ボリス=エレイ~首輪~
「こんにちは、アリス」
「ボリス? いらっしゃい。……ディーとダム、またどこかでサボってるのね」
庭を歩いていたアリスは、木の上から聞こえた聞き馴染みのある声に、その主を見上げた。ニッと笑ったボリスは、しなやかな動きで地面に降りてくる。
「でも、ごめんなさい。私も2人がどこにいるのか分からないの」
「違う違う、そうじゃない。俺、今日はアリスに会いに来たんだよ」
てっきりいつものように双子達と遊びに来たのかと思ったのだが、ボリスはそう言って目を細めた。
そうしていると、本当に猫のよう。
「私に?」
「そう。最近あんたに全然会ってないと思って。アリス、最近こっちに遊びに来ないよね。仕事、忙しいわけ?」
「忙しいって程じゃないけど、そうね、普段よりは少し」
身を乗り出すようにして、視線の高さをアリスに揃え、ジッとアリスの瞳を覗き込んでくる。奥の奥まで見透かしていきそうな、その視線がアリスはちょっとだけ苦手だ。
「ちえー、仕事かぁ。あんたって本当に真面目だよね」
「そんな事ないわ。普通よ、普通」
アリスからすれば、ボリスのように自由気ままに飄々と暮らしていける方が凄い。アリスでは、そんな生活はあっという間に行き詰ってしまうだろう。この世界に来てすぐの時に、自分から仕事がしたいと家主のブラッドにせがみ、こうしてメイドとして働いているように。
「普通ねえ……。でもあんたに会えないってのは、これでも結構寂しいんだけど。あーあ。俺、もういっそ、ここの猫になっちゃおうかなー」
「は?」
そうしたら、あんたとずっと一緒にいられるよねー、と真面目な顔で口にしているボリスに、思わず目が丸くなる。
「冗談……よね? まさかとは思うけど……」
「いいや? 本気だよ。あんたの飼い猫なら帽子屋さんもそうそう邪険にしないだろうし、きっと一緒に住まわせてくれると思うんだよね」
「居候の身でペットを飼うなんて……いやいや、そうじゃなくて。大体あんた、猫は猫でもそういう猫じゃないでしょ」
飼い猫って。
ボリスは猫でも、昔アリスが飼っていたダイナとは全然違う。猫の耳と尻尾は着いているけど、れっきとした人間だ。
(……だよね?)
ちょっと不安になってくるのは、この世界が色々アレなせいかもしれない。
「そういうもこういうも、猫は猫だよ。アリス、猫って言ったらひとつしかないだろ?」
その不安を更に後押しするように、このボリスの一言である。
「いや……でも……どうかなぁ……」
アリスが言葉を濁したのを、ボリスはアリスと別の意味に捉えたらしい。
「あんたの言う事なら、帽子屋さんは聞いてくれるよ。絶対。聞いてくれるに決まってるさ」
だから大丈夫だよ、安心して頼めばいい、とボリスはにっこり笑う。
(そういう問題じゃなくて……)
しかし、何をどう言ったものか。
自分をウサギだと認めないエリオットも面倒だが、ボリスみたいに自分は猫以外の何でもないと主張するのも困りものだ……。
「俺、誰かに飼い慣らされるなんて絶対にご免だけど……でも、あんたになら飼われてもいいな」
「……飼いません」
「えー?」
じゃれついてくるボリスに、アリスはきっぱり言い放つ。こういうのを曖昧にするのは良くない。ハッキリと、ボリスが変に期待したりしないように、アリスはぴしゃりと言い切った。
たとえボリスが不満そうにしていても。訴えかけるようにじっと見つめてきても、答えは変わらない。
「飼うとか……無理だもの。あ、でも、遊びに来てくれるのは嬉しいのよ? それは勿論、いつでも大歓迎だわ。今度また一緒に遊びに行くのもいいわね」
「……ちえ。そう言われると弱いんだよなぁ……じゃあさ、次はピクニックに行かない? 日向ぼっこに良さそうな野原を見つけたんだ」
髪をすくいあげたボリスは、それ以上食い下がりはしなかった。代わりに、ニッと目を細めて、そうアリスへせがむ。
「……ボリスが見つけた場所なら、きっと素敵なところなんでしょうね」
そういう場所を見つけてくることに関しては、ボリスはとても長けている。猫だから、なのかもしれない。センスがよくて、ボリスがそうしてアリスを連れ出そうとする場所は、いつも素敵なところばかり。いつだって、アリスはそこを気に入ってしまう。
だから、今回もきっとそうだ。そういう確信めいたものがある。
「いいわよ。約束ね」
「やった。なら、いつなら行ける?」
「確か、次の休みは……」
頭に入れておいたシフト表をひっくり返し、アリスがそれを伝えると、じゃあその日にしようとボリスは笑う。その時、時間帯が昼以外だったら、また改めて予定を考えればいいよね、と。
「そうね。その時はまたボリスの部屋へ遊びに行ってもいいんだし」
「そうそう。じゃ、アリス、楽しみにしてるから!」
またね、と木の上に飛び上がって、ボリスは敷地の方へ駆けていく。それをアリスは見上げながら見送った。
「あーあ。また今回も思い通りになってくれないんだからな、アリス」
枝から枝へ渡りながらボリスはぼやく。
狙いは確かにあったのに、決して思い通りには動いてくれない。でもそこがアリスの魅力でもある。難しいところだ。
「……ま、それに、帽子屋さん達に飼い慣らされている訳でも、縛られている訳でもないみたいだから、別にいいんだけど」
アリスは自分が思っているよりも、ずっとずっと自由だ。
今日もまたアリスは自由なままだったから、別にいい。今はそれだけで構わない。
ボリス自身は決して誰のものにもなる気は無いし、なりたいとも思っていない。けれど、アリスならこの首輪の持ち主になってもいいかなと、そう思ってしまう、矛盾。
ボリス自身の腕に繋がれた鎖は、決して誰のものにもならない証。でも、アリスになら。この鎖の先を渡してしまってもいい。
――それともいっそアリスを扉の向こうへ連れ去って、首輪をかけてしまおうか?
それはそれで楽しそうだけれど、今はこのままで。それだけでいいと、猫は頬を緩ませると、その奥に隠された牙を覗かせた。
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2011/10/27 「猫」として、するりとアリスの懐へ入っていく、それがボリスの切り札、かなと。ボリス自身にとっては、ごく普通のことかもしれませんが、周囲の他のキャラクターとの対比として捉えると、間違いなく切り札だと思うんです。だって他の誰にも出来ませんから。
ボリスはデザインが好きなキャラクターで、首輪と鎖の扱い方がとても好きだったので、今回そこをクローズアップしてみました。束縛を嫌う猫が、自分自身で掴んでいる手綱(鎖)を「あんたにならやってもいいよ」って言うのって、最上級の殺し文句だと思います。