エース〜楽しいことをしよう〜


「あれ、アリスじゃないか」
「エース? 久しぶりね」
 買い物に出かけようと城を出たアリスは、前庭でエースと遭遇した。しばらく姿を見かけなかったのは、おそらくまた、どこかで迷子になっていたからなのだろう。
「そうだね、君と会うのは随分久しぶりな気がするよ。そうだ、君、今は休憩時間なんだろう? ここでこうして出会ったのも、きっと何かの縁だ。久しぶりに一緒に出かけようぜ!」
「えっ!? ちょっとエース、私、街へ買い物に行くつもりで……」
「じゃあ目的地は街だな。そうと決まったら早速出かけようぜ、冒険の旅へ!」
(冒険するような距離じゃないわよ……)
 そう思ったけど、言わない。言うだけ虚しいだけだと知っているからだ。エースの方向音痴と、盛大な迷子っぷりは、今に始まった事じゃない。
 爽やかな笑みを浮かべ、ぐいぐい歩いていくエースに腕を引かれ、なんだかそのままついて行く羽目になって。結局いつの間にか、すっかりエースのペースにはまっている。エースと会うと、大体いつもこんな調子だ。
(調子が狂う……)
 その間にもエースは、首を傾げながらぶつぶつ呟いて、どこか明後日の方へ歩いていこうとする。
「エース。街はそっちじゃないわ」
「ええ? でもここを突っ切ったら近道になるぜ。どうせなら早い方がいいだろう?」
「……その道が本当に合ってればね……」
 アリスの記憶が確かなら、そっちは何をどう考えても街と反対方向だ。
 相変わらずの方向音痴っぷり。そのくせ『近道』などと称して、獣道どころか道の片鱗すらない場所へ突っ込んでいこうとするから、性質が悪いことこの上ない。
「もう。そんな所を歩いて、また……」
 いつかみたいに、クマに襲われたりしたら、どうするの?
 そう尖らせようとしたアリスの口は、残念ながら……あんぐりと開くことになった。
「……ははっ。俺って、本当についてないなぁ」
「あんたのは自業自得でしょ! ほんとについてないのは、こうやって付き合わされる私の方よ!?」
 悲劇のヒロインならぬヒーローぶってみせるエースに、思わずアリスは噛み付く。
 ぶーん、ぶんぶんぶん。
 目の前では外敵を察知した蜂の巣から、次々と蜂が飛び出している。
「ま、なってしまったものは仕方ない。……逃げよう!」
 エースはアリスの腕を掴み、一目散に駆け出した。エースのペースは速い。アリスなど到底ついていけるものではなく、ただエースに引っ張られていくだけの格好だ。
「ちょっとエース! あんた、どこに向かって逃げてるか分かってる……!?」
 エースを先頭にする恐ろしさは、身にしみて分かっている。せめてせめて、あまり迷わずに済みますように……と祈るアリスだったが。
 甘かった。
「あれ……あはは。行き止まりだ」
「ちょっ、笑ってる場合じゃな……ッッッ!?」
 行き着いた先は崖の上。背後からはブンブンと蜂の群れが迫る。真っ青になるアリスだったが、エースは「んー」と崖の下を覗き込むと、ぐいっとアリスを抱き寄せた。
 何をするの、と問いただす暇もなく。そうしてエースは、崖の下へ身を投げ出した。

「……死ぬかと思った」
「いやあ、ついてないよね、ほんと」
「誰のせいよ、誰の!」
 エースは崖下に生えていた木の枝葉をクッション代わりにしながら、地面に転がった。アリスにも衝撃はあったが、大きな怪我はしていない。勿論それはエースが庇ってくれたからだという事は理解している。
 しかし、しかしだ。
(心臓がバクバクいって呼吸がぜんっぜん戻らないことを怒るのは正当な行為、絶っっ対に許されると思うのよね!)
 深呼吸を繰り返しても繰り返しても繰り返しても、なかなか落ち着きは取り戻せない。からりと爽やかな笑みを浮かべているエースに、多少殺意めいた怒りを覚えても、決して誰もアリスを責めはしないはずだ。
「まったくもう……っぅ」
 立ち上がろうとして、アリスは顔をしかめた。右膝の少し下に擦ったような傷がある。落ちる途中でどこかに引っ掛けてしまったのだろう。
「……怪我、してるじゃないか。無理に立っちゃダメだよ。見せて」
 エースはアリスの右足首を掴むと、転がっている荷物を引き寄せ、中から水筒と布を取り出した。片手だけの慣れた手つきで水筒を開けると、アリスの傷口を洗い流す。
「っ……!」
「痛い? ごめんね、少しだけ我慢して」
 アリスの足が逃げようとするのを、エースの手が押さえつける。感覚が麻痺しそうになるまで、じっくりと洗い流されたそこへ、エースは布を当てた。押さえるように水を拭き取ったら、布を折り返して当てる面を変えて、固定する。
「はい、終わり」
「……準備がいいのね」
「騎士だからね」
 アリスの正面に座ったまま、エースは笑う。
「それにほら、俺ってついてないからさ。大抵の怪我は放っておけば治っちゃうけど、止血しなくていいかっていうと、また別の問題だからね。そのままにしておくと血で汚れるし……その匂いで変なものを呼んだり、痕跡が残って都合の悪いことになったりする」
 エースの表情は変わらないのに、彼の声は血生臭さと剣呑さを増していく。
(こんな風に怪我をして……そこを更に襲われたり、血の跡をつけられたりする事がある、っていうことよね……)
 詳しくは知らないが、エースの立場は恨みを買いやすいものらしい。色々な人に狙われていて、襲われることもしょっちゅうで……そして、それらを全て、その剣の腕前で退けてしまう。
 それでも決して怪我をしない訳では無い。だからこそ、彼はこんなにも手際がいいのだ。いつも自分自身にしている事だから。
「……さて、っと。行こうか、アリス」
「え? 行こうかって……ちょっと!?」
 押し黙ったアリスに、エースは何も言わなかった。ただ、そう笑いかけるだけ。
 さっきの今だ。足が痛んで上手く歩けないかもしれないと危惧するアリスだったが……。
 ひょい、っと。
 アリスの体は、宙に浮いた。エースが軽々と抱きかかえてしまったからだ。右腕を背中に、左腕を膝の下に……それもいわゆる『お姫様抱っこ』のスタイルで。
「なっ、ちょ、下ろして! 1人で歩けるわ!」
「ええ? だって君、怪我してるじゃないか。俺としても責任を感じちゃうし、さ。ちゃんと君の面倒を見てあげなくちゃ」
「大丈夫よ! だから下ろして、下ろせ、下ろしなさいっっ!」
 両腕でエースの体を振り払って地面に降りようとするが、アリスが腕を振り回してもエースが動じる様子は無い。両腕でがっちりアリスを掴んで、決して離さない。
「うーん……そこまで言うなら、怪我が治るまで、ここでゆっくり休んでいく? その方がいいなら、俺は別にそれでも構わないけど……うん、そういう事ならテントを立てて、君の事をじっくりと……介抱してあげるよ」
「!」
 エースは、いつもと何も変わらない笑みを浮かべてくるだけ。だからこそ……厄介だ。
「どっちがいい?」
「ど……どっちも嫌……」
 このままこんな格好で運ばれるのは嫌だが、ここに留まるのも……嫌な予感しかしない。
「ははは。君って、我侭だなぁ」
 どこがよ!? と反論してもエースは楽しそうに笑ったままだ。結局アリスはそのまま、エースに抱き上げられたまま運ばれてしまう。
「ほら、しっかり掴まっててよ、アリス。落ちたりしたら大変だからね」
 そう言ってエースはアリスの腕を自分に回す。
(よく言うわ。あれだけ暴れたって、これっぽっちも動じなかったくせに)
 エースは絶対にアリスを落としたりはしないだろう。彼自身が、そうしたいと望んだ時以外は。それでも……アリスは言いなりになってエースの体を掴んだまま、小さな溜息と共に押し黙った。
 今にも、火を吹きそうだ。

 ――アリスは面白い。騒いでいる時も、こうして大人しくなって俯いている時も、どちらも弱弱しくて、それがとても可愛らしい。
 アリスは、本当の意味で何を気にすべきなのかを忘れていた。アリスがこうなっている以上、歩くのはエース。エースが道を選んで歩く以上、すぐに城へ帰れるはずが無い。エースが迷うのなんて当たり前なのだから、放っておけば野宿になるのなんて確定だというのに。
 ――どちらにせよ、そうなるというのに顔を真っ赤にして可愛らしく抵抗するだなんて。
 やっぱり、アリスと一緒にいるのは、楽しいよ。
 不意に見上げた空は清々しい青空から、夜の帳へ移り変わろうとしていた。

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2011/10/27  えーっと、ノーコメントでもいいでしょうか……(何)