも微かに春の気配を連れて優しく頬をなでるように過ぎていく。
俺は今年もあかりと二人で公園の桜を見に来ていた。
桜はまだやっと3分といったところで少しばかり物足りない気もするが、それでも春らしい風情を漂わせている。
第一満開になったら、この公園も花見客であふれて風情どころじゃなくなっちまう。
なんとなくだが、俺は今年もあかりと二人でのんびりと桜を眺めながらゆったりとした時間を過ごしたかった。

「幼なじみ」の一線を越えてしまったらもう昔のままじゃいられない、そう思っていた。
だが、それは俺の勘違いだった。
俺達は去年の春、お互いの気持ちを確かめあった。いや正確に言うなら、今まで気付いてないふりをし続けてたあかりの気持ちに、俺が答えただけなのかもしれない。
過程はどうでもいい。俺達は「幼なじみ」の一線を越えた。
が、結局何が変わった訳でもない。もともと俺とあかりはまわりの連中から一まとめとして扱われ続けてきたし、そういう扱いにもお互い慣れっこになってしまっていた。
変わった事といえば、あかりと二人きりで過ごす時間が多少長くなった事と、俺のあかりに対する想いだけだ。
「幼なじみ」であった時よりも、もう少しだけ二人の距離が縮まった、それだけの気がする。

「浩之ちゃん?」

気が付くとあかりが不思議そうな顔で俺を見つめていた。どうやら長い事ぼーっとしちまっていたらしい。

「ん?あぁ、まぁ、その、なんだ。奇麗だったから、がらにもなくつい見とれちまってたみたいだな」

俺が返したのは本当に適当な言葉でしかないはずなのに、あかりは納得したように、

「ホント、奇麗だよね。浩之ちゃんが見とれちゃうのもわかるよ」

とにっこりと笑った。

「なんだ?俺が見とれてたのは、あかり、お前だぞ?」

「えっ!?そ、そんな、もうっ、浩之ちゃんったら、冗談ばっかり」

一瞬で顔を真っ赤にして慌てるあかりを見ていると、やっぱりお互い何も変わってないと思える。
いつもと同じやりとり。いつもと変わらぬ会話。それが非常に心地よく、妙に安心できる。
で、いつも通り行くとすれば、俺の次のセリフは決まっている。

「あぁ、冗談だ」

「やっぱり・・・ひどいよ、浩之ちゃん」

「お前な・・・そんな冗談を間に受けんなよな。ったく、しょうがねー奴だな」

言葉ではそう言いながらも、自然と笑みがこぼれてくる。
あかりも、拗ねたふりをしながら本当には怒っていない。
あかりと過ごすゆったりとした時間。まるで二人の間だけ、時がゆっくりと流れているような錯覚すら引き起こす、そんな時間が俺はたまらなく好きだった。

「あかり、そういえばこんな話を知ってるか?」

「えっ?なになに?」

唐突にふった俺の話に、予想以上にあかりがくいついてきた。
そこでちょっとした悪戯心が俺の中にわきあがる。

「あっ、わりぃ。今のやっぱなしだ」

「えー、そんなぁ・・・そんな言い方されたら、余計に気になっちゃうよ」

あかりが残念そうな顔をする。よしよし、予想通りの反応だ。
この手のちょっとした小話は、少しくらいひっぱった方が面白い。話自体の面白さが変わる訳じゃないが、ひっぱった方が聞き手も話に興味を持つし、話し手も話に引き込みやすい。なによりも、こういった会話の駆け引きが楽しいのだと、俺は思う。

「でもなぁ・・・多分お前の苦手な話だぞ?それでもいいのか?」

「そ、そうなの?まさか、オバケの話・・・とか?」

「いや、幽霊とか超常現象とか、そんな話じゃねーんだけど」

恐る恐る聞いてきたあかりに、俺は半分だけ嘘をついた。
ここまでの駆け引きは俺の優位に進んでいる。ここまで興味を持たせたら、ほぼ俺の勝ちだ。あかりの性格から言って、例え怪談話だと言っても聞かずにはいられないだろうが、話をする前から正直に打ち明けて、あかりの興味を薄れさせる事もない。ここまでもったいぶっておいて、「じゃあいい」なんて今更言われたら、俺はまったくの道化になっちまう。

「ま、今すぐに話さなきゃならねー事でもないし、また今度、話してやるよ」

今すぐにでも切り出してやりたいのを我慢して、俺はわざとめんどくさそうに言った。

「うん、わかった。じゃ、約束だよ」

予想外の反応だった。俺は内心の動揺をなんとか隠しながらも「あ、あぁ」と曖昧に返事するしかできなかった。

「ふふふっ・・・うそだよ、浩之ちゃん」

あかりが妙に悪戯っぽく笑う。
そこで俺は、逆にあかりにからかわれていた事に気付いた。伊達に俺の幼なじみを長年やってる訳じゃない。俺があかりの性格を把握しているように、俺の性格もまたあかりに知り尽くされていたのをすっかり忘れていた。こいつは一本とられたと、正直感心した。駆け引きはどうやら土壇場で俺の逆転負けだったらしい。まぁ、負けたと言っても悔しい訳じゃない。もともと勝ち負けじゃなく、会話を楽しんでいただけなんだから、当然といえば当然なのだが。

「で、話ってなんなの?」

公園の散歩道に備え付けてあったベンチに腰をおろして、あかりが改めてたずねてくる。俺もその横に座ると口を開いた。

「いやな、桜って奇麗だよな」

「うん、そうだね。毎年思うよ」

あまりに唐突な出だしに、きょとんとしながらもあかりは相槌を打ってくる。

「その桜がどうしてこんなに奇麗なのか、お前考えた事あるか?」

「えっ!?・・・花びらが淡いピンク色だからかな?それともすぐに散っちゃうはかなさがいいのかな?」

あまりにあかりらしい答えに俺は思わず苦笑した。

「そういう事じゃねーって。あのな、桜がこんなにも奇麗なのは、『サクラノキノシタニハ シタイガウマッテイルカラ』なんだぜ」

「ふうん、そうなんだ・・・だから桜ってただ単に奇麗ってだけじゃなくて、その中にも荘厳さとか、圧倒的な凄みとかを感じるんだね」

「・・・なんだ、知ってたのかよ。つまんねーな」

ふてくされたように俺が言うと、あかりは、えへへ、と照れ隠しにか笑う。
俺はベンチの背もたれに体重のほとんどをあずけ、目の前の桜の木を見上げた。
夜空の深淵に根をはりめぐらしたかのように枝が広がり、そこここに桜が花開いている。まだまだつぼみの方が多いが、それでも星空が透けて見えるほどに薄く、淡いピンク色の花びらを見ていると、なんだか妙に幻想的な風景に思えてくる。と同時にうす寒くなるものを背中に感じもする。あかりの言った『凄み』とでもいうものがそうさせるのだろうか?

「・・・ねぇ、浩之ちゃん」

「あン?」

時が止まったような錯覚の中しばらくボーっとした後、不意にあかりが口を開いた。あかりにしては珍しく、どこか甘えたような声に感じられた。

「えっ、あ、ううん。なんでもない」

困ったような照れたような笑みを浮かべ、ほんのりと紅くなった顔の前で両手を交差させるようにしてブンブンとふるあかり。

「・・・ったく。しょうがねーな・・・」

俺は背もたれから身体をひきはがすと、突然あかりの肩に手を回して引き寄せ唇を重ねた。触れ合うだけの、軽く優しいキス。
ほんの数秒の後あかりから唇を離すと、あかりは驚いたように目を見開いていた。

「あー、ビックリした。浩之ちゃん、いきなりなんだもん」

「どうだ、驚いたか?さっきの仕返しだ」

勝ち誇ったかのように笑いながら言った俺を、あかりは嬉しそうな眼差しで見つめた。

「・・・でも、やっぱり浩之ちゃんはすごいな。私が・・・」

私が考えてる事がわかっちゃうなんて、恐らくはそう続くのだろうが、どうやらキスをして欲しかった事が恥ずかしくて言えないらしい。
そんなすれていないところがたまらなく愛しく思えて、俺は再びあかりにキスをした。

「・・・バカ。お前と何年付き合ってると思ってんだ?お前の考えてる事くらいお見通しだ」

少しトロンとしたあかりの目をみつめながら、俺は続ける。

「お前が『藤田浩之研究家』だってんなら、俺は『神岸あかり研究家』なんだぜ?」

その言葉に、あかりは嬉しそうに、本当に心から嬉しそうに笑った。それは見てるこっちの方が恥ずかしくなるような、心の中を見透かされそうな笑顔だった。

「さて、と。いつまでもこうしていたいって気持ちは痛いほどわかるけどな」

俺は自分の本心をまるで他人事、あかりの気持ちを代弁しているかのように話しながらベンチから立ちあがった。

「まだ春っつっても夜は冷えるからな。このままで風邪でもひかれちまったらこっちが困る」

「なんで?うちにはお母さんだっているし、浩之ちゃんに迷惑はかけないと思うけど・・・」

「お前が風邪で寝こんじまったら、俺が風邪ひいた時誰が看病してくれんだよ」

「もうっ、浩之ちゃんったら・・・」

くすくすと笑いながらあかりも立ちあがり、出口に向かいはじめた俺の後にくっついてくる。

あかりと二人だけのゆったりとした時間。
これからどのくらいこうしていられるかは、正直俺にもわからない。
明日にも散ってしまう、あのはかない桜の花のようにそれはすぐにやってくるのかもしれない。
でも・・・と俺は思う。この心地いい時間を、俺はなくしたくはない。
ふとふりかえると、そこにはさっきの桜がそびえていた。
咲き誇っている花びらは今にも散ってしまいそうなはかなさを漂わせていたが、来年も必ず咲くだろうというような、決意にも似た息吹も感じられる。
俺はその力強さを確認すると一つうなずき、あかりとともに再び歩いていった。

長かった冬が終わり、春が、もうそこまで来ようとしていた。

<了>