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三木秀夫法律事務所
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ニュース六法目次
謎のピアノマン…英で保護の男性(2005年05月19日)         記憶喪
「謎のピアニスト」が欧州で話題になっている。 先月7日、英国南東部海岸のシアネスで、ブランドの黒いスーツを着てずぶぬれになっている金髪男性が保護された。

20代か30代とみられる男性はおびえた様子で一言もしゃべらず、病院に収容された。 しかし、紙を渡されるとグランドピアノの詳細な絵を描き、ピアノの前に連れていくと、チャイコフスキーの「白鳥の湖」からビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」まで、長時間にわたって見事に弾きこなしたという。 この話が「ナゾのピアノマン」として英国で報道されると、欧州各地から500件を超える身元照会の問い合わせがあった。 英BBC放送は、ハリウッドが、この男性をモデルにした映画製作に関心を示していると報じている。(2005年05月19日読売新聞【ロンドン=土生修一】)

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○記憶喪失のピアノマンが話題になっている。イギリスの海岸でずぶ濡れのタキシード姿で発見され、現在、病院に収容されている。発見されてから、一言も話さず、ピアノだけ弾いているという。話題が話題を呼び、いまや全世界に報道されているのに、いまだに信憑性のある情報が寄せられていないのが、まことに不思議である。もしかしたら、別の時代からタイムスリップしてやってきたのではないか、という気もしてきたが。映画の宣伝ではないかという意見も根強くあるが、それならば、いっぱい食わされていることとなるが、ある意味で面白い宣伝でもあろうか。

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記憶喪失と言えば、平成15年7月25日、和歌山簡裁で記憶喪失のため氏名不詳のまま住居侵入罪で起訴された男性被告の判決公判が開かれ、岡田功裁判官は求刑通り罰金10万円を言い渡したことが報道されたことがある。

その際の報道によれば、男性は5月、和歌山県美里町の空き家に侵入したとして逮捕、起訴された。弁護士などによると男性は40歳ぐらいで身長176センチ。やせ形で眼鏡を使用している。わずかに福岡県遠賀町立島門小学校の校歌の一節を覚えている程度で身寄りも分からず、男性は「旅費を稼いで遠賀町に行きたい」と希望していたという。

判決を言い渡した後、裁判官は「裁判所として今後のあなたに何ら力になれず残念。1日も早く記憶を取り戻せるよう頑張ってください」と語り掛けたとのことである。

男性は直ちに釈放され、犯罪者予防更生法による保護を求めて和歌山保護観察所に申し出た。同法による更生緊急保護が認められた場合、男性は更生保護施設で保護され、宿泊や飲食の費用は国が支給する。その後のことは、報道があったかどうか知らない。

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○こういう事件も報道がされたことがある。(2002年7月29日毎日新聞)
〜判決 氏名不詳の男に有罪 「記憶喪失だが責任能力ある」と 

氏名不詳のまま窃盗罪で起訴された男に対する判決公判が29日、倉敷簡裁であり、武内和夫裁判官は「名前など過去の生活のすべての記憶を喪失しているが、車を運転して逃げており、識別能力をすべて欠いているとは言えない」として、事責任能力を限定的に認定し、懲役8月、執行猶予3年(求刑懲役1年)を言い渡した。

判決によると、男は昨年2月12日深夜、岡山県倉敷市内のコンビニエンスストアの駐車場で、乗用車(時価70万円相当)を盗んで逃げ、逮捕された。取り調べで住所、氏名を特定できず、倉敷区検は「笠岡警察署留置番号6号」として男を起訴した。男は30歳前後とみられ、裁判官らの質問に「分からへん」を繰り返し、自分のことを「6(ロク)さん」と呼んでいた。弁護側は起訴事実を認めたうえで、刑事責任が問えない心神喪失状態を主張。検察側は「刑事責任を免れるための詐病」としたため精神鑑定され、「一時的に記憶や判断能力を失う解離性障害」との鑑定が出た。武内裁判官は「犯行時は心神耗弱状態だった」とした。弁護側、検察側とも控訴しない方針。

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○また、今回のピアノマンとよく似た事例が日本でもあり、海岸で記憶喪失者が発見され、その後に本人が誰かも不明のまま、戸籍を作る「就籍許可申立」が家裁になされ、これが認められた例が、家裁月報に掲載されている。

この事例は、いわゆる記憶喪失者からの就籍許可申立事件において、申立人が発見された状況、申立人が陳述した断片的な記憶及び病院におけるアミタール・インタビューの結果等から、申立人が日本国内で生まれたものと認めるのが合理的かつ自然であり、また、申立人がこれまで1度も就籍したことがないものとは認め難いが、本件においては、申立人の本籍を知ることができないものとして、申立てを認容した。(戸籍法119、戸籍法110−1)

ピアノマンは、ピアノがプロ級との事であったが、この事件での男性は、自動車運転の専門的知識があり,日本国内の地理・観光地の知識に非常に詳しく,プロの運転手であったのではないかとのことであったが、結局、身元が不明のままであった。

○就籍許可申立事件 
水戸家庭裁判所昭和63年10月7日審判/昭和62年(家)第687号
出典:家庭裁判月報41巻4号82頁
(人名は仮名)

主 文
 申立人が次のとおり就籍することを許可する。
 本籍      ○○県○○○郡○○村大字○○×××番地
 氏名      島浦一郎
 出生年月日   昭和16年11月3日
 父母の氏名   不詳
 父母との続柄  男

理 由

第1 申立の趣旨及び理由
申立人は,昭和59年11月2日夜○○県○○○市○○○○海岸において記憶喪失状態で発見され,翌3日から同県○○○郡○○村大字○○×××番地医療法人○○○○○○病院(以下,「○○○病院」という。)に収容されたが,3年を経過した現在に至るも自己の全生活史についての記憶を回復せず,このまま,○○○市の世話になり続けて年老いて行くのに耐えられず,社会復帰して人間らしい生活を送りたいので,主文掲記の就籍事項で就籍することを許可する旨の審判を求める。

第2 当裁判所の判断
1 認定事実
本件記録によれば,以下の各事実が認められる。
(1)昭和59年11月2日午後6時30分ころ,○○県○○○市○○○○海岸の岸辺から50メートル位の海中に,腰まで海水に浸かって佇立している男を通りすがりのアベックが発見して警察に連絡し,男は午後8時ころ警察に保護された(申立人は,〈波打際でずぶ漏れになっている状態で気がつき,どうしてそのような所にいるのか分からないまま,遠方に人家の灯らしい光を認めてその方に歩き出したところ,後方から来た男女に声をかけられた〉と申述しており,発見時の状況に若干の食い違いが見られるが,これは,通行人が申立人を発見した時点と申立人が意識を回復した時点とのずれによるものと解される。)。警察からの連絡により,○○○福祉事務所が男を引き取ったが,住所・氏名も分からず,記憶喪失状態であると認められたため,翌3日午前10時15分福祉事務所員
は,警察官同道のうえ,男を○○○病院に連れて行き,緊急入院させた。
(2)男は,ベージュのワイシャツ,ワインレッドのセーター,ベージュのジャンパー,えんじのフード付きヤッケ,紺のジーンズという服装で,ALBAのデジタル腕時計,黒の革靴を身につけていたが,所持金はなかった。なお,○○○警察署防犯係長によれば,男の左腕の手首から10センチメートル位上部に長さ3センチメートルの切創が認められ,自殺するための創傷と思われたという。
申立人によれば,〈保護された直後警察官にいろいろと聞かれたが,頭の中にあったのは強い赤い閃光と砂山だけで,言葉の言味もよく分からなかった。翌日病院に行ってからは,言葉の言味は分かったが,自分が何者か思い出せなかった〉という。
(3)○○○病院では,男を2年間は閉鎖病棟に入れ,3年目からは開放病棟に移した。農作業や園芸などの作業療法を行っているが,器用で何でも上手にやる。他人とのコミュニケーションはよく,読書好きである。酒は好きなようであるが,病院の規則に従い,飲酒しない。健康状態は良好で,知能は普通域である。社会一般の過去の出来事については結構知っているが,自分に関する過去は分からない。地図や道路事情については非常に詳しい。言葉に訛りはあまりないが,群馬県か埼玉県の人の話し方に似ていると思われる。年令は55−6歳位ではないかは思われる。○○○署で指紋照会をしたが,該当者は発見出来なかった。同署では,県内各警察署に申立人の人相・着衣を記入した書面を配布し,○○県警察本部からも,全国の都道府県警察本部に申立人の写真を電送して手配したが,該当者発見の報告はない。
(4)申立人の陳述によれば,〈親兄弟のこと,育った場所,学校の名前など,全く思い出せない。幼少時のことで思い出せるのは,祖母がいて,大変躾に厳しかったことである。空襲のことは覚えていないが,B−29は知っている。高いところを一機飛んでいた。小学校に上がるか上がらないころ,朝鮮動乱があり,くず鉄を拾って年長の者に売ってもらい,菓子を買い食いしたのを祖母に見つかり,ひどく叱られたのを覚えている。小学校の近くに木のアーチの橋のかかった川があり,遠くに山が見えた。20歳のころ,人工透析を受けていた結婚相手の女性が死亡した。そのため,私はまだ結婚していないものと思う〉という(これに対し,○○○病院におけるアミタール・インタビューの結果によれば,申立人は,家庭の不和で家出した意味のことをいい,妻と娘の名前を挙げて激しい憎悪感情を示し,殺してやるなどと述べたという。)。また,申立人によれば,〈登山・渓流釣り・潜水が好きで,経験がある。音楽は,ポップスが好きで,カーペンターやブラザース・フォーをよく聴いた。中学生になったかならないころ,ぺレス・プラードが来日したのを覚えている。○○○病院のカラオケ大会では,前から知っていた「ガラスのジョニー」を歌って2位,「赤と黒のブルース」,「中の島ブルース」で1位になった。以前は大学・高校の入試問題が解けたと思うが,問題集を見ても解けなかった〉という。〈横文字はある程度分かるかもしれない〉というので,英語の本を読ませたところ,〈英語だと思うが,犬が星を見ているようなものである〉と答えた。
(5)申立人は,自動車運転の専門的知識があり,日本国内の地理・観光地の知識に非常に詳しく,観光バス運転手をしていたことが推測されるので,関東近県(茨城・千葉・埼玉・東京)の公営・私営のバス会社等に申立人発見当時の状況を記載した書面を送付して身元確認調査を行ったが,該当者を発見するに至らなかった。

2 就籍要件
就籍は,本来本籍を有すべき者,換言すれば,日本人であって,いまだ戸籍に記載されていない者について認められる。そこで,申立人について,これらの点を検討する。
(1)申立人については,その父母を知ることができないから,父母の国籍から申立人の国籍を明らかにすることはできない(旧国籍法−−明治32年法律第66号−1条ないし3条参照)。
そこで,申立人の場合が旧国籍法4条に定める「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母力共ニ知レサルトキ」に当たるかどうかについて検討すると,申立人が日本国内で生まれたことの直接証拠はない。しかし,申立人が日本国外で生まれ,その後本邦に入国したものであることを窮わせる証拠も皆無である。そして,上記のような申立人の申述する断片的な記憶によれば,申立人が幼少のころから日本国内で成育したことが明らかであり,これと申立人の言語,風貌,日本国内の社会現象・地理等に関する知識その他諸般の事情を総合すれば,申立人は日本国内で生まれたものと認めるのが合理的かつ自然である。したがって,申立人は,旧国籍法4条により,日本国民であると認められる。
(2)つぎに,申立人がいまだ戸籍に記載されていないかどうかの点であるが,申立人が日本国内で生まれた者と認められる以上,その推定年令,記憶している限りの成育歴など諸般の事情に照らしてみても,申立人がこれまで一度も就籍したことがないものとは考え難い。しかし,上記のような事情で,申立人の本籍の有無を知ることができないので,このような場合には就籍は許されるものと解すべきである(上記認定事実からすれば,申立人が家族との不和から家出し,自殺を企てて果たさなかったものとの疑いがないではないが,それ以上に,申立人において,他の犯罪ないし前科を隠蔽するため,殊更に本籍を秘匿し,就籍を申し立てたものと疑うべき資料はない。)。
(3)以上のとおり,申立人については,その就籍を許可するのが相当であるから,進んでその就籍事項につき次項で検討する。

3 就籍事項
(1)本籍
申立人の希望するとおり,現に申立人の居住する○○○病院の所在地である「○○県○○○郡○○村大字○○×××番地」とするのが相当である。
(2)氏名
申立人の希望するとおり,現に申立人の仮の氏名として通称している「島浦一郎」とするのが相当である。
(3)出生年月日
申立人の出生年月日を知る手掛かりは,きわめて僅少である。申立人は,〈昭和16年ないし18年生まれの人と話が合うので,その辺の年齢と思う。えとは覚えていない。50歳過ぎという人もいるが,自分では45歳から48歳まで位の間と思う。出生年月日は,昭和16年11月3日でよい〉と申述している。○○○病院では,申立人の年齢を55−6歳位と見ており,申立人がB−29の飛来(遅くとも昭和20年8月以前)を記憶していることと併せて考えると,申立人の生まれたのは昭和10年より前ではないかとも思われる。他方,朝鮮動乱時(昭和25年6月ないし28年7月)に小学校入学前後であったとの申述からすれば,昭和20年前後の生まれということになり,決め手に欠ける。要するに,申立人の生まれた年を客観的に確定することはできないのであって,そうだとすれば,申立人の申述する昭和16年が誤りであるとして排斥すべき根拠もないこととなるから,特段の事情のないかぎり,申立人の申述するとおりに認定するのが相当である。
次ぎに,申立人の誕生日については,これを知る手掛かりは皆無といってよい。申立人の申述する「11月3日」は,同人が○○○病院に収容された日であるという以外に特段の意味を有しない。したがって,申立人の出生年月日を「昭和16年以下不詳」とすることも考えられないではない。しかし,社会生活上満年齢を月日まで正確に算定する必要のある場合もしばしば有りうるから,できるかぎり出生の月日まで特定しておくことが申立人の今後の社会生活に利便であること,申立人の出生の月日を11月3日と特定することによって,戸籍上その他の行政面で,あるいは申立人の公的・私的生活面で,特段の不都合を生じるものとは考えられないことを併せ考慮し,申立人の申述するとおりに認定するのが相当である。そこで,申立人の出生年月田よ,「昭和16年11月3日」と認定する。
(4)父母の氏名
上記のような事情で,これを知ることができない。
(5)父母との続柄
(4)に同じ。

第3結語
よって,主文のとおり審判する。
(家事審判官 半谷恭一)
                                            弁護士 三木秀夫

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