グレイ=リングマーク~狡い大人~
「あっ、アリスだ! アリスだアリス、アリスってば何してるの?」
塔の廊下を歩いていたアリスは、そう走ってきたピアスの声に振り返った。
「ピアス。それにボリスも」
ちょこまかと回るピアスの後ろから、片手を上げたボリスが歩いてくる。アリスはといえば、ちょうど時間が空いたから、書庫にでも行って何か本を借りて来ようかと思っていたところだ。
取り立てて用事があるわけじゃない。そのまま、出会った友人達となんとなく立ち話になる。
「あっ、そうだ。ねね、アリス、最近街にできたハンバーガー屋さん知ってる?」
「ハンバーガー? ううん、新しいお店なんてできたのね。美味しいの?」
「美味しい、美味しいよ。すっごく美味しい! じゅわじゅわして、とろとろしてて美味しいんだ!」
「お前が気に入ってるのはハンバーガーそのものじゃなくて、それに乗ってるチーズのことだろ? ……その店、チーズが特盛なのがウリなんだよ」
「ああ、それで」
ボリスの補足に思わず噴き出した。ピアスがチーズに目が無い事は、アリスもよく知っている。
「そう、チーズがすっごく美味しいんだ! あ、そうだ。アリス、今から食べに行こう? 食べに行こうよハンバーガー!」
「え? そうねえ……」
そこまでピアスが勧めるなら、と、アリスが頷きかけた時だった。
「……アリス」
「あら、グレイ。……どうかした?」
向こうから歩いてきたグレイが、アリスの名を小さく呼んで押し黙る。何かを考え込むような仕草に、首を傾げれば。
「いや……君は確か、この時間帯からまた次のシフトじゃなかったか?」
「え? あ、時間帯が……」
窓の外では晴れ渡った青空が、夕焼け色に移り変わっていくところだった。
(でも、これの更に次の時間帯から……だったと思ったんだけど……)
アリスはてっきり、もう1時間帯後からの勤務だと思っていたのだが、この世界の時間の移り代わりはとても気まぐれ。アリスが気付かないうちに、目まぐるしく、いつの間にかもう1時間帯経ってしまっていたのかもしれない。
「アリス、仕事なの?」
「うん。ピアス、そのお店はまた今度誘ってくれる?」
「もちろん、もちろんだよ! アリス、今度ね!」
じゃあまた、と二人に別れを告げて、アリスはグレイと歩き出した。
仕事となれば行き先は、ナイトメアの執務室か自分達のデスクがある部屋か。今二人が向かっている先は後者、2人の本来の職場だ。
もっとも、なんだかんだで結局、ナイトメアの執務室にいる事の方が多かったりするのだが……。
「あれ? アリスさん、どうしたんです?」
「またナイトメア様が何かやらかしたんですか?」
二人が入っていくと、同僚達が驚いた顔で出迎えた。
なんでだ? と首を傾げてみれば、
「え? だってアリスさん、勤務は次の時間帯からの予定だったじゃ無いですか」
同僚の1人が、壁に張り出されているシフトカレンダーを指しながら言う。時間帯が変わるたびに印をつけ、スケジュールを管理しているカレンダーは、確かにアリスの勤務は次の時間帯からで、今はまだ休暇中だと示している。
どうやらアリスの記憶の方が正しく、グレイの方がズレていたらしい。
「ほんとだ……すまない、アリス。私が君のシフトを覚え間違っていたせいだな」
後ろに立ったグレイが、それを確認して詫びてくる。休暇、それも友人と一緒だったところを邪魔してしまったと、申し訳なさそうにしているグレイへ、アリスは「ううん、気にしないで」と笑う。
グレイがそういったミスをするのは珍しいことだが、不思議と怒る気にはならなかった。誤解や勘違いは、誰にだってあるものだ。
それに、アリスも急な用事があったわけではない。実際残りの休暇をどうすごそうか考えあぐねていたくらいだ。グレイがそんなに、気に病む必要なんて無い。
とはいえ、もう1時間帯分の時間が、ぽっかり浮いてしまう格好になってしまった。
今からまたピアス達と……というのも、ちょっとどうかと思うし。やっぱり書庫にでもいってみようかしら、とアリスが考え込んでいると。
「……その、アリス。もし良ければ、このまま出勤を1時間帯早めて貰えないだろうか」
「え? グレイ……?」
グレイにしては珍しく、おずおずと切り出してくる。
「君の休暇を邪魔しておいて、こんな事を頼むのは気が引けるんだが……ちょっと仕事が溜まり気味で困っていたところなんだ。君が、俺の仕事を手伝ってくれると、とても助かるのだが」
アリスは思わず噴き出した。なるほど、部下の休暇を邪魔した挙句、仕事場まで連れてきて働かせるだなんて、なんて極悪上司だろう。けれどアリスは、決してそうは感じない。グレイがそこまで言うのなら、余程手伝って欲しいくらい困っているのだろう。
「いいわよ、そういう事なら手伝うわ。でも、出勤する分は、ちゃんとまた今度代休をちょうだいね?」
「もちろん」
わざと茶目っ気を出したアリスの意図はグレイにも通じたのだろう。苦笑しながら短く頷くと、あとはもう普段通りの顔に戻る。
「では、まず資料庫からいくつか持って来たい書類がある。探すのを手伝ってくれ」
そう言って歩き出すグレイの隣に並ぶ。いってらっしゃい、と送り出してくれる同僚達に行ってきますと言葉を返して、アリスはドアを閉めた。
「……なあ、今のって……」
「ああ、そうだろうなぁ。グレイさんがわざとやってること、アリスさんは気付いていないみたいだけど」
「仕事口実にして、2人きりになりたいだけですよね、あれ」
残った同僚達は少しだけそうして2人の噂話をしていたものの、すぐに元の仕事へ戻っていく。
「グレイも、まだまだだなぁ」
執務室ではひとり、書類の山を前にしたナイトメアが、心底おかしそうに笑いながら呟いている。
誰にも気付かれないように嘘を散りばめて、アリスを独占しようと欲深に企んでいる様は、すっかり部下達に筒抜けだ。
グレイがアリスのシフトを間違って覚えているはずが無い。ボリスとピアスを遠ざけたのは、わざとだ。そうして大義名分を掲げて一緒に過ごせる時間を増やし、同僚の男達すら遠ざけるために資料庫なんかへ篭ってしまう。
グレイの考えている事が読めなくとも、そんな事などお見通しだ。気付いていないのなんて、まさに当のアリス自身だけだろう。
好意を抱いているグレイの「嘘」に、知らず知らず絡め取られている。
それを自覚する頃には――もう、逃げられない。
「……この時間帯くらいは、可愛い部下達のために、少し真面目に仕事でもしてやるか」
小さく笑って、ナイトメアは書類に手を伸ばした。
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2011/10/27 グレイって、なんていうか「大人」とは少し違うと思うんですよね。クローバーでのイベントにあるマーキングもそうですけど、「欲深さ」「独占欲の強さ」はかなりある方じゃないかなと。それを「大人」の仮面で隠して騙している感じがグレイかな、とこういう感じに。わるいひとです。
マーキングのイベントもそうでしたが、「アリスだけが気付いていない」(周囲は気付くくらい牽制しまくっている)というところがポイントかなと思ったので、同僚さんとかナイトメアとか色々出してしまいました。そのせいでちょっとグレイ度低くしすぎてしまったかもしれません。反省。