空色の宝石箱

「昨日にしとけばよかったか・・・」
低く垂れ込める曇天を見上げながら、祐介はひとり呟いた。こうなってみると、昨日までの晴天が恨めしい。
待ち合わせまでまだ30分程あった。いつもに比べると早すぎる位だが、今日ばかりはどうしても遅れられない理由がある。
「最近、全然かまってやれなかったからな」
誰に説明するでもなく一人ごちると、ふと辺りを見渡してみる。この寒空の下、意外な程人の出は多い。
祐介と同じ様に待ち合わせをしているのであろう女の子。寒空などものともせずに街角で噂話に華をさかせている若者達。大きな包みを手に急ぎ足で歩いているのは、降り出す前に買い物を済ませようというつもりだろうか?
「あれっ!?随分と早いじゃない。時間、間違えてないよね?」
不意に聞きなれたソプラノが耳に飛び込んでくる。祐介は聞こえるようにため息をついた。
「あのなぁ・・・それじゃ俺がまるでいつも遅刻してばっかみたいじゃねーか」
祐介がふりむくと、そこには予想通りの顔があった。待ち合わせの相手、翔子だ。
「あれ?じゃあ、いつもは違ったっけ?」
「失礼な。きちんと来てるだろ。約束の・・・15分過ぎまでには」
「うんうん、素直でよろしい」
そう言って翔子は口に手を軽く当ててころころと笑った。翔子が現れただけで辺りが急に華やいだように感じるのは、祐介の錯覚だったろうか?
「それで、今日はどこに連れていってくれるのかな?」
軽くかがんで下から祐介の顔をのぞき込むようにする翔子。その仕草に思わずドキッとさせられ、あわてて歩き出す祐介。
「そう・・・だな。とりあえずどっか店に入らせてくれよ。ずっと待ってたからさ、身体が冷えちゃって」
「あー、そういう事言いますか。ふ〜ん・・・」
翔子はちょっとふくれてみせる。そういう見慣れた仕草にも、祐介は懐かしさを感じて嬉しくなる。久しぶりに逢えたという喜びを噛み締めていた。

「・・・どうしたの?なんか・・・変だよ」
最近話題になっていた映画を見終わった後に寄った喫茶店の窓際の席で、ティーカップの縁を指でなぞりながら翔子がたずねた。
「そう、かな?」
「うん。いつもと違う気がする」
そらぞらしくとぼけて見せる祐介に、どこか寂しそうな返事を返す翔子。
祐介自身、理由はわかりきっていた。今までなんともなかった事が、今日に限って特別に見えてしまう。
ただ久しぶりに逢ったというだけなのかもしれない。明日にはいつもの日常に埋もれてしまう事かも知れない。
それでも今日は翔子の全てが特別に感じてしまう。そんな自分に祐介自身驚いていた。
「久しぶりだからじゃないか?こうして翔子と出かけるのもすごい久しぶりだからな」
自分の想いを他人事のように、祐介は言う。
「そうかなぁ?そういえばすごい久しぶりだよね、二人だけで遊ぶのも」
いまだ釈然としないものを感じつつも、翔子はどことなく嬉しそうな表情を見せ、ティーカップをほのかに暖めていた紅茶を口に運んだ。
「・・・!?」
翔子がティーカップを持ち上げた時、その左手の指に光るものを祐介は見つけた。
左手の薬指。特別な位置。女の子に魔法をかける、特別な存在。
声が出なかった。声にならなかった。
突然翔子が遠い存在になってしまった気がした。幼い頃からずっと一緒だった翔子。祐介は自分の半身を失ってしまった様に感じていた。一瞬、目の前が真っ暗になる。
「・・・っと祐介、ちょっとってば」
翔子の呼びかけで我に返った祐介は、いきなりの事に辺りを見回してしまう。
「なにしてるのよ?大丈夫?なんだか疲れてるんじゃない?」
心配そうに翔子がたずねてくる。祐介はあわてて、大丈夫だよ、と返事をする。
「そう・・・大丈夫ならいいんだけど・・・なんだか最近いろいろ忙しかったみたいだから、今日は無理してるんじゃないかな、って思って・・・」
言いながらかすかに見せたさみしそうな素振りに、祐介はまったく気付かなかった。
「・・・ねえ、最近忙しかったのって・・・」
「えっ!?」
「ううん、なんでもないよ。あはは・・・」
気まずい沈黙が二人の間を流れていく。ティーカップからの湯気だけが、何事もなかったかのようにただゆっくりと立ち上っていた。
気が付けば少し前までにぎわっていたはずの表通りも、今は人影まばらになっている。
「・・・あっ・・・雪・・・」
翔子がそっとつぶやく。窓の外ではちらちらと空から白い雪が舞い散り始めていた。
しばらく二人して言葉もなく、空から落ちてくる白い結晶を見つめていた。
「雪って・・・奇麗な宝石みたいだよね」
翔子の何気ない一言に、祐介は更に打ちのめされる思いだった。
「・・・でよっか?」
暖かい店内から外に出ると、冷たい風が身体を吹き抜けていく。祐介は心まで冷え切ってしまった様な錯覚に陥っていた。
人波も途切れ始めた街角に静かにふりしきる、雪。明日の朝には溶けて消えてしまいそうな、そんな儚い存在。それは祐介の想いのようだった。
「今日は、ありがとな。付き合ってくれて」
心中の葛藤など微塵も感じさせる事なく、祐介が言った。その言葉に翔子は驚きと不安の入り交じった顔を見せる。
「やっぱり変だよ、今日の祐介。なんか私に言いたい事とか・・・ない?」
聞いてみたかった、指輪の事を。聞いてしまえばすっきりするのかもしれない。あきらめもついたのかもしれない。
でも結局、祐介は聞く事はできなかった。
「そんな事はないさ。そう・・・だな。ちょっと疲れてんのかもな」
それだけ言うと、ふと思い付いたように祐介は自分のデイバッグの中を探り始める。
「あった、あった」
目的のものを見つけると祐介はそれを鞄の中から取り出し、翔子に手渡した。
「これ、使えよ。女の子は、身体冷やしちゃまずいからな。じゃ、悪いけどさ、やっぱり疲れてるみたいだから俺は帰らせてもらうよ。じゃあな」
きょとんとした顔で翔子が自分の傘を受け取ったのを確認すると、祐介は振り向きざまに走り出した。まるで、翔子と一緒に自分の捨て切れぬ想いまでも置き去りにするように。
「ちょ、ちょっとー。祐介はどうするのよっ。傘なら私だって持ってるってばー。ねえっ・・・」
我に返った翔子の追いすがる声も、もう祐介の耳には届いていなかった。
祐介はただ走っていた。どこへ向かうでもなく、ただひたすらに。頬を濡らす滴は雪のせいなのか、それすらどうでも良かった。
雪は、いつしかみぞれ混じりになっていた。

一週間後、風邪で寝込んでいた祐介が回復した頃、珍しく翔子から誘いがあった。
「風邪の回復祝い」と「この前の御礼」といってはいたが、なにやら他にもありそうな予感を祐介は感じていた。
それならそれでもいい。ちょうどいい、とばかりに祐介もある一つの決心をした。
今日も祐介は待ち合わせの場所へと遅れないように向かう。が、約束の時間よりもずいぶん早くついたはずなのに、翔子はすでに待っていた。
「随分と早いんだな。いつもこんなに待ってるのか?」
祐介は素直に驚きつつ、そっと翔子の手を見る。
翔子は今日もあの指輪をしていた。よく見ればシンプルな、それでいて翔子にはよく似合っている指輪。
「・・・祐介・・・ま、ね。病人を待たせるわけにもいかないしね」
「ひでーな。もう大丈夫だって言ったろ?病人呼ばわりしないでくれよ」
翔子がふと見せたさみしそうな表情に気づかない振りをして、祐介は笑った。強がっているけれど、いつもの翔子とは何かが違う。
・・・あの時の翔子も、こんな風に感じてたのかな?
ふと一週間前の会話を思い出し、祐介は思った。
「そっか。じゃ、今日は快気祝いという事で、思いっきり遊ぼっか?だいじょぶ、なんでしょ?」
「よーし。それじゃ、どれだけ俺が回復したのかみせてやろうじゃないか。後悔するなよ」
先に立って歩き出した祐介を、慌てて翔子が追いかける形になって、二人はそれぞれの思惑を抱えたまま街中へ消えていった。

「・・・きれいな、星空だね・・・」
カラオケやボーリングといった遊びを一通り遊び尽くした後、翔子の誘いで二人は高台にある公園にやってきていた。
すでに日はとっぷりと暮れ、辺りは静寂に包まれている。まるで世界に二人だけしかいないかのように。
翔子は言葉もなく瞬く星々を見つめていた。そして時々うつむいては、ほぅっとため息をつく。まるで何かを決め兼ねているかのように。
祐介はその様子を見守りながら、じっと翔子が何かを言うのを待っていた。
「・・・ねぇ・・・」
どれくらい時間がたったのだろう。やっと翔子が重い口を開いた。
「何?」
ずっと待っていた事を悟られないように、できるだけさりげなく祐介は聞き返した。
「・・・あのさ・・・祐介、もしかして・・・・・・うぅん、なんでもない・・・」
「翔子、こんなところまで連れてきたりして、なんか俺に聞きたい事あるんじゃないか?なんか気になっちまうよ、その言い方だと・・・」
「でも・・・やっぱり聞くの・・・」
最後の方は消え入るようにぽつりとつぶやいたため、祐介には聞き取れなかった。
「まあ、言いたくないってんなら、無理にとはいわないけどな・・・それより、そっちがいいんなら、こっちにも一つ用があるんだけど、いいか?」
「・・・何?」
不安そうな表情で翔子が答える。
もしかしたら、自分が聞かなくても祐介に切り出されるんじゃないか?翔子はそんな不安に押しつぶされそうになっていた。
「あの、さ。今更でなんなんだけど・・・」
祐介は自分のバッグを探ると、一つの包みを取り出した。きれいにラッピングされた、箱のような形の包み。
「おまえさん、確か今日が誕生日だったよな?で、今まで何もなしだったのに今更なんだけど、これ、プレゼントな」
「え?」
翔子は一度たりとプレゼントなどくれた事のない・・・いや、今までに一度だけしかもらった事のない祐介からのプレゼントに、驚きを隠せなかった。
と同時に、より一層不安が募る。どうして今年に限って自分にプレゼントなどくれる気になったのか?この祐介の心境の変化はどうしてなのか?
不安に思いつつも、翔子はその包みを受け取った。
「・・・あ、ありがとう・・・ね、開けてみてもいい?」
「どうぞ、御自由に?」
いつもの調子で軽くおどけて見せた祐介だったが、内心では重いプレッシャーと戦い続けていた。
「わぁ・・・きれいな宝石箱・・・・・・これ、もしかして・・・」
包みの中から出てきたのは、水色の宝石箱だった。全体的なデザインは極めてシンプルだが、要所要所には細かい模様が彫り込まれている、まさに翔子が好みそうな品物だった。
「翔子、昔っから水色とか空色とか好きだったもんな。それに、いつだったか、『そいつ』欲しがってなかったっけ?だから・・・」
祐介は一度呼吸を整えるように大きく息を吐いた。
「・・・だから、せめてそいつ位は俺が贈りたくってね・・・」
それだけ言うと、祐介は口を閉ざして星空を見上げた。
月は出ていない、雲一つない空。星空を眺めるには最高の日だった。
一方嬉しそうだった翔子は、きょとん、とした顔で祐介を見つめていた。
祐介の言いたい事は途中までわかった。随分昔、下手をすればもう何年も前にふと漏らした呟きを覚えていてくれた。それだけでもすごく嬉しい。
「ねぇ祐介、『そいつ位は』って・・・どういう事?まるでこれで最後みたいじゃ・・・」
「・・・・・・さすがに・・・そういうもの贈る訳にはいかないだろ・・・婚約者・・・のいる相手には・・・」
星空を見上げたままで祐介が呟く。もしかしたら、涙をこらえていたのかもしれない。
「?婚約?誰が?いつ?」
再びきょとんとした顔で翔子がたずねる。
「っ!!それじゃ、その左手のリングはなんなんだよっ!!」
からかってるとしか思えない翔子の発言に、祐介は思わず語気を荒らげてしまう。
行き場の無い怒りをどこへぶつけたらいいのか、祐介は固く拳を握り締めるしかなかった。
いきなり怒鳴りつけられて一瞬おびえた翔子だったが、祐介の言っている内容を理解した途端、くすくすと笑い始めた。
「なんだよっ、なにがそんなにおかしいんだよっ!!」
「・・・あはは、これ?これの事?これはねぇ・・・」
左手の指輪をことさらに祐介に見せびらかすようにかざして、翔子は一歩、また一歩と祐介へと近付いていった。
嬉しそうな翔子の表情。必死に怒りと悲しみを押さえるような祐介の表情。
対照的な二つの表情がごく間近まで近付いた時、不意に翔子がその距離をゼロにした。
「っ!?」
何が起こったのか理解できずに、ただただ驚く祐介。
離れてから、少し恥ずかしそうに上目使いで祐介を見つめる翔子。
「・・・気付いててくれたんだ・・・この指輪してる事に・・・それに・・・」
嫉妬までしてくれて。その言葉を翔子は胸の奥にしまい込んだ。
「でも、もう一つ、気付いて欲しかったな。まぁ、仕方ないけどね。もう十年位前の話しだし」
そっと左手の指輪を外すと、祐介にもよく見えるように空にかざす。
シンプルな、それでいて翔子によく似合う指輪。よく見ればそんなに高価なものではなさそうな、それでいて翔子が大切にしている指輪。
普通の人からすれば、二束三文の品物だろう。しかい翔子にとってはとても大切な、想い出の品。そして・・・
「!!」
祐介はこの日何度翔子に驚かされたろう。これは祐介にとっても想い出の品物だった。
「・・・こんなもの・・・大切にしてたのか?・・・」
「だって、私が祐介からもらったたった一つのプレゼントだもん。大切な・・・うぅん、大好きな人からもらった・・・」
耳まで真っ赤になりながら、翔子は告白した。
祐介は照れくさそうに頭を二、三回軽くかくと、あさっての方向に向かい呟いた。
「参ったな・・・それじゃ最初考えてた通り、ちゃんと指輪にしとけばよかったよ・・・せっかくバイトして金ためてたのに・・・」
「えっ!?」
今度は翔子が驚く番だった。
「じゃあ、今までずっと忙しかったのって・・・」
「・・・本人目の前にして言いにくいんだけど・・・ま、そういう事だ」
翔子の目から涙があふれてくる。突然泣き出してしまった翔子に、祐介はひどく狼狽した。
「な、なんだよ・・・俺、変な事いっちまったのか?」
「違うの・・・違うのよ。嬉しくて、安心して・・・そしたら涙が止まんなくなっちゃって・・・」
あふれる涙をぬぐおうともせず、翔子は祐介に抱きついた。
「私、最近祐介がかまってくれないの、他に好きな人でもできたんじゃないかって、そう考えたらすごく不安になっちゃって、だからわざと薬指に指輪してみたりして、少しでも祐介の気を引こうと・・・」
激しい鳴咽でそれ以上は言葉にならなかった。
祐介は、そうだったのか、と一言呟いてから、翔子が落ち着けるようにと優しく抱きしめてあげた。
しばらくして翔子が落ち着きを取り戻し、そっと祐介から離れた。
「もう、いいのか?」
「うん・・・ごめんね」
翔子は目元を軽くハンカチで押さえ涙をぬぐうと、祐介に笑ってみせた。
「しかし・・・そうすると、18歳の誕生日に指輪を贈れなかった事がますます悔やまれるな」
翔子の笑顔にどうしたらいいのかわからず、思い付いた事を口走る祐介。
その祐介に、翔子はもう一度キスをした。
「いいよ、もう、十分もらったから」
「?」
不思議そうな顔で翔子を見つめる祐介。その瞳には、自分の姿が映っているようだった。
「こんなに、この空一杯の宝石が、私の18歳へのプレゼントだよ」
「そうか、夜空の宝石箱・・・空一面に浮かんでる星達が宝石か・・・」
二人で再び星空を見上げる。さっきと違うのは、お互いへの誤解が解けた事。そしてなにより、お互いへ告白できた事。
「こんなに一杯の宝石じゃ、その宝石箱は役不足、だな」
笑いながら祐介が言う。
「いいよ。そしたら来年こそこの宝石箱に入るものをプレゼントして頂きますから」
翔子も、笑いながら答える。
二人の見つめる空色の宝石箱の中で、今一つの流星が流れていった。

<戻る>