悪巧み


「それで? 何を探したらいいの?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 アリスの問いにグレイは手帳を開くと、必要な書類の内容を書き出していく。
 クローバーの塔の資料庫。ここには様々な資料や処理の完了した書類などが収納されている。
 用は済んだが念のために保管しておく必要がある書類や、頻繁に使うものではないが時々は使用することがあるので破棄することのできない資料……そんな、使う頻度は高くないが、取っておきたい本や書類の類を保管しておくための場所だ。
 中はとても広く、用途などによって分類して収納はされているものの、必要なものを探すには少々……かなり骨が折れる場所でもある。
 探したい書類があるから手伝ってほしいと、そうグレイに頼まれたのは、ついさっきのこと。その具体的な内容をグレイは手帳の白紙に書き出すと、そのページを破ってアリスへ寄越した。
「アリス。君にはこれを探すのを頼みたい。まずは以前の会合の議事録が2つ。この棚の場所は分かるな? それからナイトメア様への陳述書についてまとめたファイルから、この名前のファイルとこの名前のファイルを取ってきて欲しい。これは収納されている大まかな場所は分かるが、具体的にどの棚のどこに収納されているかまでは分からないので、順に当たってほしい。範囲は……」
 受け取ったメモへ目を通すアリス。反対側から同じようにメモを覗き込んだグレイが、彼自身の文字をなぞりつつ詳しい説明をしていく。
 手元に、影が落ちる。ふと前髪が触れ合いそうな距離。
(……近いわ)
「……わかった」
 アリスは一歩下がると、早速書類を捜しに行くというそぶりでグレイから離れた。グレイに頼まれたものは、全て向こうにある。だからグレイに背を向けたのも、決して他意があってのことではない。そう、特別な理由なんて、何も……無い。
(そうよ。ちょっと近かったから驚きはしたけど……別に)
「探してくるわね」
 アリスはそう自分へ言い聞かせながら、グレイを振り返ると、書架と書架の間をすり抜けていく。

「え、っと……」
 議事録は何度かここへ取りに来たことがあったから、探すのはそれほど難しくなかった。手馴れた仕草でグレイから頼まれた2つの議事録を探し、抜き取り、左腕で抱える。
 問題は、残るファイルの方だった。
 ナイトメアへの陳情を系統ごとにファイリングしている中から、たった2つだけのファイルを探さなければいけない。ファイルの並び順に規則性は無く、書架を順に当たって探すしかない。
 アリスは左下にしゃがみこむと、ひとつひとつファイル名を追いながら右へ移動していく。左から右へ、そして下から上へ。こうして探していくのが、一番効率がいいだろうと判断してのものだ。
 書架を半分ほど当たったところで、頼まれたファイルの1つを見つけ出す。あとは、残りひとつ。しらみつぶしに当たっていくアリスだが、なかなか見つかってはくれない。
 新しい書架をまた左下から探し始め、いつの間にかしゃがんでいた体を立ち上がらせて、更にそろそろ爪先立ちになろうかというほど、かなりの部分の確認が終わった頃だった。
「あれ……よね」
 すっかり上を見上げる格好になっていたアリスは、見覚えのあるフレーズに足を止まると、さっきグレイから貰ったメモを取り出す。
 書かれている文字は、一字一句も違うことなく、すべて同じ。
 間違いない。
 だがアリスの身長では手を伸ばしても届かない。
(確かどこかに……あった)
 アリスは脚立を探すと、それを持って戻ってくる。足場は不安定になるが、これだけ高さがあれば、アリスでも届くようになるはずだ。アリスは上に乗ると、目当てのファイルへ手を伸ばす。
「……わ……!?」
 ぐらり。
 体が傾いたことに気付き、慌ててバランスを取ろうとする。が、今度は反対側へ行き過ぎてしまう。
 アリスはすっかり忘れていたのだ。自分が今、その手に3冊も分厚くて……重いファイルを抱えていることを。左にだけ、不自然に加わった重さと、そのアンバランスさが、アリスの体をよろめかせる。
(落ちる……!)
 ぎゅっと目をつぶる。しかし、どれだけ待っても衝撃は訪れなかった。
 かわりに……大きな何かに、包まれるような感触。
「……間に合ったようだな」
「グレイ……」
 それがグレイの腕、大きな胸板によるものだとようやくアリスは気付く。グレイはなんということは無いという様子で、そうして後ろからアリスを支えたまま、書架を見上げた。
「どれだ?」
「え? えっと……それ」
 指差せば、グレイが「ああ」と呟く。なにせ彼自身が指示したファイルだ、アリスが指差さなくっても、グレイならすぐにきっと見つけてしまっただろう。
「よ、っと……これで全部のようだな」
 手を伸ばしたグレイは、アリスが苦労しても届かなかったそのファイルを軽々と掴んだ。長身の彼ならば、苦労するような高さではない。だが、だからこそ、余計な手間を取らせてしまったと気持ちが滅入るし、それに……。
(……そろそろ、離してくれないかしら……?)
 グレイは今もアリスの体をしっかりと支えたままだ。もうすっかり脚立の上でバランスを取り戻し、これが必要な用事が済んでしまった今、そもそも、もうここに乗っている必要など無いというのに。
 下手にグレイが後ろから支えているため、脚立から降りるに降りられない。身動きの取れない状況と、この体勢で、その……困る。
 そんなアリスの心中に、気付いているのかいないのか……。
 グレイはアリスを見下ろしながら、ふっと笑う。
「まったく……君は、本当に危なっかしいな」
「……ううっ」
 思い当たる節が無くも無いので余計に困る。むむむ、と押し黙るアリスの左腕から、グレイはファイルの束を取り上げた。
「これだけ重ければ、バランスを崩してしまっても仕方ないが……これだから、目が離せなくて困る」
 そう言って、グレイはアリスの腰に腕を回した。驚く暇も無いうちに、そのままグレイはアリスの体を脚立の上から抱き上げ、そして、床へ下ろす。
 まるで、抱き寄せるようにして。
「――次からは、遠慮しないで俺を呼ぶんだ」
 耳元に吹きかかる吐息混じりの声に、頬が思わず熱を帯びる。その囁きの余韻だけを残し、グレイはアリスの体を手放した。
「っ……!」
 なにか、言おうとしたのに、喉元から声が出てこない。
 真っ赤になりながらグレイを振り返るだけの格好になったアリスへ、グレイは何も無かったかのように、いつもの、上司で大人の立ち位置に戻って、振る舞う。
「君のことだから、俺の手をわずらわせてしまうと懸念したんだろうが……こんな目に遭う方が、余程心臓に悪いからな」

(……心臓に悪いのは、こっちよ!)
 叫びたくなるのを飲み込んで。アリスにできることは、飄々としているグレイの袖を引いて「用が済んだなら戻って仕事に取り掛かりましょう」と早口でまくしたて、逃げるようにしてこの部屋を立ち去ろうとすることだけ。
「……………」
 左腕に無価値な、理由付けのためだけにリストアップした資料を抱え、右腕を真っ赤になった彼女に引かれながら、グレイは意地の悪い顔でうっすらと笑んだ。
 ――すべてが計算通りであることを、アリスは知らない。

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2011/11/11  PSPジョーカー発売記念SSのグレイ編が、ちょっと物足りない内容になってしまったのが悔やしくて、そのリベンジのつもりで書いたSS。
 グレイはわるいひとです。
 満足。