ナイトメア=ゴットシャルク〜悪夢〜


「ッ!」
 アリスは思わず飛び起きた。荒い呼吸を何度も繰り返して、辺りを見回す。
 ここは、アリスの部屋だ。クローバーの塔の中にある、アリスの部屋。
(私……)
 悪い夢を見て、うなされて目を覚ましたのだと、アリスは思い出した。けれど夢の内容までは思い出せない。目覚めたら、全て忘れてしまった。
 どんな夢だったのかは覚えていないのに、ただ恐怖だけが残っている。
(とてもとても怖い夢……)
 震えながら、体育座りの格好で膝に頭をうずめるアリス。と、その頭を優しい指先が撫でた。
「そうか。それは辛かったな」
(ナイトメア? どうして?)
 顔を見なくても分かる。この声の主は他にいない。
 ナイトメアがここにいるという事は、まだ自分は夢の中にいるのだろうか。
(悪夢から目覚めても、まだ夢の中?)
 乾いた笑いが口から出そうになる。が、ナイトメアは首を振った。
「違うよ。今は夢じゃない。私は確かに、ここにいる」
(……なら、どうして?)
 アリスの部屋の中にナイトメアがいるなんて、有り得ない。
「私は、この塔の主だからね。塔の中で起こることは、大体把握できる。……君の悲鳴が聞こえたから、飛んできたんだよ」
「でも鍵を……」
「私がその気になれば、そんなものは障害にならないよ。……無断で入ったのは謝る。だが、今はそうした方がいいと思ったんだ」
「そう……」
 ナイトメアを、責める気にはなれなかった。
 あんなに荒かった呼吸が、少し落ち着いている。体の震えもいつの間にか止まった。
 きっと、ナイトメアが一緒にいてくれたお陰だ。
 ひとりで飛び起きた真っ暗な部屋の中で、ひとりきりで恐ろしい悪夢に震えているだけだったら……きっと、こうはならなかった。
「……そうか。良かった」
 何も言わなくても、ナイトメアが安堵するのが伝わってくる。
 こういう時は、アリスが何も喋らなくても、読み取ってくれるナイトメアが有難い。
 ぽん、ぽん、ぽん。
 優しく載せた手を、ナイトメアは優しく動かしてくれる。まるで小さな子供をあやすように……心地よいリズムで、アリスの心を落ち着かせるように。 
「もう一度、眠るといい。君が眠るまで、こうして傍にいてあげよう。私が傍にいれば、悪夢を見ることは無い。私は――夢魔だからね」
 アリスを気遣うナイトメアの声が、ゆっくりと響く。アリスは促されるまま再びベッドに横たわると、目を閉じる。
「さあ……おやすみ、アリス……」
 ナイトメアの囁きの中、ゆっくりと意識が落ちていく。今度は、悪夢すら見ない、深い深い夢の中へ、落ちていく。

「!! っは……また……っ!」
 けれどアリスはまた、悪夢に苛まれて飛び起きた。
 あれから、ずっとこんな夜が続いている。何故なのかは分からない。でも、いつもいつも眠りに落ちようとすると、こうして内容も覚えていない悪夢に叩き起こされる。
 怖い、怖い、怖い。
 ただただ恐怖だけがアリスの脳裏に残滓を散らしている。
 どうしてこんなに怖いのか。
 一体、どんな夢を見ているというの……?
「アリス、また怖い夢を見たのか」
「ナイトメア……」
 こつんと軽いノックをして、返事を待たずにナイトメアが入ってきた。
 ほっと、こわばった心が緩んでいくのが解る。
 アリスが悪夢で飛び起きるたび、ナイトメアはいつもこうしてアリスの元へ来てくれた。あまりに悪夢を見続けているから、ずっと心配してくれているのだろう。
「どうして……悪夢ばかり見るのかしら……」
「そこまでは私にも分からない。だが……君が二度と、悪夢を見なくて済む方法なら、教えてやれる」
「え……?」
 アリスは思わずナイトメアを見返した。
 そんな方法が、あるの? なら……どうして今まで、黙っていたの?
「方法はある。が、実行するかどうかは、また別の話だからな」
 どうするかは君が決めるといい、と、ナイトメアはここのところ毎晩アリスに向けてくれる、その優しい声色で語りかけてくる。
「夢魔の傍にいれば、悪夢は見ない。そして私は夢魔だ。……君が眠るときは、いつもずっと、私が傍にいればいい」
 今のように、悪夢を見てから駆けつけるのではなく。
 悪夢を決して見なくて済むように、最初からずっと、傍にいればいい。
 でも、それはまるで……。
「……だから言っただろう。方法はあるが、それを実行するかどうかは別の話だと」
 ナイトメアはそれきり黙って、ベッドに転がるアリスの髪を、いつものように撫でてくる。
 ベッドに腰を下ろし、アリスを見つめながら――君が決めるんだ、と呼びかけるかのように。
「……迷惑じゃない?」
「必要とされるのは嫌いじゃない。特に、この力を望まれるのはね」
 そんな心配はしなくていい。だから、安心しなさい。
 そう優しく語り掛けてくる言葉は、今のアリスには、どんな甘露よりも甘かった。
「じゃあ、次に眠る時から、お願いしてもいい?」
「もちろん」
 そうと決まったら、もう安心だろう。今夜も眠りなさい……。
 ナイトメアの声の波に揺られ、アリスの意識は落ちていく。
「……おやすみ、アリス。今夜もまた、さっきの分まで、君にいい夢をあげよう」
 それを見届けて、ナイトメアの指先がアリスの頬をなぞる。
 ――アリスは、夢の本当の恐ろしさを知らない。そして何よりも……それを司る、とても恐ろしい夢魔のことを。
 自分の手の内で眠る少女を絡め取るように、ナイトメアはそっとキスを落とす。

 夢を司るナイトメア。
 ……この悪夢は一体、誰のもの?

戻る


































































2011/10/27  ナイトメアはタイトルそのまま「悪夢」をテーマに書きました。今回の作品群の中では、ブラッドの次に思いついたものなので、裏テーマは「狙った獲物は逃がさない」ということになるでしょうか(笑)。ハートの国でのナイトメアが好きなので、そっちの要素を強めに扱っています。
 かなりいい感じに出来上がったな、と思っている一作。今回一番のお気に入りだったりします。