エリオット=マーチ〜ご主人様と下僕(いぬ)〜


「……平和だ」
 紅茶を飲みながら、ブラッドはしみじみと呟いた。
「オレンジ色の無い世界は、本当に幸せなものだ」
「大げさね」
 だがブラッドの気持ちも理解できなくはない。アリス達はついさっきまで、エリオットが満面の笑顔で抱えてきたオレンジ色の山のようなお菓子と戦わなければいけなかったのだから。
 部下に呼ばれたエリオットが席を外した後、2人だけになったテーブルは確かに平和だ。
「いくらウサギでも、ここまでニンジンしか目に入ってないって、すごいわよね……」
「これだけニンジン料理が好きなくせに、本人が自分のことをウサギだと思っておらず、犬だと思っているのだから性質が悪い」
 ニンジンなんて好きじゃないと真顔で言っておきながら、ニンジン料理に目を輝かせるエリオット。
 その矛盾は、ますます彼らの頭痛と胃痛の元である。
 深い深い溜息が二人の口から出ていく。
「……そういえば、あいつは最近随分とお嬢さんに尻尾を振っているみたいじゃないか」
「え」
(尻尾……?)
 いつも自分は犬だと主張するエリオットを、犬にたとえての発言なのだろう。
 確かにアリスは最近エリオットと親しくしている。だがしかし、尻尾という表現はどうにも……。
(……いや、的確かも……)
 否定しようかと思ったが、エリオットの様子が思い浮かべていると、その気がどんどん薄れていく。
(そうよね……確かに犬だわ。あれは……)
 あれもこれもそれも。確かに犬と言われた方が納得できる所が多々あるのがエリオットである。
「ふふふ、お嬢さん。飼い主ならば、飼い犬のしつけはちゃんとしておかなければ」
「飼い主って……。大体それはブラッドの方でしょう? 私にさりげなく押し付けようとしないで自分でやりなさいよ。……ついでに、オレンジ色の料理の数々についても、じっくり教え込んだらいいわ」
「……いくら私の言う事でも、あれが今更にんじん料理を控えるようになるとは思えないがね」
 アリスの声に、ブラッドは憂鬱そうな口調で呟く。

「……そういや、さっきブラッドと何の話をしてたんだ?」
 エリオットが戻ってきた後、茶会はお開きになった。アリスが一緒にエリオットの部屋へやってくると、エリオットは不意にそうアリスへ投げかけた。
「ん? エリオットのことよ」
 先程の会話を思い出し、少し苦笑しながらアリスは、エリオットが犬っぽいという話をしていたのだと軽く説明する。
「そういえばエリオット、ブラッドが寂しそうにしていたわよ。最近エリオットが私とばかり一緒にいるせいかしらね。ブラッドって、あれで案外寂しがりやなのかしら? エリオット、あなたもたまにはブラッドを構ってあげたら?」
 それから、アリスはちょっと悪戯心を忍ばせる。ブラッドは迷惑そうな素振りを見せつつも、エリオットからの思慕を受け入れるだろうことを知っているから。
 しかし……。
「……エリオット?」
 ふと彼の方を見れば、エリオットは複雑そうな表情を浮かべてじっと押し黙っていた。
 てっきりエリオットも「ブラッドが!?」などと目をキラキラ輝かせて喜ぶだろうと思っていたのに。
「――あんたは、俺があんたと一緒にいるより、ブラッドといる方がいいのか?」
「え?」
 ぽつりとこぼされた一言に、アリスは目を丸くする。
「……俺と一緒にいたくないってことか?」
「違うわよ、別にそういうわけじゃなくて……」
 どうしていきなりそうなったのか。アリスはいつだってエリオットが好きだ。この可愛いウサギさんのことが大好きだ。だから否定しようと口を開きかければ……それよりも先に、エリオットが身を乗り出して、アリスの上に覆いかぶさった。
 そのまま、押し倒される。ソファ代わりに腰掛けていたベッドの上で。
「ちょっ、エリオ……!」
「俺はあんたと一緒にいたい。それに、あんたがブラッドと2人きりで仲良くしているのも、本当はあんまり好きじゃねぇんだ」
 ……なんて顔をするんだろう。
 背筋がつぅっと寒くなるような冷たい顔。それでいて、アリスを見下ろす瞳は熱い。
 それに射抜かれて、アリスの体は動かない。動けない。呼吸すら忘れてしまいそうな程に。
「確かに俺はブラッドの犬だ。けど――あんたといる時は、物分りがよくて忠実な犬になんて、なりたくないね」
 いつもの、可愛らしいウサギさんの面影はもう、そこには無い。
 吐息が絡むほどの至近距離にいるのは、尻尾を振って無邪気にじゃれつくだけの犬でもない。
 荒々しくて飼い慣らせない、いたいけな少女なんてあっという間に食べてしまいそうな――狼。
 大胆さと不敵さの入り混じった瞳で、狼はアリスに喰らいつく。

 ――誰が、誰のご主人様……?

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2011/10/27  エリオットは普段ああですが、別に可愛いウサギさんでも従順な犬でも、どちらでもないと思うんですよね。いざという場面に出る、酷薄な表情が本当は本性のはずで。その部分が切り札にもなる……というイメージで書きました。