ストレイシープ〜サンプル〜

恋は落ちるもの
赤薔薇の蕾
星降る森
迷う理由
舞踏会前夜
ストレイシープ



「なに言ってやがる! 戻れっ、今すぐ仕事にもーどーれ!」
「えー? やだよ!」
「誰がひよこウサギの言うことなんて聞くもんか〜」
 わなわなと震えるエリオットから、軽々とした身のこなしで逃げる双子達。その小馬鹿にするような口調がまた、エリオットに火をつけるというのに。
(分かってて、やってるんでしょうけど……)
 わざと、からかって楽しんでいる。長くは無いが、決して少なくも無い付き合いで、アリスはその事が分かる位にはなっていた。双子達から見れば、エリオットだって立派な上司のはずなのに、三人の様子からはそんな印象を受けない。まるで兄弟がケンカ混じりに、じゃれあっているよう。
「お姉さん助けて! ひよこウサギが苛めるよ〜」
「おいコラ、アリスを巻き込むなっつーの!」
 アリスの背中へ隠れるように逃げ込む二人を見て、やはりエリオットは声を張り上げる。
 三人が兄弟のようなものなら、アリスはきっと、こうして双子達とエリオットの中間にいる存在。ディーとダムにとってお姉さんなのだとしたら、エリオットにとっては妹分。
(男兄弟がいたら、こんな感じなのかしら?)
 アリスは確かに真ん中だが、いるのは姉と妹だけ。だから、まるで男兄弟が出来たみたいで、少し……くすぐったくなる。

(プロローグより)



「じゃあ、私そろそろ本当に、仕事に戻……」
「……そうか」
 今度こそ歩き出そうとして、するりと。何か違和感のようなものを感じて振り返る。そこでアリスが見たものは、いつしか伸びてアリスの髪を一筋、すくっているブラッドの指先だ。
 アリスが、見ているのに気付いて、ブラッドはそれを己の唇に引き寄せる。
「な――なに、して……っ」
「親愛のキスだよお嬢さん。仕事へ戻るんだろう? 頑張りなさい」
 息を呑んだアリスを見てブラッドは笑う。笑ってすぐにアリスの髪は手放された。けれど、アリスの体は動けない――動かない。
 ぽん、と制服のプチハットを掠めるようにして一瞬だけ頭に手を載せ、ブラッドは踵を返した。何も言わずただ、その笑みだけをアリスへ残して。
「〜〜〜〜なんなのよっ」
 その背中を、アリスは精一杯睨みつける。たまにこうして、ブラッドは人をからかってくるのだ。誰かに見られるかもしれない場所でだけ。現に、アリスが本を仮にブラッドの部屋へ行き、二人きりになったとしても、彼は何もして来ない。
 誰かに見られるかもしれない場所でだけ、ああする理由は何なのか。いくつか予想はできるものの、その本意までは分からない。ただ、どのような意図であれ――いきなりこうして遊ばれる方としては、たまったものじゃない。
「――もう」
 ディーとダムから姉のように慕われ、エリオットから妹のように可愛がられて……ブラッドからは。
(じゃあ、ブラッドは?)
 彼から一体どう思われているのか――どう思っているのか。

(プロローグより)



「わわっ! ちょ、ちょっと君! 退いてくれ!」
「……は?」
 がさがさという音と共に、声が頭上から降ってくる。一体何事だと見上げたアリスの顔に、影が落ちた。同時に視界へと広がるのは、落ちてくる一面の赤――アリス目掛けて落ちてくる!
「なっ……!?」
 驚きのあまり、目をつぶって体ををこわばらせる。でも、いくら待っても衝撃は無く――すぐ傍で、何かが落ちる音がした。
「……?」
 おそるおそる、目を開けたアリスが見たのは、すぐ脇で顔をしかめて地べたに転がっている、赤いジャケットの男だった。
「っ……あいたた……」
「だ、大丈夫?」
 悶絶の声がこぼれてきて、アリスは思わず気遣うように口を開いた。が、それとほぼ同時に、疑問が浮かぶ。
(……誰?)
 出入りする全員を覚えている訳ではないが、帽子屋の人間ならもうちょっと、そうだと分かる格好をしているはずだ。彼には、トレードマークの帽子が無い。
 しかも場所が極めつけ。門でも何でもない場所から木を伝い、柵を越えて入って来るだなんて、どう考えても普通ではない。
(敵対組織のスパイ? それとも暗殺者……!?)

(「恋は落ちるもの」より)



「――さん」
 はっと視線を上げたアリスは、すぐ目の前にブラッドを見た。
 薔薇を眺めているうちに、ぼんやりしてしまっていたらしい。
「やれやれ、ようやく気付いたか……お嬢さんは随分と、ここの薔薇にご執心らしいな」
「ご、ごめんなさい」
 ブラッドの様子を見るに、何度も呼びかけた後だったのだろう。
 溜息交じりのブラッドに、アリスは申し訳ない気持ちになる。
「いや、君がそこまで気に入ってくれたのなら、何よりだ。私としても招いた甲斐がある。ただ……」
 アリスの顔を覗き込んだブラッドの目が、微かに細められる。
「自分の手で丹精こめた花とはいえ、そう熱い視線を向けられている様は――」
 ……少し躊躇い、ブラッドは首を振った。いや、と小さく呟いた後「それよりお嬢さん」と気を取り直して笑う。
「いい蕾があるんだが、少し持っていかないか」

(中略)

 「こっちだ」と手招くブラッドについていく。大輪の花を咲かせていたのとは違って、まだ開ききっていない、固い蕾が並ぶ一角だった。
「飾れば、徐々に咲くのが楽しめるだろう。二、三輪ならどうだ?」
「……やめておく」
 じっと蕾を見つめ、アリスはそれを断る事にした。
「ここの薔薇は、ここで見た方が綺麗だもの。薔薇園だったら、すぐに来れるしね。また、ここまで見に来るわ」
 固い蕾のまま摘み取られ、アリスの部屋の花瓶で不自然に飾られるよりも、この薔薇園で自然に花開いていく様を見てみたい。
「ごめんね、折角勧めてくれたのに」
「いや……いつでも、また見に来なさい」
「うん」
 この蕾は花開いたら、どんな風に咲くのだろう。
 青々と茂る葉に囲まれた固い蕾を、じっと見つめて頷くアリスをブラッドはしばらく眺め、やがて、ふっと笑うと「よければ、お茶にしないかお嬢さん」と呼びかけた。

(「赤薔薇の蕾」より)



 飛び出してきた人影に、青白い月の光が降り注ぐ。
 全身を覆い隠すようにマントを纏った隙間から、覗く目の色は月明かりを浴びても赤く、赤くアリスを鋭く射抜いて……驚いたように、見開かれた。
「あれ、アリス!?」
「その声……エース?」

(中略)

(……嫌な予感がする)
「ねえ、エー……」
「あ、いけないいけない。立ち止まってる場合じゃないんだった」
 アリスが尋ねるよりも先に、エースは後ろを振り返る。その時ようやくアリスは、音がまだ途絶えていない事に気付いた。
 がさがさと駆ける音。目をやれば、エースを追ってくるのは――。
「熊!?」
「そうなんだよ。好かれるのは嫌いじゃないけど……熱烈すぎて参っちゃう、ぜ!」
 エースは手早くマントを脱ぎ、それを熊の顔目掛けて投げつけた。どうやら普段の服装の上に、マントを一枚羽織っていただけらしく、下からはいつもの、あの真っ赤な姿が現れる。
 一方、熊は直撃を受けて、思わずその足を止めた。視界を塞ぐそれを取り払っている隙に、エースはアリスの腕を取る。
「今のうちに逃げようぜ!」
「え、ちょっ……!」
(なんで、私まで一緒に!?)
 無関係なのに巻き込まないで……と思うアリスだったが。
 物凄い唸り声をあげて、速度を増す熊の足音を聞いては、そう言ってもいられない。偶然居合わせただけだとしても、あんなのに巻き込まれたらどうなるか。アリスは素直にエースと逃げる。
「どうしてこんな事になってるわけ!?」
「いやあ、顔見知りの熊なんだけど、気に入られているみたいでさ。会うと、よくじゃれついて来るんだよな。ははははっ」
「わ、笑ってる、ば、あい……っ!?」
 怒鳴りつけたいが、あっという間に息が上がって声にならない。
 エースのペースはとにかく早く、追って来る熊の存在も恐怖感を焦る。自然と駆り立てられ……アリスをどんどん消耗させる。
 それでもエースに引きずられながら走る。とにかく走って――どのくらい走ったか分からなくなった頃、エースが足を止めたのに合わせ、アリスも止まった。
「……ふう。振り切ったみたいだな」
「…………」
 声が出ない。ぜーはーぜーはー、呼吸するのでやっとだ。何故エースはこれだけ走って「ちょっと息が乱れました」位で済んでいるのか。信じられない。

(「星降る森」より)



「それにさ、そんなに悪い事ばかりじゃないぜ。たとえば、こうやって綺麗な星が見えたりするし」
 言いながらスプーンを向けた先、頭上には無数の星が浮かんでいる。時間帯が変わる時以外に空を見る事なんて、最近すっかり忘れていたけど、こうして改めて眺めてみると、綺麗だ。よく晴れて空気が澄んでいて、真っ暗な森の中での夜だからだろうか。
「星って、その時によって微妙に見え方が違うから面白いんだ。今日は小さな星まで、よく見えてる」
「へえ……それは、ついてたかも」
「そうだな、ついてる」
 どうせなら綺麗に、より多くの星が見れた方が嬉しい。アリスがそう口にすると、エースもまた頷いて。
「君とも、今までよりもっと、親しくなれた気がするしな」
「あんたね……」
 エースはいつの間にかアリスを見ている。あくまでも、どこまでも朗らかに。そう笑いながらの言葉は、何故かどこか意味深だ。
「……口説き文句みたいよ、それ」
「ふぅん、そう? 口説いて欲しい?」
「そんなわけないでしょ」
 はあ、とアリスが溜息をつくと、それを見たエースが笑う。
 そしてまた空を見て、エースはゆっくり星を数え始めた。アリスが余所者なのを知っているからか、それはまるで星をアリスに教えるかのように、名前と由来を挙げながら。
「……詳しいのね」
「まあ、結構好きだから。つまらなかった?」
「ううん。そういうのを聞くの、嫌いじゃないし。ただ、星に詳しい訳じゃないから、ただ聞くだけになっちゃうけど」
エースの話に何を返したら良いのか分からないのと、純粋に話を聞くのが意外と面白いのと。それでつい、無言で耳を傾けてしまうのだが、特にエースがそれを気にしている様子もない。
 そうしてエースは話を続ける。いつもよりも穏やかな語り口のせいか、エースの声は意外と耳馴染みがいい。夜の森は静かで、あとはときどき火が爆ぜるくらい。声に耳を傾けていると、その重なり合ったリズムが心地いい。
(……いけない。眠い……)

(「星降る森」より)



「君がいるってことは……ここ、帽子屋さんの屋敷かあ」
 柵の向こうに立っていたのは、マントを羽織ったエースだ。
 どうせまた迷子なのだろう。毎度毎度毎度、懲りないわよねと呆れ顔のアリスに「そうなんだよなぁ、困っちゃうよ」と、全然困っているように見えない顔で告げてくる。
「あんまり困っていそうに見えないけど」
「まあ、ここに出るならマシな方だから。みんな親切だしさ」
(……確かに、熊に追い回されるよりはマシか……)
 エースがこちらに危害を加えなければ、とりあえず道を教えて追い払う……というのが屋敷の基本方針らしい。エースへの応対の仕方は、マフィアにしては平和的だ。「あんな面倒な奴とは遣り合いたくねーよ」というのがエリオットの言である。
(……そんなに強そうにも思えないけど)
 対立する領土の騎士、ではあるのだが、アリスにとってエースは「迷子になってばかりの友人」という感じで、あまり実感が湧かない。そんな感じだから、エースが迷って行き着く場所としては、確かにそう悪くないのかもしれない。
「でも、迷いすぎじゃない? しょっちゅう会ってる気がするわ」
「うーん、確かに……ここ最近は旅に出ると、いつの間にか帽子屋さんの所に来てるんだよなぁ」
 言われてみれば、とエースは小難しそうな顔をしている。
「最近がおかしいんだよな。今までもたまに来る事はあったけど、こんなに頻繁に迷い込む訳じゃなかったんだ」
「え、そうなの?」
 てっきり、前々からいつもこんなペースで迷い込んでいたのだろうと思っていたから、その言葉にアリスの方が驚いてしまう。
 迷子に理由なんて無いだろうけど、それにしたって急に帽子屋屋敷にばかり、迷い込むようになっただなんて。
「本当に、なんでなんだろうな」

(中略)

(……君が、ここにいるから迷い込むのかもしれない)
 柵越しに見えるのは、奮闘するアリスの後姿だけ。
 二人を隔てる柵に手をかけ、エースは軽く力を込めた。微かに軋んだそれは、しかしそれ以上歪みはしない。
 ――余所者は誰にでも好かれると、そう最初にエースへ教えたのは誰だったか。知っている事と、理解する事は違う。そういう意味で、エースにそれを思い知らせたのはアリス自身だ。
(君が城にいてくれたら、迷わず帰れるのかもしれないのに、な)
 エースにとっての、あの場所を変えてくれるかもしれない存在が、ここにいる――この、向こうに。

(「迷う理由」より)



 この辺りで大体半分くらい。話の内容が内容なので、エースとアリスのシーンが多いですが、帽子屋メンバーとのシーンや、ブラッドとのシーンもそこそこ、という感じ。アリスがいろいろ自覚して、葛藤するのはこの後です。今回は、エース視点のシーンもちょいちょい入れました。
 ブラッドは「恋愛イベントは起こっていないけど、薔薇園イベントの序盤が発生している」という設定になってます。ブラッドのお気に入り。エースと出会っていなければ……みたいな。エリオットの投獄話も絡めつつ、アリスが葛藤したり、手の中に閉じ込めようとしたり。

 登場するキャラクターはエースとアリスと、あとは帽子屋メンバーだけです。ペーターとユリウスは名前だけ。キャラクターを絞った分、それぞれのキャラの心の動きとか、みっちり書いた!気がする!

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