もし何か困ったことがあったら、発寒5条1丁目の「かみさま」宛に手紙を書いてごらん?
 ――北海道札幌市の西区で育った子供達の間で、こんな都市伝説が広まったことがある。「かみさま」宛に手紙を書いたら、その困りごとを神様が解決してくれるっていうんだ。
 でもね、発寒で神社があるのは11条3丁目。全然違う場所でしょう?
 なんでこんな都市伝説が生まれたのかは、わからない。けど、どうしても困ったことがあったら「かみさま」への手紙をポストに入れるんだって、そう信じている子供が確かにいるのも、本当のことなんだ――。

「「はあ」」
 それは、西区民センターのベンチで、千瑠璃が思わずため息をついた時だった。
 千瑠璃が声のした方を見ると、そこにいた彼も千瑠璃の方を見ていた。
「……おねえさんも、何か悩み事があるんだね」
「そっちも? 奇遇だね」
 たまたま偶然、同じように溜息をついた、ただそれだけの知らない相手だったけれど。千瑠璃がなんとなく少年の言葉に応えたからか、少年は「ねえ、良かったら、ちょっと聞いてよ」と、千瑠璃に向かって話し出す。
「僕さあ、片思いしてる女の子がいるんだけど、その子が引っ越すことになっちゃって。告白するかどうかで悩んでるんだよね。どう思う? おねえさんだったら、どうする?」
 はあ……。
 また溜息をつく少年だったが、その内容に千瑠璃はびっくりした。

(狐と恋煩い 冒頭より)



 その日、西野くんは『西野』の街並みを歩いていた。
 こうしてのんびり歩いていると、ふと懐かしい記憶が記憶の縁から顔を出して来ることがある。西野くんにとって、今日はそんな日だった。

 今ではこんなに整備されて、多くの人が行き交う西野だけれど、ほんの少し前を思い返せば、あの頃の西野――西野という名前すら無かった――この辺りには、人らしき人などまるで住んでいなかった。
 ただ、西野には江戸から渡ってきた人々と一緒に白狐がやってきて、社に祀られ、敬われていた。
(いいなあ)
 それを見た、チビっぽけたキタキツネの子供は、白狐を大層羨ましがった。

(狐と恩返し 冒頭より)



 ザァァァァァァァ……。
(やだ、雨?)
 それは突然の雨だった。天気予報では傘がいるような事はこれっぽっちも言っていなくて、空も妙に明るく晴れている。
 天気雨だ。
 それなら、すぐに通り過ぎてくれるかもしれない。
 とにかくどこかで雨宿りしようと、私は近くに見えた喫茶店に飛び込む。
「いらっしゃいませ」
 お好きな席へ、どうぞ、と勧められて、窓の外が良く見えそうな窓際の席を選ぶ。
 外は相変わらず明るいのに雨がじゃんじゃん降っていて、すぐには止みそうには無いように見えた。
(ああ、そういえば、こういう雨の事って、狐の嫁入りって言うんだっけ)
「……嫁入りかあ」
 今の自分の境遇と重ね合わせて、私は思わず呟いてしまっていた。

 私はもうじき、結婚する。
 相手は、同じ小学校に通っていた幼馴染だ。いつかきっとそうなるんだろうな、っていう延長線上にある結婚だった。大学を卒業して、就職したのを機に引っ越してしばらく離れていた西区だったけれど、結婚するのに合わせて新居を探すのには、やっぱり二人とも馴染みがある西区がいいんじゃないのかなって話になって。それで、久しぶりにこの西区へやってきたら……盛大に雨に降られて、足止めされてしまった。
(始発駅だから宮の沢はどうかなって思ったんだけど、ね)
 地下鉄東西線の一番端の駅がある街だから、と候補に考えたのは宮の沢だったけれど、他にこれぞとピンと来るものがあまり無かった。当たってみた物件も、今のところ「これ!」というのが無い。
(子供の頃はちょっと憧れだったんだけどな、宮の沢)
 住んでいたところから宮の沢はちょっと離れていたけれど、あの頃はといえば、ちょうど地下鉄が伸びて新しい駅ができて、チョコレートファクトリーに出かけると、ピカピカした綺麗な食器が並んでいて、工場から白い恋人がたくさん出て来るのに興奮して、お人形さんたちのキラキラしたパレードが楽しみで……。なんだか、とても賑やかで、わくわくした印象ばかりが残っている。

(狐と嫁入り 冒頭より)