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三木秀夫法律事務所
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ニュース六法目次
花田家のお家騒動「二子山」名跡問題(2005年06月14日) 年寄名跡の承
○行方不明となっている年寄名跡「二子山」について、貴乃花親方(32=元横綱)は13日、生出演したテレビ番組で身内しかあり得ないと指摘した。日本相撲協会葬も終わり、今後、年寄名跡「二子山」、東京・中野区の貴乃花部屋の土地・建物を含めた財産分与問題が本格化していく。

年寄名跡「二子山」の所在についてだけ、貴乃花親方は慎重な言い回しになった。「身内しかあり得ない」。具体的な名前を明言しなかった。それだけ、同親方にとっては重要な問題だ。(2005年 6月14日 日刊スポーツ)

○日本相撲協会の貴乃花親方(32=元横綱)が7日、故二子山親方(享年55=元大関貴ノ花)の財産分与について穏便に対処していく考えを示した。財産の一部となる年寄名跡「二子山」の証書の所在が不明であることを明かし、所在確認を含めて今後遺族間で話し合うことになる。タレントの兄勝氏(元横綱3代目若乃花=34)との新たな口論の内容も判明し、兄弟仲のわだかまりは依然くすぶっている。(2005年06月08日 日刊スポーツ)

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○大変な騒動である。若・貴の確執がエスカレートする一方である。

この13日に亡二子山親方(元大関・初代貴ノ花)の日本相撲協会葬が国技館で営まれた際、長男の花田勝氏(元横綱・3代目若乃花)と二男貴乃花親方(元横綱・貴乃花)らが参列したが、その後、貴乃花親方がテレビ番組の多くに生出演し「テレビに出て私に反論すべき」と挑発している。亡二子山親方は、どれだけ悲しんでいるだろうか。
 
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○ここで浮上してきた問題がある。亡二子山親方が継承した「二子山」の年寄名跡証書について、貴乃花親方は証書の所在を知らず、行方不明とのことである。現時点では亡二子山親方が取得しており、今後の継承者は未定である。北の湖理事長は、この件に関して「所在を確認することが先決で、協会は有資格者しか取得、襲名を認めない」とする一方で、相続を主張している貴乃花親方について、年寄株の複数取得は認められておらず、現時点での二子山株取得や継承は不可能であることを明らかにしている。今後、この問題の帰趨は遺恨を残す可能性もある。

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○貴乃花親方は2003年3月に「山響株」を取得している。「貴乃花」自体も譲渡不可能な「一代年寄名跡」であるため、山響株を取得していても複数取得には該当しない。ところが、これに今回の「二子山株」を同親方が取得することになれば、日本相撲協会の規定に抵触することになる。

○「日本相撲協会寄附行為施行細則」が手元にないうえに、インターネットで検索をかけても規定条文そのものが出てこないので、詳細は分からないが、伝え聞くところでは、次のような規定があるようである。

(1)年寄名跡の取得・継承に関する規定には、「年寄名跡の複数取得は認めないものとする」とあり、続けて「ただし、やむを得ない事情がある場合は理事会に複数取得の許可申請をし、承認された場合は、この限りではないものとする」としている。
(2)しかし、年寄名跡の取得・襲名・継承に関する規定第10条(寄付行為施行細則附属規定)によれば、条件付きで3年間に限って遺族が手元に保有することができる。3年を経過しても手元に保有している場合は、その年寄名跡を「預かり名跡」として年寄に預ける必要がある、とのことである。

○この規定(条件付きで3年間に限って遺族が手元に保有することができる)は、通常はおかみさんが相続して保有することになるそうである。しかし、二子山親方は憲子夫人と離婚していることから、子である若貴兄弟に保有権が発生していることになり、協会を去った勝氏にも保有権がある。どちらが単独で保有し処分するかは、遺言書があれば財産分与としてはっきりするであろうが、なければ協議で決めるしかなく、それが進まない場合は家庭裁判所での調停の方法もある。

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○また、仮に貴乃花親方に帰属させるとしたならば、更なる問題があるようである。北の海理事長によれば、年寄株の複数取得は認められておらず、現時点において、「山響株」を取得している貴乃花親方が二子山株取得や継承は不可能であることを明らかにしている。(ちなみに、譲渡不可能な一代年寄名跡である「貴乃花」も取得している。)

こういったことから、貴乃花親方でなくとも二子山株を保有できるため、たとえ行方不明というその株が出てきたとしても、現状では貴乃花親方の取得は不可能な状況である。これを取得する方法としては、「山響株」を手放すしかない。

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○以上のことから、いずれが双子山株を取得しても、貴乃花親方が「山響株」を手放す以外は、これを他者に譲渡するしかない。しかし、日本相撲協会は年寄名跡を継承する際の金銭授与は原則的に認めていないことも、話をやっかいにさせている。

○そもそも年寄名跡とは、協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名称で、一代年寄などを除くと105ある。一般に「年寄株」、「親方株」と呼ばれる。著しい功績のあった横綱に贈られ継承ができない一代年寄があり、また横綱は5年間、大関は3年間、現役名で年寄資格が与えられる特権がある。

○105あるこの年寄名跡を取得するには厳しい条件があり、日本国籍を有する者で、横綱・大関、三役を1場所以上、幕内通算20場所以上、関取通算30場所以上、部屋継承者のいずれかに該当すれば襲名継承ができる。現役引退後に日本相撲協会の運営や力士養成に当たるために必要となる。

この年寄名跡を所有していれば、日本相撲協会から安定した給料を得て協会運営にあたれる。すなわち、日本相撲協会寄附行為及び同施行細則等によれば、相撲部屋の運営は、一定の経歴をもつ力士出身の年寄名跡保有者のみが行うことができるものとされ、また、年寄には、部屋を運営しながら日本相撲協会の仕事をする「部屋持ち親方」と、部屋に属して後進の指導と日本相撲協会の仕事をする「部屋付き親方」とがあり、部屋持ち親方となる年寄名跡は、105ある年寄名跡のうち、55ないし56である。協会から支給される給与については、部屋持ち親方であると部屋付き親方であるとにかかわらず、役職に応じた金額が支給される。部屋持ち親方については、これに加えて、力士を養成するための費用として、力士人数に応じた部屋維持費・稽古場経費等の多額の手当が支給される。このために、現実問題として非常に高値で取引されているのが実態である。後援会から親方株の取得代金を提供された取得資金の申告漏れを指摘されたこともある。現役時代に活躍した力士であっても、引退後にこの名跡を取得できずに協会に入らずに去っていった者も多い。これを取得する金銭的余裕のない者は、名跡を借りて襲名することがある。これを「借り名跡」というそうである。この場合は協会の役員になることはできないし、部屋を開くことも許されない。この「借り名跡」について、所有者がはっきりとされていなかったこともあって、非常に不透明な事例があり、問題となったようである。そのため、平成10年に、相撲協会が「貸し借り、複数所有も禁止」と「所有者の公開」という改革を実行するとともに、新たに準年寄が設けられた。ただ、これが現役力士による取得や年寄引退による空き名跡が増加するという問題が生じ、4年後の平成14年には、再度、借り名跡の容認が決定されている。
                                         
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○この年寄名跡は、105と数が限られていることから、当然に経済における需要と供給のバランスから、譲渡価格は跳ね上がっており、現在の相場は1億数千万円から2億円ではないかとみられている。

○この年寄名跡を巡っては、注目すべき判例がある。
年寄名跡「立浪」をめぐり、先代の立浪親方(元関脇羽黒山)が、現在の立浪親方(元小結旭豊)に、襲名継承金(譲渡代金)1億7500万円の支払いを求めた訴訟である。

○その裁判の経緯について、一審の判決(年寄名跡襲名継承金請求事件・平成15年2月24日東京地方裁判所判決)が認定した事実によれば、おおむね次のとおりである。

先代の立浪親方(元関脇羽黒山)【以下、先代親方という】は、日本相撲協会の理事会の決議を経て、昭和44年10月、年寄名跡「立浪」を襲名継承し、平成11年2月まで親方の地位にあった。先代親方は、現役力士引退後、昭和44年、当時の時価である1400万円を支払って、別の年寄名跡を襲名継承したが、その年の10月に、同名跡を1000万円で売却し、年寄名跡「立浪」を襲名継承した。他方、現在の立浪親方(元小結旭豊)【以下、現親方という】は、前頭を経て、最高位は小結であったが、平成11年2月、現役力士を引退した。

現親方と先代親方の娘とは、平成6年2月ころ知り合い、約半年の交際を経た後婚約し、翌平成7年4月に婚姻した。同時に、現親方は、先代親方夫婦と養子縁組も結び、両名の養子になった。当時、先代親方は、立浪部屋の親方として同部屋の運営に当たっていたが、いずれ先代親方が日本相撲協会の定年に達したときには、力士として親方の継承資格のある現親方夫婦に、立浪部屋の運営を引き継がせる考えであることを、現親方夫婦らに話していた。

先代親方が定年に達した平成12年2月に、現役を引退した現親方が年寄名跡「立浪」を襲名継承した。しかし、その際は、現親方から先代親方に対し襲名継承金の支払はなかった。

現親方は、年寄名跡を継承してからは、立浪部屋の運営等をめぐって先代親方と折り合いが悪く、また、婚姻生活も、現親方の女性問題や子供に対する冷淡な態度、春子の家事に対する現親方の不満や金銭管理面での対立等が原因となって、次第に円満さを欠き疎遠になっていった。
 
先代親方夫婦は、平成12年8月に、東京家庭裁判所に家事調停申立てをし、現親方に対し、離縁を求めるとともに、年寄名跡「立浪」の襲名継承対価の支払と建物明渡を求めた。しかし、調停は、現親方が離縁に反対したため不調となった。

その後、先代親方が現親方に対し、年寄名跡「立浪」の襲名継承金の支払を求めて、本訴を提起した。また、先代親方夫婦及びその娘は、現親方に対し、別訴として、離婚等、離縁等、建物明渡等の各訴訟を提起した。これに対し、現親方は、先代親方に対し、現親方の引退相撲興業の利益の返還請求訴訟などを提起した。

○この訴訟は、年寄名跡の襲名継承金の請求の肯否とその金額が問題となった事案である。

原告である先代親方は、被告である現親方との間で、相撲界の慣習に従った相当の金員を授受するとの口頭による合意が成立したもので、その金額は1億7500万円であると主張した。

他方、被告である現親方は、@そのような口頭による合意が成立した事実はないとし、また、A原告の主張する「相撲界の慣習」の内容及び「相当の金員」の意味は不明確であり、契約の内容自体が確定しておらず、かかる契約に基づく原告の請求は、具体性・特定性を欠き、主張自体失当であること、B原告は、被告に対して、被告が現役力士を引退して、原告の養子になることを条件に、無償で年寄名跡を襲名させたものであり、原告から被告に対する年寄名跡の襲名継承は、実質売買ではないし、年寄名跡の襲名継承に当たり対価を授受するとの相撲界の慣習もないから、被告には、原告に対し、相当額の襲名継承金を支払う義務はないこと、C日本相撲協会は年寄名跡が売買によって取引されるものではないとの原則を堅持しており、仮に原告の本件請求が認容されるとすれば、この原則を真っ向から否定することになり、かかる観点からも原告の請求を認められない、との主張を展開した。  
 
○一審の東京地裁判決は、平成2年に行われた先代親方と現親方らの会合において、現親方に対して襲名継承金として相当額の金員を支払わせる旨の発言があったとき、現親方がこの点につき、何ら異議を差し挟まず、むしろ支払うことを自認するかのような態度に出ていたこと、年寄名跡を襲名継承することは、通常大きな利権を伴うこと、年寄名跡の継承について無償の例はほとんどなく、特段の事情のない限り、無償での襲名継承はあり得ないことなどを指摘し、その上、先代親方現親方間において相当額の襲名継承金を支払う旨の口頭の合意があったとして、支払い義務を認めた。

その中で、日本相撲協会は、協会の立場においては年寄名跡襲名継承の際の金銭の授受を認めていない点との関係に触れて、「年寄名跡は、角界において、日本相撲協会の関与なしに、事実上、財産的価値のあるものとして売買が行われてきたこと、年寄名跡の日本相撲協会帰属と売買の禁止を骨子とした日本相撲協会の改革が親方衆の反対によりとん挫したことは、前認定のとおりであり、かかる年寄名跡の有償による継承は、いわゆる年寄株の売買であって、私人間の契約自由の原則の適用される領域の範囲内のものであり、日本相撲協会内における是非論はともかく、契約当事者間における私法上の効力を否定しなければならないほどの事情はなく、公序良俗に反するとか、強行法規に反するということは到底できない」として、年寄名跡襲名継承の際の金銭の授受の約束は無効ではないことを判示した。

さらに、同判決は、その対価に関して、年寄名跡を襲名継承した年寄は部屋持ち親方となること、その部屋は過去において有名力士を輩出し、数多くある相撲部屋の中でも伝統のある名門に属すること、部屋付き親方になるにすぎない年寄名跡の襲名継承に関して1億7500万円が支払われたことを指摘した上で、今回の年寄名跡の襲名が養親から婿養子に対するいわば身内内部の継承であること、現親方が婿養子に入ることを先代親方も希望していたことを考慮に入れても、1億7500万円を下回ることはないとし、先代親方の請求額である1億7500万円の支払い義務を認めて、原告である先代親方が勝訴した。

○しかし、この東京地裁判決は、控訴審判決で、判断が覆っている。
東京高裁は、平成16年1月28日の判決で、請求を認めた1審東京地裁判決を取り消し「代金を支払う口頭合意は認定できない」として請求を棄却した。

当時報道された判決理由によれば、(1)現親方は当時、先代親方の長女の夫で、先代親方夫婦と養子縁組もしていたこと、(2)親方株の対価を支払う具体的交渉はなかったこと、(3)先代親方が主張する合意の状況は極めてあいまいであったことを指摘したとのことである。その上で、親方株の譲渡については、「謝礼としての何らかの金銭や、先代夫婦の扶養に責任を持つことを超えて、親方株の対価を支払うことまでは前提とされなかった」と判断し、請求棄却になったとのことである。 

○この事件については、一審判決しか今のところ公刊されていないため、控訴審判決の全文を見ることができていないが、以下に、一審判決の一部を引用する。

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○年寄名跡襲名継承金請求事件(一審)(注:控訴審で判断が変更)
平成15年2月24日東京地方裁判所判決/平成13年(ワ)第13963号
(出典)判例タイムズ1121号284

主 文
1 被告は、原告に対し、一億七五〇〇万円及びこれに対する平成一二年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、一億七五〇〇万円及びこれに対する平成一二年八月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要
本件は、財団法人日本相撲協会(以下「日本相撲協会」という。)所属の相撲部屋の元親方であり、被告に年寄名跡○○を襲名継承させた原告が、被告に対し、年寄名跡の襲名継承に伴う襲名継承金の支払がされていないとして、口頭による合意ないし慣習に基づき、襲名継承金及び同金員に対するその支払を請求した日である平成一二年八月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。

1 争いのない事実
(1) 原告は、平成一一年二月二二日、日本相撲協会の定年に達し、同日、被告に同協会の年寄名跡○○を襲名継承させた。
(2) 原告は、平成一二年八月二二日、東京家庭裁判所に家事調停申立てをし、被告に対し、離縁を求めると共に、年寄名跡○○の襲名継承についての対価として一億七五〇〇万円の支払を求めた。

2 争点
(1) 原告が被告に年寄名跡を襲名継承させたことに関して、原・被告間に、相当額の襲名継承金を支払う旨の口頭の合意あるいは相当額の襲名継承金を支払う旨の慣習があり、被告は、原告に対し、相当額の襲名継承金を支払う義務があるか。

(中略)

第3 争点に対する判断
1 本件の経緯
前記争いのない事実及び証拠(甲1ないし4、6、8ないし10、12、13の1・2、14、15、19、22、乙1ないし4、証人太田武雄、証人丁田五郎、原告、被告一並びに弁論の全趣旨によれば、本件の経緯について以下の事実が認められる。
(1)当事者等
ア 原告は、日本相撲協会の理事会の決議を経て、昭和四四年一〇月、年寄名跡○○を襲名継承し、平成一一年二月まで○○部屋の親方の地位にあった者である。原告は、現役力士時代の四股名をBといい、関脇まで昇進したが、昭和三五年六月、元横綱Dの五代目○○親方である乙川一郎(以下「乙川」という。)の長女花子と婚姻し、四股名をDに改名した。原告は、現役力士引退後、昭和四〇年三月、当時の時価である一四〇〇万円を支払って、年寄名跡△△を襲名継承したが、その後、昭和四四年一〇月、同名跡を一〇〇〇万円で売却し、年寄名跡○○を襲名継承した。なお、この襲名継承は乙川の急逝に伴うもので、原告は、○○の当時の時価である一〇〇〇万円を、乙川の妻である乙川夏子(以下「夏子」という。)に支払った。
イ 被告は、平成一一年二月、原告から、年寄名跡○○を襲名継承し、現在、○○部屋の親方として部屋の運営に当たっている者である。被告は、昭和六二年三月、大島部屋に力士として入門し、現役力士時代の四股名をCといい、平成五年一一月、十両に昇進し、その後、前頭を経て、最高位は小結であったが、平成一一年二月、現役力士を引退した。
ウ ○○部屋は、大正四年、両国に創設された相撲部屋で、○○・伊勢ケ浜連合に属し、昭和一〇年代には、双葉山、D、名寄岩等の多数の関取衆を輩出し、戦後も、横綱Dが引退後、親方を務めて、昭和三〇年代には、時津山、北の洋、若羽黒、B(原告)を輩出した角界の名門である。なお、相撲部屋は、財団法人日本相撲協会寄附行為及び同施行細則等により規制される日本相撲協会内の組織であって、これらの規定によれば、相撲部屋の運営は、一定の経歴をもつ力士出身の年寄名跡保有者のみが行うことができるものとされている。また、年寄名跡を襲名継承した者を年寄というところ、年寄には、○○のように、部屋を運営しながら日本相撲協会の仕事をする「部屋持ち親方」と、部屋に属して後進の指導と日本相撲協会の仕事をする「部屋付き親方」とがあり、部屋持ち親方となる年寄名跡は、一〇五ある年寄名跡のうち、五五ないし五六である。
日本相撲協会から支給される給与については、部屋持ち親方であると部屋付き親方であるとにかかわらず、役職に応じた金額が支給され、その金額は、就任人数の最も多い「委員」についてみると、平成一一年は、賞与等を含め年額約一五〇〇万円であった。しかし、部屋持ち親方については、これに加えて、力士を養成するための費用として、部屋維持費(力士一人当たり一場所につき一一万五〇〇〇円)、稽古場経費(力士一人当たり一場所につき四万五〇〇〇円)等の多額の手当が支給される。なお、年寄の定年は六五歳である。
(2)被告の年寄名跡○○襲名継承の経緯
ア 被告と原告の娘である春子とは、平成六年二月ころ、○○部屋の同門である大島部屋親方太田武雄(現役力士時代の四股名旭國、以下「太田」という。)の妻であり、同部屋のおかみの太田淑子の紹介で知り合うようになり、約半年の交際を経た後、同年九月ころ、婚約し、翌平成七年四月二六日、婚姻した。同時に、被告は、原告及び原告の妻花子と養子縁組を結び、両名の養子になった。当時、原告は、○○部屋の親方として同部屋の運営に当たっていたが、いずれ原告が日本相撲協会の定年に達したときには、力士として親方の継承資格のある被告と春子に、○○部屋の運営を引き継がせる考えであることを、被告、花子、春子に話し、全員が納得の上、養子縁組と婚姻に及んだものであった。
被告は、春子と婚姻後、○○部屋の上にある花子所有のマンションの部屋で同居していた。被告と春子との間には、平成八年一〇月六日、長男三郎が生まれた。なお、被告は、平成八年一一月の九州場所以降は、成績不振に陥り、平成一〇年一月の初場所では、三勝一二敗の大幅な負け越しを喫した。
イ 平成一〇年一月二三日ころ、原告、被告、太田、○○部屋後援会の丁田五郎(以下「丁田」という。)の四名が話し合い、「原告が、平成一一年二月二三日、定年退職となるため、原告は、日本相撲協会に対して、被告への襲名手続をとり、被告は、力士を引退して○○部屋を継承する」との内容の誓約証が四名の間で交わされた。この誓約証が作成されたのは、原告が定年退職になった場合、被告が現役を引退するまで別の者をしばらく「中継ぎの親方」として介在させるのではなく、ただちに被告が引退して年寄名跡○○を襲名継承することを確約し、襲名継承を円滑に行うためであった。なお、この時には、襲名継承金の話は、一切されなかった。
ウ また、平成一〇年二月ころ、○○部屋のある建物の八階の居室において、原告、被告、花子、春子の四名が面談した。その際、被告の兄弟弟子の丙野が、年寄名跡××を原告から取得するについて、一億五〇〇〇万円くらいは覚悟していると言っていることが話題になった。原告は、平成六年七月ころ、年寄名跡××を、先代××から、二億四〇〇〇万円で取得していた(もっとも、名義自体は、先代××のままであった。)。丙野は、その後、平成一二年五月一八日、原告に対し、年寄名跡××の襲名継承金として一億七五〇〇万円を支払った。なお、年寄名跡××を襲名継承する年寄は、部屋付き親方であった。
エ 原告は、平成一一年二月二一二日、定年に達したので、前記誓約書の内容どおり、このころ現役力士を引退した被告に年寄名跡○○を襲名継承させた。この時、原告は、日本相撲協会から、功労金として一億三〇〇〇万円の支払を受けた。その後の○○部屋の運営について、原告は、当初、後見に当たっていた。○○部屋の稽古場や力士の部屋は、被告が親方になってからも、花子所有の物件を使用していたが、賃貸借契約等は特に締結せず、また、年寄名跡○○の襲名継承については、金銭面についての話は出たものの、結局、解決しなかった。
オ 平成一一年四月二五日には、被告の○○襲名披露パーティーが行われた。このパーティーの後で、原告は、後援会の丁田に対し、「被告は一体いくら金を払ってくれるのだろう。」と質問した。
カ 平成一一年九月一〇日、帝国ホテル一階において、原告、被告、丁田が集まり、「○○部屋年寄株売買契約書」作成の最終打ち合わせを行った。このとき、丁田は、「C(被告を指す。)がお金を支払わなければならないと思います」、「Cとしても払う物は払わなければならない」などと発言し、被告が年寄名跡襲名継承金を支払わなければならない旨明言した。また、丁田は、「彼(被告を指す。)も心配して「ちゃんと」しなければならないからと言って居ります」と述べ、被告が年寄名跡襲名継承金を支払う意思を有していることを明言し、これに対し、同席の被告は、何ら異議を差し挟まなかった。なお、被告は、これらの発言につき、「被告が、原告らと養子縁組し、○○部屋を継承できたことに感謝し、何らかのお礼又は引退した原告らの扶養を考えたものにすぎない」とか、「支払うベき物」とは、被告が無償で使用していた原告ら所有の○○部屋施設の使用料を指している」などと主張するが、この会合は、年寄名跡売買契約書の作成のために開かれたものであるから、被告が「支払うべき物」が年寄名跡襲名継承金を指すことは明らかであり、被告の主張は採用することができない。同年一〇月二日、被告の引退及び○○襲名の披露大相撲が行われた。
(3)その後本件訴訟に至るまでの経緯
ア 被告は、年寄名跡を継承してからは、○○部屋の運営等をめぐって原告と折り合いが悪く、また、春子との婚姻生活も、被告の女性問題や子供に対する冷淡な態度、春子の家事に対する被告の不満や金銭管理面での対立等が原因となって、次第に円満さを欠き疎遠になっていった。原告及び花子は、平成一二年八月二二日、東京家庭裁判所に家事調停申立てをし、被告に対し、離縁を求めるとともに、年寄名跡○○の襲名継承対価の支払と建物明渡を求めた。しかし、調停は、被告が離縁に反対したため、平成一三年四月一九日、不調となった。
イ 原告は、被告に対し、同年七月四日、年寄名跡○○の襲名継承金の支払を求めて、本訴を提起した。また、春子、原告及び花子は、被告に対し、別訴として、離婚等、離縁等、建物明渡等の各訴訟を提起した。これに対し、被告は、原告に対し、被告の引退相撲興業の利益の返還請求訴訟を、春子に対し、委託金の返還請求訴訟をそれぞれ提起した。

2 争点(1)(原告が被告に年寄名跡○○を襲名継承させたことに関して、原・被告間に、相当額の襲名継承金を支払う旨の口頭の合意あるいは相当額の襲名継承金を支払う旨の慣習があり、被告は、原告に対し、相当額の襲名継承金を支払う義務があるか)について
(1)原告は、「平成一〇年二月ころ、当時、原・被告が居住していた○○部屋のある建物の八階の居室において、原告、被告、原告の妻花子及び被告の妻春子の四名がいる席で、原告は、被告に対し、○○の名跡についても、いずれ相当金額を支払ってもらう旨言ったところ、被告はうなずき、これにより、相撲界の慣習に従って相当の金員を原・被告間で授受するとの口頭による合意が成立した」と主張し、原告本人尋問の結果や春子の陳述書(甲12)の記載には、これに沿う部分がある。他方、被告は、かかる口頭による合意の成立を否定し、被告本人尋問の結果や被告の陳述書(乙2)の記載には、これに沿う部分がある。そこで、これらの供述及び記載の信用性につき検討する。
ア 前記1で認定した事実及び証拠(甲5、10、11、20、21、証人太田武雄、証人丁田五郎、原告、被告)によれば、丁田は、平成一一年九月の帝国ホテルにおける原告及び被告との会合において、原告に対し、被告から年寄名跡○○の襲名継承金として相当額の金員を支払わせる旨明言し、被告は、この点につき、何ら異議を差し挟まず、むしろ支払うことを自認するかのような態度に出ていたこと、一般に、年寄に就任すると、日本相撲協会から高額な給与や手当が支給されることから、年寄名跡を襲名継承することは、通常大きな利権を伴うこと、年寄名跡は、かつては、師匠から弟子に無償で譲られ、名跡を継いだ弟子は退職した師匠や師匠の遺族の面倒を見るのが慣習であり、これが売買されることはなかったが、このような年寄の待遇の向上に伴い、年寄名跡の取得を希望する力士が増加し、他方、年寄名跡の数は限定されていたため、年寄名跡は名誉と財産的価値のあるものとして高額な値段で売買されるようになったこと、このような状況は現在も維持されており、年寄名跡の継承について無償の例はほとんどなく、特段の事情のない限り、無償での襲名継承はあり得ないこと、襲名継承の実例として、原告は、昭和四四年一〇月、先代○○親方の乙川の急逝に伴い、年寄名跡○○を襲名継承したが、この時、同名跡の時価である一○○○万円を、先代の妻である夏子に支払ったこと、原告は、昭和四〇年三月、年寄名跡△△を当時の時価である一四〇〇万円で取得し、昭和四四年一○月、同名跡を一〇〇〇万円で売却したこと、原告は、平成六年七月ころ、年寄名跡××を二億四〇〇〇万円で取得したこと、丙野は、平成一二年五月一八日、年寄名跡××を襲名継承した際、原告に対し、一億七五〇〇万円を支払ったこと、太田は、年寄名跡大島を襲名継承した際、当時の給料の数年分を支払ったこと、昭和五五、六年ころの年寄名跡三保ケ関の襲名継承に当たっては、これが親子間の継承であるにもかかわらず、襲名継承金の支払がされていること、そのほかにも「霧島が三億三〇〇〇万円で年寄名跡を襲名した」とか「二子山親方が先代の兄から年寄名跡を三億円で購入した」などの報道がされていること、このような年寄名跡の高騰に対処するため、日本相撲協会では、平成八年ころ、「年寄名跡の日本相撲協会帰属と売買の禁止」を骨子とした理事長私案を作成したものの、親方衆の反対により、結局、かかる改革は実現しなかったことが認められる。なお、被告は、本人尋問において、「親方の養子に入っている現役の力士で、年寄名跡を無償で譲り受けた者がいる」旨供述するが、裏付資料を欠き、この者の氏名が明らかでない上、供述自体も曖昧であり、直ちに信用することができない。
イ 以上によれば、被告の年寄名跡○○の襲名継承につき、原・被告間において相当額の襲名継承金を支払う旨の口頭の合意があったものと認めるのが相当である。この点に関する前記原告の供述部分及び春子の陳述書の記載部分は、相撲界における年寄名跡の襲名継承の実情に沿うものであり、被告の供述及び陳述書の記載部分より信用性が高いものと認められる。なお、被告の年寄名跡○○の襲名継承は、原告夫婦と被告の養子縁組及び春子と被告の婚姻と密接な関係にあることが認められるが、そのことから直ちに年寄名跡○○の継承が無償であったことの証左にはならないことは、前認定のとおり、親子間、兄弟間における継承においても有償である実例が存することに照らせば、明らかである。
なお、被告は、年寄名跡○○の襲名継承に当たり、現役力士を引退したが、被告が平成八年九州場所以降成績不振に陥っていたことは、前認定のとおりであり、被告が現役力士を引退して年寄名跡○○を襲名継承したとしても、被告に特段の経済的不利益はなく、被告の現役力士の引退は、年寄名跡○○の継承を無償にするほどの事情にはならない。また、被告は、「原告が、定年時、一億三〇〇〇万円の功労金を得ることが予想されていたので、原告としては、年寄名跡○○を無償で被告に襲名継承させても経済的に苦しくならないと考えていた」旨主張するが、功労金の支給と襲名継承金の支払とは無関係であるから、かかる主張も採用することができない。
ウ さらに、被告は、「日本相撲協会は年寄名跡が売買によって取引されるものではないとの原則を堅持しており、仮に原告の本件請求が認容されるとすれば、この原則を真っ向から否定することになり、かかる観点からも原告の請求を認めることはできない」と主張する。確かに、証拠(甲3、4、証人太田武雄)によれば、寄名跡証書には「年寄名跡は相続贈与譲渡担保の目的とすることはできない」旨、日本相撲協会寄附行為施行細則のうち年寄名跡得喪変更に関する規定には「四、年寄名跡は、本協会の年寄及力士の有資格者以外の第三者に譲渡し、又は担保に供することが出来ない。」旨の各記載があり、日本相撲協会は、協会の立場においては年寄名跡襲名継承の際の金銭の授受を認めていないことが認められるが、他方、年寄名跡は、角界において、日本相撲協会の関与なしに、事実上、財産的価値のあるものとして売買が行われてきたこと、年寄名跡の日本相撲協会帰属と売買の禁止を骨子とした日本相撲協会の改革が親方衆の反対によりとん挫したことは、前認定のとおりであり、かかる年寄名跡の有償による継承は、いわゆる年寄株の売買であって、私人間の契約自由の原則の適用される領域の範囲内のものであり、日本相撲協会内における是非論はともかく、契約当事者間における私法上の効力を否定しなければならないほどの事情はなく、公序良俗に反するとか、強行法規に反するということは到底できないから、被告のかかる主張は理由がない。
(2)以上のとおり、原・被告間において、平成一〇年二月ころ、被告の年寄名跡○○の襲名承継につき被告が原告に対し相撲界の慣習に従って相当額の金員を支払うとの口頭による合意が成立したものと認めることかできる。そして、このように解する以上、被告の主張するように、原・被告間の口頭による合意内容が、具体性、特定性を欠き、確定していないとはいえない。

3 争点(2)(被告に相当額の襲名継承金の支払義務があるとして、被告が原告に対し支払うべき金額はいくらか)について
(1) そこで、次に、被告が原告に対して支払うべき年寄名跡襲名継承金の金額について検討する。
ア 前記1で認定した事実によれば、年寄名跡○○を襲名継承した年寄は部屋持ち親方となること、○○部屋は、○○・伊勢ケ浜連合に属し、過去において有名力士を輩出し、数多くある相撲部屋の中でも伝統のある名門に属すること、他方、丙野は、平成一二年五月一八日、年寄名跡××を原告から襲名継承した際、原告に対し、一億七五〇〇万円を支払っているが、同名跡を襲名した年寄は部屋付き親方になるにすぎないことが認められる。
イ そうとすると、原・被告間における年寄名跡○○の襲名継承金の額は、この継承が養親から婿養子に対するいわば身内内部の継承であること、被告が婿養子に入ることを原告も希望していたことを考慮に入れても、前記年寄名跡××の襲名継承金である一億七五〇〇万円を下回ることはないというべきである。
(2)以上によれば、被告が原告に対して支払うべき年寄名跡○○の襲名継承金の額は、原告の請求額である一億七五〇〇万円をもって相当と認めるべきである。
なお、本件請求に係る債務は、期限の定めのない債務であり、債務者(被告)は履行の請求を受けた時に遅滞に陥るが、原告が被告に対し本件債務の履行を請求した日である平成一二年八月二二日に即日弁済をすれば、履行遅滞はなく、被告の履行遅滞の責任は、請求を受けた日の翌日である同月二三日から生ずる。

4 以上によれば、原告の請求は一億七五〇〇万円及びこれに対する平成一二年八月二三日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・小野 剛、裁判官・柴田 秀、裁判官・佐野義孝)
                                            弁護士 三木秀夫

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