invidia


「んー……」
 ふと、読んでいた本から視線を上げ、アリスは目をこすった。
「アリス? どうかした?」
「ちょっと目が……かすんで」
 その仕草に気付いたエースが首を傾げるのに答えながら、アリスは瞼を押さえる。すっかり読むのに夢中になっていたから気にしていなかったが、ずっと文字を追い続けていて、目がすっかり疲れてしまっている。
 一度焦点を外すと、ぼやぼや〜っと文字がぼやけて、なかなか戻らない。
 目を休ませるべきだ。それは分かっている。でも続きが気になって……。
「ああ、でも……うーん……」
 ぼやぼや〜。
 ……ぼやぼや〜。
 目は、かすむばかりで、続きをうまく読ませてくれない。
「はははっ。そりゃあこれだけ本を読んでいたら、仕方ないぜ」
 そんなアリスを見て、エースは軽やかな笑い声を上げている。

 ここは城の庭園で、アリスが気に入っている場所のひとつだ。とても日当たりがよく、心地よくのんびりと過ごすのにうってつけ。だからアリスは時々こうして、読みたい本を持ってここへ来ることがある。
 今日も、そうだった。途中までは小鳥のさえずりが遠くに聞こえる穏やかな空気の中、読書を楽しんでいたのだ。この本は思った以上に面白く、ぐいぐい物語に惹かれてしまった。
 しばらくして、がさごそと賑やかな物音を立てて生垣の向こうからエースが現れても、彼が隣に腰を下ろしても生返事。更には彼が寝転がったりしていていても、アリスはずっと本に夢中で……。
(……今日、エースの顔をちゃんと見るの、初めてかも)
 アリスのすぐ隣に寝転がりながら、見上げてくるエースの顔をじっと見つめていると、不意にエースは体を起こした。
 ひょいっと軽やかな何気ない動作に見えるが、アリスが同じ動きを真似をしようとしても、きっと出来ない。リラックスして寝ていた体のどこから、一体そんな動きが出来るのか。普段から鍛えているエースだからこそ可能な動作で、エースはアリスの至近に寄ると、その腕を掴んだ。
「アリス。そういう時は遠くの景色を見るといいらしいぜ? というわけで……」
 エースはアリスの腕を掴んだまま、一気に立ち上がった。その勢いに引きずられるようにして、アリスの体もそのまま浮いて――立ち上がる。
「城なんかじゃロクな景色は見れない。もっと広くて雄大な景色を見るため、旅に出ようぜ!」
「はあ!?」
 何が「というわけ」なのか。
 エースは爽やかに笑いながら歩き出す。……アリスの腕をがっちりと押さえ込んだまま。
「ちょ、ちょっと待ってよエース……!」
「はははっ、善は急げって言うし、アリスの目の健康の為にも、早速出発しようぜ!」
 そのアリス本人はエースを止めようとしているのだが、エースはこれっぽっちも聞いちゃいない。聞いてくれない。
 もちろん、ぐいぐいと歩き出すエースの力に、アリスがかなうはずもなく。
 ずるずるずる。
 アリスはエースに引きずられるようにして歩き出す。いや、本当にずるずる、ずるずると引きずられてしまっているだけだ。こうなったエースは、もう何を言っても聞いてくれはしない。彼はいつだってこうなのだ。話を聞いているようでいて、常に自分がしたいことを、したいようにやろうとするだけ。
(はぁ……)
 こうなっては、抵抗するだけ無駄だ。
 今までの付き合いで、アリスはそれを骨身に染みるほどよく知っている。
 いつまでも引きずられているのも、落ち着かなくて困るし……。
 アリスは諦めて、エースの隣を自分でちゃんと歩くことにした。

「……で、どうしてこうなったのかしら……」
「いやあ、不思議だよな。大自然の中を冒険していたはずなのに、いつの間にか、こんな場所に出ちゃうなんてさ。ははは」
(ははは……じゃないわよっ)
 爽やかに笑うエースを軽く睨みつけ、しかし、相手がエースなんだからしょうがないと、アリスは溜息混じりに肩を落とした。
 2人が今いるのは、決して雄大な大自然の中なんかじゃない。
 大勢の人が行き交い、賑わう、街の大通りの一角だ。
(……そうよね。エースと旅に出て、目的地へちゃんと辿り着けるはずが無いじゃない……)
 城を目指せば帰れない、塔を目指せば行き着けない。
 そんなエースと大自然の雄大な景色を楽しもうと出かけ、そんな光景とはこれっぽっちも縁の無い街角に来てしまったのは、ある意味当然といえば当然の出来事だった。……盛大に深い溜息をつきたくなってしまう状況ではあるが。
 街路樹や植え込みくらいはあるものの……これなら、正直、元の庭園にいたままの方が、目にする緑は多かっただろう……。
「ま、せっかく旅の途中で通りかかったんだ。ちょっと見ていかないか? 寄り道を楽しむのも旅の醍醐味だぜ」
 エースにとっては、これはあくまでも旅の途中の寄り道に過ぎないらしい。……まあ、来てしまったものは仕方ない。どうせ街にいるのなら、街を楽しんだ方が、得だ。
 アリスもそう割り切る事にして、エースと一緒に通りに並ぶ店のウインドウや、道に出ているワゴンを覗きながら歩く。
 可愛らしいマスコットに目を細めながら通り過ぎ、使いやすそうな雑貨を目にして「いいな」と思ったものの、この先もエースに付き合えばどんな目に合うか分からないし、壊れてしまうかもしれないから今買うのは止めておこうか……などと思いつつ、次に視線を向けた先に見えたのは。
「あら、眼鏡屋さんなんてあったのね、ここ」
 いくつかのフレームが飾られた、落ち着いた雰囲気の眼鏡店があった。それとなく並べられたフレームは、どれもセンスがあって思わず目を引く。この辺りは何度か来たことがあるけれど、こんな店があるだなんて今まで全然知らなかった。
(いえ、興味が無かったせいかしら)
 アリスは眼鏡を掛けていない。普段使わないものだから、歩いていても目に留まらなかったのかもしれない。それが今回はじめて気になったのは、ちょっと前に目のことを気にしていたせいだろうか。
「ふーん。眼鏡か……」
 さっきの会話を思い出したのか、エースも珍しく隣で足を止めて、一緒になって覗き込んでいる。
(読書する時だけでも、眼鏡があった方がいいのかしら?)
 しばらく本を読んでいて、目がぼやけてしまうというのは、目があまり良くなくなってきている証拠だと考えることもできる。今まではあまり気にしていなかったけれど、細かい文字を追うときだけでも、補助的に眼鏡があってもいいのかもしれない。
(そういえば、ブラッドがそんな感じよね。ユリウスも仕事中に眼鏡を掛けていたっけ)
 身近にも、結構そういう人がいるのを思い出してアリスは、フレームをじっと見つめる。
「なんだ、気になるのか? なら、もっとちゃんと見てみた方がいい。入ってみようぜ」
「へ?」
 余程真剣な顔でもしていたのだろうか。エースはアリスの方を向いて笑いかけると、肩に腕を回してぐいぐい店内へ引っ張っていく。後ろから押されるような格好になって、アリスの足は、あっという間に店の中。
「ちょっ、ちょっと……」
「いらっしゃいませ!」
 抗議しようとしたアリスだったが、それよりも店員が出迎える声の方が先だった。
 ……ここから、Uターンして店を出て行くのも、気が引けてしまう。
 結局、アリスはそのまま、店内を見ていくことにした。

 そうと決めたら店内は居心地が良かった。店員はいい意味で放っておいてくれるので気ままに見て回ることが出来たし、並んでいるフレームは、ウィンドウの中と同じようにセンスのいい物ばかり。それでいてバリエーション豊富だから、選ぶ楽しさがある店だと思う。
(いいお店だわ)
 買うなら、こんなお店がいい。そう思ってしまうようなお店だ。
(たとえば……これとか)
 気に入った細身のフレームを持ち上げ、思いきって試着してみる。いつもの自分の顔が、ちょっと違う印象だ。普段よりもシャープに感じる。
(これとか)
 今度は少し柔らかい雰囲気。ほんの少し大人びた印象もある。
(これは?)
 カラーリングのせいか、ぱりっとして見える。仕事の出来る女性風だ。こうなるとは意外だったが、これはこれで悪くない。
「眼鏡ひとつでも、結構変わるものなのね」
「そうだな。アリスなら、これなんかもいいんじゃないか?」
 そう言ってエースがフレームを差し出してくる。なら、とそれを掛けてみると、今度は自分の顔の印象がキュートな感じになったような印象を受けた。それはもう、思わずアリスが自分でも気恥ずかしくなってしまうくらいに。
「……子供っぽすぎない?」
「そんなこと無いぜ。よく似合ってる」
 やっぱり思った通りだったぜ、とエースが笑う声を聞きながら、アリスは少々不本意だ。
(こういうのは、私には……ううん)
 似合わない、わけでは……ない。おそらく。
 普段こういったものを、アリス自身はあまり好んでいないというだけで。たとえば、姉が望んだからこそ着ている、この服のように。
 アリス自身では、きっとこういうデザインの眼鏡は選ばないだろう。自分では選ばないだろうものが意外にも似合っていて、しかもそれがエースの見立てによるものだということが……なんだか、腹立たしい。
「……エースはどうなの?」
「ん?」
「試着とかしないわけ? これとか、似合いそうだけど」
 アリスは近くにあったフレームをエースへ差し出した。なんだか……癪だったから。八つ当たりに近い事は分かっているが、エースは「どれどれ?」とフレームを取ると、それを実際に掛けてくれた。
「……うわぁ」
 その顔は、といえば。
 アリスが思わず声を上げてしまうようなものだった。……げんなりとしたような声を。
「――なに? その反応……」
「だって、あなた……すっごく胡散臭いわ、それ」
 端的に言うと「似合っていない」ということになるのだろうか。
 眼鏡を掛けたエースは、一見爽やかそうに見えるのに何故か、本当に何故なのか……胡散臭さがいつもの200%くらいに増していた。腹黒さが200%増しだ、と言い換えてもいいだろう。いつもだって、見た目の爽やかさと裏腹に、爽やかじゃないところが多い男だというのに……それが、更に強調されてしまっている。
「えー? なんだよそれ。ひどいなぁ」
 いつものように爽やか青年が不服に口を尖らせている……だけのはずなのに、この姿だともう同じようには見えない。今のエースがそうしていると、絶対に裏があるとしか思えない……。
(眼鏡って……すごいのね……)
 妙なところで感心してしまう。
「だって、そう思うんだもの。エース、あなた根本的に眼鏡が似合わない顔なんじゃないの……?」
「そうかなぁ……じゃあさ、アリスにとって眼鏡が似合うのって、どんな顔?」
「え?」
 思いがけない切り返しに、思わず一瞬考え込んでしまう。
「え、っと……ペーターとか? あれは似合うっていうより、眼鏡が無い顔が想像できないって感じだけど。ゴーランドもだけど、もう眼鏡が顔の一部って感じがするわ。ああ、あとはブラッドね。あの人、自分の部屋でデスクワークや読書をする時だけ眼鏡を掛けるのよ。あれは結構似合ってると思うわ。そういう意味ではユリウスもね」
「……ふーん……」
 思いついた順に挙げていくアリスをじっと見つめながら、エースは、ただそれだけを呟く。
「な、なに……?」
 その反応に、何か変なことを言っただろうかと怪訝な顔になるアリスだが、エースは外したフレームを指先で弄びながら「別に」と短く返すだけ。ますます、訳が分からない。
(ど、どういう……こと……?)
 戸惑うアリスだったが、エースの様子からはさっぱり分からない。
 こうなってしまっては、どうしようもない。もう気にしても気にするだけ無駄だ、とアリスは思う。気にして、振り回されるだなんて、そんなの……馬鹿げてる。
「……エース。私、視力を測ってもらって眼鏡、作っていくことにするわ。ちょっと待ってて」
 その妙な居心地の悪さから逃げ出したくて……それだけ、という訳ではないけれど、その意味合いもあって。アリスはそれだけ言い残すと、フレームを掴んで店員へ声を掛けに向かった。

「なんだか旅って感じじゃなくなっちゃったし、帰ろうか」
 仕立て終わった眼鏡を受け取って、店を出ると、不意にエースはそう言った。
「え? でもまだ……」
「だってさ、よく考えたら目の方はもう、眼鏡を買ったら解決だもんな。想定とは違う結果になったけど、これはこれでいいんじゃないか?」
 せっかく買ったんだから、君も早くそれを使って、本の続きを読みたいだろう? などと笑うエースは珍しく物分りがいい。いつもは「それじゃあ旅の続きだ!」と歩き出しそうなものなのに。
(まあ、どんなびっくりドッキリが待ってるか分からない旅に付き合わされるよりは、帰れる方がいいんだけど……)
 ちょっと拍子抜けしてしまった……ような感じがする。
 しかし、そうまで言ってくれたのを拒否して「いいえ、旅を続けましょう!」などとアリスが言い出すのもおかしい。
「そうね。結構歩き続けで足も疲れてきたし……」
 城を出てから、それなりに険しい森の道(エースと一緒だと、道なき道を進む羽目になるのも、そう珍しい出来事ではない)を進み、街も結構散策したのだ。足が結構疲れているのは確かだったし、城に帰ってゆっくり休みながら、読書するというのも……実際、魅力的ではある。
 アリスはそう頷いて、エースと共に来た道を引き返し始めた。
 ……のだが。
(迂闊だった……)
 エースと一緒だというのに、そうそうスムーズに帰れるはずが無い。
 アリスがどれだけ止めても絶対にこっちが近道だと獣道へ向かうエースを、放っておけばいいのに無視できず追いかけてしまって。結果……今、アリス達は、深い森のどことも分からない場所にいる。
 ばっちり迷子だ。
「あーあ、ついてないぜ。また迷っちゃうなんてさ」
「どこがよ。今道に迷ってることなら、思いっきり自業自得でしょうが」
 街から城へ帰る道なら、それなりに通る人も多い。道はきちんとあったのだから、獣道なんかに入らず、まっすぐ道を行けば簡単に帰れたはずだ。その簡単なことを出来ないから、エースはエースなのだ……と、アリスは溜息をこぼす。
 幸か不幸か時間帯は移り変わり、辺りはすっかり真っ暗。仕方ないから今日はここでキャンプにしようぜ、とエースが出したテントを張るのを手伝い、簡単な食事を済ませた後、毛布や枕を抱えてテントの中へ転がり込む。
 中を照らすのは、カンテラの明かりが一つだけ。
 いつもの事ながら、よくこんな大荷物をコンパクトにまとめて持ち歩いているものだと思う。
「…………」
「……何?」
 ふと視線に気付けば、上着を脱いで隣に座ったエースが、じっとこちらを見つめているところだった。無言のまま、じっと。思わずそれが気になって問いただせば、「いや、本、読まないのかなと思って」とエースは笑った。
「本? ああ、さっきの……でも、ここは暗いから」
 城と違ってたくさんの照明があるわけじゃない。カンテラのすぐ傍で本を広げたって、本を読むには少々薄暗く感じてしまうくらいだ。
「でもせっかく眼鏡を買ったばかりじゃないか」
「だからこそよ。せっかく買ったのに、目が悪くなったら本末転倒じゃない」
 こんなところで本を読んでは、目に悪いのは明らか。眼鏡を掛けて目が悪くなってしまいました……では意味が無い。確かに続きは気になるが、それは城に変えるまで、お預けだろう。
「ふーん、色々難しいんだな。じゃあ、俺だけ掛けようかな」
「……は?」
 今、なんて言った?
 思わずアリスが問い返そうと、エースの顔を見つめ返せば。
 エースは、懐から出したケースから眼鏡を取り、あっという間に掛けてしまった。その眼鏡には、見覚えがある。さっきの店で、まさに「胡散臭い」と称した、あの時のフレームだ。
「ちょっと、それ……!?」
「買ったんだよ、俺も。君が眼鏡を作っている間にね」
 しれっと言うエースだが、いつの間にと言うしかない。確かにアリスは視力を測って眼鏡を注文する間、少しだけエースの傍を離れたけれど……その間に? しかし、いくらなんでも、同じ店内で同じように眼鏡を作っているのに、気付かないなんて……。
「はははっ、そんなに驚いた? まあ、俺は別に目なんて悪くないから、こっちのレンズはただの飾りなんだけど」
 エースが面白そうに笑って、レンズを指差すのを見て、少し納得する。
 要するに、彼はアリスが視力を測っている間に、手早く会計を済ませてしまっただけなのだ。視力を測るスペースは限られるから、同時に眼鏡を作れば嫌でも視界に入っただろうが、今回の場合は違う。過程をすっ飛ばしていたのなら、眼鏡作りに集中していた最中に、気付かず見落としてしまっても仕方ないだろう。
「でも、なんだって……」
「んー……?」
 しかし、エースは今自分でも言っていたように、目なんてこれっぽっちも悪くは無いはず。眼鏡なんて、本当は買う必要の無い人だ。それなのに、どうして眼鏡をわざわざ買ったりしたのだろうか。
 首を傾げるアリスを、薄く笑って見つめ返しながら、エースは答えを言おうとしない。はぐらかすように笑うだけ。眼鏡を掛けたその顔は、いつもより含みを感じさせて……底知れぬなにか、があるような気がして、アリスの背筋がほんの少し、ぞくりとする。
「……ねえ、アリス。さっき、眼鏡が似合うのってどんな顔か、って聞いた時、本当は、誰を思い浮かべたの?」
「え?」
 何の話だっけ、と一瞬思い出せなかった。けれどすぐに、ペーターと、ゴーランドと、それからブラッドとユリウスの名前を挙げた、あの店での会話のことだと思い至る。
「本当は……って、本当も何も……」
 あの4人だけよ、と続けようとした言葉は、身を乗り出してきたエースに呑まれて喉の奥へ引っ込んでしまう。次の言葉が紡げない。一瞬、呼吸すら止まってしまうくらいに。
「だって君、前に言ってたじゃないか。元の世界で付き合っていた男がいるって」
 一瞬、感じたのは。背筋が凍るような冷たさか、それとも胸が破裂しそうな程に飛び跳ねる衝撃か。おそらくはどちらでもなくて……ああ、それとも。その両方なのか。
 震える吐息が届くほどの距離から、エースは笑みを浮かべて語りかけてくる。いつもとは違うレンズ越しだからこそ、その目が決して笑っていないことが、より一層強調される。――されてしまう。
「その人、帽子屋さんに似てるけど……でも、いつもずっと眼鏡を掛けているところが帽子屋さんとは違うって、言ってなかったっけ?」
 いつだったか、確かにその話を一度、どこかで、何かの折にした事があったと思う。
 あれはいつ、どこでだっただろう。
 思い出せない。
「眼鏡くらいじゃ人間の見た目なんて、そんなに変わらないと俺は思うけど……ユリウスだって、眼鏡1つじゃ何も変わらないしね。でも……ねえ、アリス。君、帽子屋さんに眼鏡が似合うって、そう思ったってことはさ……その男も、眼鏡が似合う奴だったんだろう?」
 あのとき、思い浮かんだのはペーターとゴーランド、そのすぐ後にブラッド、それからユリウス。
 いつも眼鏡を掛けている2人の、そのすぐ後に。ユリウスよりも先にまず、誰よりも早くブラッドの名前が出てきたのは。
「……その男のこと、思い浮かべたからじゃないの?」
 意識してのことでは無かったとしても。無意識のうちにどこかで、そう考えていたからに違いないだろうと、そう覗き込んでくるエースの瞳。笑っているのに、ただただ笑いながら語りかけてくるだけなのに。それは、どんな尋問よりも厳しく、アリスを追い込んでくるかのよう。
「その男は、どんな風に君のことを見て、どんな風に君の隣にいて、どんな風に、君に触れてきた?」
 ひとつひとつ、言葉を口にしながら、エースは自分が唱えたそれと同じ振る舞いに出る。
 アリスを見つめて、アリスのすぐ隣に身を寄せて、それから。
 エースは笑い続けたまま、指先をアリスに伸ばした。頬へ、首筋へ。ゆっくりとなぞるように滑らせていく。
「っ……」
 その感触に、息が詰まる。
 息が、苦しい。
 呼吸が上手くできない。
 ただ笑って、優しく触れてくるだけのはずの指先が、どうしてこんなにも残酷に感じてしまうのか。
「ねえ」
 問いかけるような囁き。
 でも、あの人のことを思い出す余裕なんて無い。そもそも最初から思い出してすらいないし、こうしていても、脳裏にそれが浮かぶことも無い。視界を埋め尽くすのは、ただただ黒と……ほんの少しの、赤だけ。
 僅かな火だけでは照らしきれない彼の姿と、明かりを受けても、どこか仄暗い赤の瞳だけ。
 指先は、相も変わらずアリスの首筋を這う。一見手荒いようでいて、優しく――けれど冷たく。
 いつだって、あと少し力を込めるだけでアリスを痛めつけ、殺してしまう事だって出来てしまう、その両手が……アリスの首筋を、そっと、緩やかに行き来している。
 今、ここにいるのは、いつもとは違うエースだ。――けれど、紛れもなくこれは、彼自身。
 爽やかな笑みは残酷な色に。歪んで見えるのは見慣れない眼鏡姿のせいなのか、それとも――。
「教えてよ、アリス」
 そう言われても分からない。思い出せない。今のアリスに分かるのは、エースの囁く声がもたらす吐息と、触れる指先と、そこから伝わって帯びてくる熱だけ。それしか分からない……感じられない。
「……分からないわ、そんなの。だって……あなたの事しか考えられないんだもの……」
 小さく呼吸を繰り返して、何度目かにやっと言葉を載せて吐き出す。かすれた声で、それだけを紡ぐのがアリスにとっては精一杯だった。随分と、たどたどしい言葉になっていた事だろう。
「ふーん……」
 それを聞いたエースは、感情の読めない声でそう呟いただけだった。あれだけ笑みが浮かんでいた顔が、今だけは無表情。何の感情も読み取れない姿を、アリスもただ何も考えられないまま、見上げ返すだけしかできない。
「……なら、そういう事にしておいてあげるよ、アリス」
 それから一転して、笑みを浮かべたエースから優しげな囁きがアリスに降った。眼鏡を掛けていても、これは、いつものエースだ。
 張り詰めていた糸が緩むように、アリスがホッと息を吐き出すと……その力が抜けた体ごと引き寄せて、エースが隙間から入り込む。

 ――だけど、この先もう二度と、眼鏡を思い浮かべたときに俺以外のものを考えられないようにしてあげるから、覚悟しててくれよ、アリス。
 それは囁きなのか、幻聴なのか。
 どこからかそんな声が、聞こえたような気がした。



invidia――嫉妬。



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2012/08/04  以前眼鏡なエスアリ書こうよ!な企画サイト「メガネの国のアリス」さんに寄稿したものです。サイトが公開終了になったので、自分の所に再掲しました。
 眼鏡をかけたアリスは可愛くて、きっとエースは腹黒!と思ったことが全ての始まりです(笑)そこから色々とひねり出してこんな作品に。真っ黒エースは、書くの難しくて大変だと思うことが多いのですが、これはスラスラっといけました。結構いい作品になったんじゃないかと!(自画自賛)
 タイトルはラテン語で「嫉妬」の意です。七つの大罪の一つですね。私が英文字タイトルを付けるのは、とても珍しいのですが、この話にはこれしかないだろう!と思ったので付けました。
 結構気に入ってるタイトルです。