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三木秀夫法律事務所
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ニュース六法目次
尖閣諸島魚釣島の上陸中国人逮捕(2004年03年24日) 出入国管理法違
○2004年3月24日午前6時20分過ぎ、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島の領海内に中国船がいるのを警戒中の第11管区海上保安本部(那覇市)の巡視船が発見した。ボート2隻を下ろして活動家7人が分乗、11管の制止を振り切って午前7時20分、魚釣島に上陸した。島内で中国国旗を振るなどした。中国人とみられ、沖縄県警は約20人の警察官をヘリで島に派遣。全員を出入国管理法違反(不法入国)の疑いで現行犯逮捕した。(asahi.comのニュースより)

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○出入国管理法違反とは正式名称は「出入国管理及び難民認定法」という

出入国管理及び難民認定法
(昭和26年10月4日政令第319号)
(外国人の入国)
第3条  次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に入つてはならない。
一  有効な旅券を所持しない者(有効な乗員手帳を所持する乗員を除く。)
(以下略)
(罰則)
第70条  次の各号の一に該当する者は、3年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処し、又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する。
一  第3条の規定に違反して本邦に入った者
(以下略)

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○尖閣列島とは、八重山・宮古両列島の北で、台湾の北東の東シナ海に散在する小島と岩礁の総称で、現在は無人島になっている。詳しい位置などは、第一一管区海上保安本部のホームページを参照されたい。

○ここは、かつては日本人が居住していた。日本の明治政府が現地調査を行ない、日本人の居住と清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した上で、1895年(明治28年)1月14日に、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって、正式に日本国の領土に編入した。その後、日本人の手でかつお節工場がつくられ、日本が実質的に支配してきた。この編入過程を見る限りでは、侵略戦争などによる不当な領土拡張では無かったといえ.る。このあたりの事実関係については、田中邦貴氏のホームページがかなり詳細である。

○その後の日清戦争の講和条約(下関条約)(1895年4月17日)で、日本は中国から台湾・澎湖(ほうこ)諸島などの地域を得た。ちなみに、ここで割譲された地域は、第二次世界大戦後、中国に返還された。中国側は、この講和条約の第2条を口実に、尖閣はこのときに中国から切り離されたが、第二次世界大戦後の中国返還で中国の領土に戻ったと主張している。しかし、同条約第2条1項では、「遼東半島」、第2項では「台湾」、第3項には「澎湖列島」の各領域が日本に割譲される旨が書かれているが、尖閣諸島については一切言及されていない。 したがって、それに尖閣諸島は含まれていない。また、中国や台湾の地図でも、尖閣諸島は自国の領域外におかれていたようである。

○第二次世界大戦後は、沖縄領域としてアメリカ合衆国の施政に置かれたが、1971年(昭和46年)6月17日署名の沖縄返還協定で、翌年に返還され、現在は沖縄県に属している。

○この間、中国は、この諸島に関心を示さず、日本の領有に異議を述べることが無かった。しかし、沖縄返還直前の1969年(昭和44年)に、国連アジア極東経済委員会において、尖閣列島付近海域で天然資源が明らかとなって以来、中国及び台湾から領有権が主張され始めた。

○その後、日中間での大陸棚、排他的経済水域画定交渉の中で、この尖閣諸島の領有問題の意見相違がネックとなっている。両国とも署名している国連海洋法条約では、沿岸国の200カイリまでの海底を大陸棚としている。そして、海底の地形・地質次第ではそれを超えても大陸棚の外側限界線を広げることができる。そのためには、大陸棚の地形・地質データを国連に提出して認めさせることが必要で、日中ともその作業を行っている。ところが、この条約では相手国の排他的経済水域(EEZ)に勝手に入り活動することはできない。だが、両国間の境界線は、排他的経済水域についても大陸棚についても、尖閣諸島の領有問題ゆえに画定されていない。日本は、他にも対ロシアでは北方領土問題、対韓国では竹島問題を抱えている。

○以下に、
日本国政府の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」 と、

中国の主張として
「わが国が釣魚台列島に主権を有するという論拠」(台湾)
釣魚島(尖閣列島)に関する中国外交部の声明(1971年12月30日)(中華人民共和国)
を並べて、関連する条約を添付する。


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○日本国政府「尖閣諸島の領有権についての基本見解」外務省HP

尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。

同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び彭湖諸島には含まれていません。

従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。

なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。

また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。 

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○下関条約とは
日本全権鞭理大臣伊藤博文と陸奥宗光、清国全権李鴻章と李経芳が調印したもの。この条約で、清国は日本に対し@朝鮮の独立承認、A遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、B2億両(約3億円)の賠償金支払、C新通商条約の締結と最恵国待遇条款、D沙市、重慶・蘇州・杭州の開市・開港E条約履行の担保として威海衛の一時占領などの義務を認めた。ただし、日本はその後の「三国干渉」で遼東半島を放棄し、その代償として3000万両(約4500万円)を得ている。

下関条約
(1895(明治28)年4月17日日清戦争の講和条約1895(明治28)年4月17日)
第2條 清國ハ左記ノ土地ノ主權竝ニ該地方ニ在ル城壘兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス
一 左ノ經界内ニ在ル奉天省南部ノ地
  鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城海城營口ニ亘リ遼河口ニ至ル  折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル處ハ該河ノ中央ヲ以  テ經界トスルコトト知ルヘシ遼東灣東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ屬スル諸島嶼
二 臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼
三 澎湖列島即英國「グリーンウィチ」東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十  四度ノ間ニ在ル諸島嶼

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○日本国との平和条約/Treaty of Peace with Japan(サン・フランシスコ平和条約)
昭和26(1951)年9月8日にサン・フランシスコで署名
昭和27(1952)年4月28日発効(条約5号)

第2条(領土権の放棄)
(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c) 本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(d) 本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
(e) 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
(f) 日本国は、新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
第3条(信託統治)
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦(そふ)岩の南の南方諸島(小笠原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

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○沖縄返還協定(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)
署  名 1971年6月17日(東京及びワシントン)
効力発生 1972年5月15日
(日本国−71年12月22日国会承認、72年3月15日、批准書交換、72年3月21日公布・条約二号)

第1条(施政権返還)
1 アメリカ合衆国は、2に定義する琉球諸島及び大島諸島に関し、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第3条の規定に基ずくすべての権利及び利益を、この協定の効力発生の日から日本国のために放棄する。日本国は、同日に、これらの諸島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な機能及び責任を引受ける。
2 この協定の適用上、「琉球及び大東諸島」とは、行政、立法及び司法上すべての権力を行使する権利が日本国との平和条約第3条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち、そのような権利が1953年12月24日及び1968年4月5日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従ってすでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。

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○台湾の主張
台北中日経済文化代表処のホームページの中の「わが国が釣魚台列島に主権を有するという論拠」に詳しい。

(中国側の法的主張)
 1.釣魚台列島は「無主地」ではなく、日本は「先占」を主張できない。
上述の歴史的事実が証明するように、釣魚台は明代にはすでにわが国の官民によって発見、命名、使用され、また海上防衛区域にも組み込まれており、決して「無主地」ではなかった。よって、日本が国際法上の「先占」に基づいて主権を主張することは、もとより不可能である。1895年以前の300年以上、釣魚台列島は台湾に付属する島嶼であり、決して琉球の一部ではなかった。日本が釣魚台列島の主権を得たのは、日清戦争において清軍を破った後、その戦勝に乗じて同列島を占拠し、沖縄県に編入してからである。このため釣魚台列島は、日清戦争によって日本に割譲された台湾と同列に論じなければならない。

2.釣魚台列島は台湾とともにわが国に返還された1943年11月、「カイロ宣言」は「日本が占拠した中国のあらゆる領土、たとえば東北四省、台湾、澎湖群島などは中華民国に返還すべきである。このほかの日本が武力によって得た土地からも日本を退去させる」と定めた。 1945年7月、連合国側は「ポツダム宣言」において「カイロ宣言の条件は必ず実行される。また日本の主権範囲は本州、北海道、九州、四国およびわれわれが決定するそのほかの小島に限定する」と規定した。同年9月2日、日本は降伏する際の「降伏文書」においてポツダム宣言の受諾をはっきり宣言し、1952年、台北において結ばれた「中日講和条約」第2条においても、日本は台湾および澎湖の主権を放棄した。このことから、ポツダム宣言は日本に対し国際法上の拘束力を有している。釣魚台列島は、日本が日清戦争後に台湾とともに占領した中国の領土であり、カイロ宣言、ポツダム宣言、日本の降伏文書および中日講和条約に基づき、当然わが国に返還されるべきものである。

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○釣魚島(尖閣列島)に関する中国外交部声明(1971年12月30日)
(出典「現代中国ライブラリィ」のWEBサイトより)

「北京周報」10巻1号(外務省中国課監修「日中関係基本資料集」所収)
中国人民は必ず釣魚島など台湾の付属島嶼を取り戻す

日本佐藤政府は近年らい,歴史の事実と中国人民の激しい反対を無視して,中国の領土釣魚島などの島嶼(しょ)にたいして「主権をもっている」と一再ならず主張するとともに,アメリカ帝国主義と結託してこれらの島嶼を侵略・併呑するさまざまな活動をおこなってきた。このほど,米日両国の国会は沖縄「返還」協定を採決した。この協定のなかで,米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは,中国の領土と主権にたいするおおっぴらな侵犯である。これは中国人民の絶対に容認できないものである。

米日両国政府がぐるになってデッチあげた,日本への沖縄「返還」というペテンは,米日の軍事結託を強め,日本軍国主義復活に拍車をかけるための新しい重大な段取りである。中国政府と中国人民は一貫して,沖縄「返還」のペテンを粉砕し,沖縄の無条件かつ全面的な復帰を要求する日本人民の勇敢な闘争を支持するとともに,米日反動派が中国の領土釣魚島などの島嶼を使って取引をし,中日両国人民の友好関係に水をさそうとしていることにはげしく反対してきた。

釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に,これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており,それは琉球,つまりいまの沖縄に属するものではなくて,中国の台湾の付属島嶼であった。中国と琉球とのこの地区における境界線は,赤尾嶼と久米島とのあいだにある。中国の台湾の漁民は従来から釣魚島などの島嶼で生産活動にたずさわってきた。日本政府は中日甲午戦争を通じて,これらの島嶼をかすめとり,さらに当時の清朝政府に圧力をかけて一八九五年四月,「台湾とそのすべての付属島嶼」および澎湖列島の割譲という不平等条約−「馬関条約」に調印させた。こんにち,佐藤政府はなんと,かつて中国の領土を略奪した日本侵略者の侵略行動を,釣魚島などの島嶼にたいして「主権をもっている」ことの根拠にしているが,これは,まったくむきだしの強盗の論理である。

第二次世界大戦ののち,日本政府は不法にも,台湾の付属島嶼である釣魚島などの島嶼をアメリカに渡し,アメリカ政府はこれらの島嶼にたいしていわゆる「施政権」をもっていると一方的に宣言した。これは,もともと不法なものである。中華人民共和国の成立後まもなく,一九五◯年六月二十八日,周恩来外交部長は中国政府を代表して,アメリカ帝国主義が第七艦隊を派遣して台湾と台湾海峡を侵略したことをはげしく糾弾し,「台湾と中国に属するすべての領土の回復」をめざす中国人民の決意についておごそかな声明をおこなった。いま,米日両国政府はなんと不法にも,ふたたびわが国の釣魚島など島嶼の授受をおこなっている。中国の領土と主権にたいするこのような侵犯行為は,中国人民のこのうえない憤激をひきおこさずにはおかないであろう。

中華人民共和国外交部は,おごそかにつぎのように声明するものである−釣魚島,黄尾嶼,赤尾嶼,南小島,北小島などの島嶼は台湾の付属島嶼である。これらの島嶼は台湾と同様,昔から中国領土の不可分の一部である。米日両国政府が沖縄「返還」協定のなかで,わが国の釣魚島などの島嶼を「返還区域」に組み入れることは,まったく不法なものであり,それは,釣魚島などの島嶼にたいする中華人民共和国の領土の主権をいささかも変えうるものではないのである,と。中国人民はかならず台湾を解放する! 中国人民はかならず釣魚島など台湾に付属する島嶼をも回復する! 
                                            弁護士 三木秀夫

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