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ニュース六法目次
参院郵政法案否決で衆院解散・自民分裂選へ(2005年08月08日) 7条解散
○内閣は憲法第7条の規定に基づき、衆議院を解散した。午後7時から行われた衆議院本会議で、河野衆議院議長が解散詔書を読み上げた。総選挙の公示は8月30日、投票は9月11日になる見通し。

8日午後の参議院本会議で郵政民営化関連法案が否決されたことを受けて、小泉内閣は午後3時からの臨時閣議で衆議院の解散を決議した。自民党の中川国対委員長によると、小泉首相は自民党役員会で、「法案に反対票を投じた人は公認しない」と述べており、自民党は事実上の分裂選挙に突入することになる。【2005年8月8日 ロイター】 

○2003年11月以来となる衆院選日程は「30日公示、9月11日投票」と決まった。首相は衆院本会議で反対票を投じた37人を公認しない方針を表明し、自民党は事実上の分裂選挙に突入。郵政民営化を争点に自民、民主両党の二大政党が対決、有権者に政権選択を問う激しい選挙戦がスタートする。郵政民営化のほか、構造改革路線の是非、首相の靖国神社参拝で招いた日中、日韓関係の悪化をはじめ小泉外交の評価、年金を中心にした社会保障制度改革と税制の在り方などが争点となりそうだ。
 
参院本会議の投票結果は、賛成108票、反対125票だった。自民党からの反対は22人、欠席・棄権は8人に上った。小泉首相は役員会で造反議員の選挙区にも候補を擁立する考えを明らかにし、8日夜の記者会見で「郵政民営化に賛成するのか、反対するのか国民に問いたい」と強調した。郵政民営化法案は、7月5日の衆院本会議では、自民党の37人が反対票を投じ、14人が欠席・棄権に回り、わずか5票差で可決。参院では与野党勢力が衆院より接近していることから、執行部と反対派が激しい多数派工作を繰り広げた。

首相は衆院段階に続く法案再修正や継続審議を拒否し、参院で否決された場合に解散を断行する姿勢を示してけん制。反対派を「倒閣運動」と断じ、対決姿勢を鮮明にした。執行部は青木幹雄参院議員会長らを中心に「解散になれば自民党は野党に転落する」などと懸命に説得を続けた。【2005年8月9日 共同通信】

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○郵政民営化法案が参議院で否決され廃案となったが、「構造改革」が失速する情勢となるわけで、極めて残念である。

本来は、この法案を踏み台に、郵貯で集まった国民のお金が回る政府系金融機関の統廃合で民間への資金シフトを促す政府系金融機関改革や、社会保障制度見直しなどの構造改革の総仕上げに移行していくはずであった。しかし、世の中、利権が絡むとややこしい事になる図を見事に描いたようになった。本当に真からの改革を進めるためには、甘い汁を吸ったところからの流血なしには進まないのに、そういうところからの猛烈な反対意見が、いかにも「正論」の顔をして出てきて、改革の入り口を壊してしまった。この改革なくして、誰が何の改革をするのか、分けが分からなくなってしまった。今後の政局次第では、動き始めた改革も全て白紙に戻りかねなくなったが、誠に心配でならない。

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○それはともかく、今回の衆議院解散は、憲法第7条の規定に基づきなされた。これは、小泉純一郎首相が最重要課題と位置付けた郵政民営化関連法案が、その日午後の参院本会議で多数の自民党議員の造反により否決されたため、小泉首相が「国民の信を問う」と決断して、臨時閣議を開き、そこで解散を決定したものである。このとき署名を拒否した島村宜伸農相は罷免されている。

○衆議院の解散について
憲法は、衆議院の解散について、次の3つの定めを置いている。
@第7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」として、その第3号で「衆議院を解散すること」を挙げている。
A第69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」 
B第54条1項「衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。」

○「7条解散」と「69条解散」
衆議院の解散においては、よく「7条解散」とか「69条解散」ということが言われる。簡単に言えば、「7条解散」は「天皇が衆議院を解散する」ことであり、「69条解散」は、「内閣不信任案が可決されたときに行われる解散」のことである。
今回の解散は、このうち「7条解散」として、天皇の国事行為としてなされたことになるが、この国事行為自体は、天皇が解散詔書を発布して、衆議院を解散することを外部に示す行為にすぎない。解散を決定する権能(つまり解散権)そのものを天皇が持つわけではない。わかりやすく言えば、天皇が「解散する」と決める権限を持っているわけではなく、「内閣の助言と承認」を受けて天皇が解散詔書を発布するので、実質上は内閣が決めれば衆議院を解散させることが出来る。

ちなみに、Aの憲法69条も解散権の存在自体を規定したものではないし、Bの憲法54条1項は解散後の手続きを定めただけである。

結局、「解散権」は、いかなる憲法上の根拠に基づいて行使されるかについて、憲法には明確な規定がないため、憲法解釈の問題となっている。

○戦後の日本国憲法下で、これまでの衆議院の解散は、今回の件を入れて20回行われたことになる。自民党政権が多数を占めてきたことから、69条解散の前提となる内閣不信任案が可決されることがまれであったため、その大半は7条解散である。

しかし、解散権に関する解釈は、1948年12月23 日の第1回解散、1952年8月23 日の第2回解散で早くも政治問題になり、「内閣は憲法69条に定める場合以外にも解散権を行使できるかどうか」について見解が対立してきた。

○内閣の解散権の憲法上の根拠に関して、大きく分ければ、@7条説、A69条説に分かれるが、前者の@7条説が通説である。

○7条説とは、内閣は、「内閣の助言と承認」(憲7条)を根拠として、憲法69条の場合以外にも解散を決定できるとするものである。
その理由はいくつか言われているが、天皇は解散を形式的行為として行うにすぎず、天皇以外の国家機関がその内容を決定することになるが、「内閣の助言と承認」がその実質的決定権を含むことや、69条には解散権について何も触れられていないため、内閣不信任可決の場合のみに解散権を限定する趣旨とは読めないこと、これを徒に限定するのは解散が現時点の国民の意を問うという機能を阻害するものとなること、などである。
 
○69条説とは、憲法69条の場合(内閣不信任案が可決された場合)のみ解散を決定できるとするものである。その理由について、天皇の国事行為は形式的・儀礼的行為と解される以上、内閣の助言と承認から国事行為に関する実質的決定権は認められないことが言われている。

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○どのような場合に解散できるのか
7条説をとるにしても、内閣が69条(内閣不信任案可決)の場合以外にも解散権を行使できるとしても、その裁量は無制約なのかどうかが議論されている。

この点も2つの考え方に区別できる。
@無制約説
解散権の行使は内閣の判断に委ねられ無制約であるとする説である。
A 制約説
解散権行使にも憲法規範として一定の要件があり、それに反する行使は原則として認められないとする説である。その論者は、通常、次の場合が行使要件であるとしている。芦部信喜教授の憲法新版(補訂版・岩波書店)では、解散は、憲法69九条の場合を除けば、次の場合に限られ、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である、としている。
(1)衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算等)が否決され、または審議未了になった場合
(2)政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合
(3)総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等に対処する場合
(4)内閣が基本政策を根本的に変更する場合
(5)議員の任期満了時期が接近している場合 

○解散は国民に対して内閣が信を問う制度である以上は、解散権の行使は、それにふさわしい理由が存在しなければならないというべきであるから、制約説が妥当と言うべきであろう。しかし、芦部信喜教授の上記5ケースに限ると言うよりも、「それら事由と同視できるような場合」にも解散が正当化しうるというべきではないか。

○今回の場合はどうか。
上記の「内閣と衆議院との意思が衝突し、重要法案が否決されるなどして実質的に不信任決議案が可決されたと同視できるような場合」にあたるのでないかと思われる。

議論はあろうが、郵政民営化法案は、まさに「重要法案」にあたると解してよいのではないか。特に「重要法案」であるかどうかの第一次判断は、解散権を行使する内閣が判断すべきものである。もちろん、国民からみてその判断に合理性があることが必要となるが。そして、その否決は「不信任案決議と同視」にあたるとも解しうるのではないか。その第一次の判断者も、やはり内閣であり、小泉内閣は郵政民営化法案を最大公約として掲げて来た事実があることから、国会で否決されるということは、まさに「不信任案決議と同視」できるものと言えるであろう。ただ、参議院での否決をもって衆議院解散へというのは、やや問題点として議論が巻き起こってはいる。「八つ当たり解散」との野次も出てはいる。しかし、国会で成立しなかったという観点から見れば、まさに内閣への国民の信を問うべき状態になったと十分に言えるものと考える。

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○解散の具体的手続き
衆議院の解散は、内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為であり、天皇が衆議院に発する解散詔書が必要となる。この助言と承認は「内閣」であるので、ときどき間違って表現されるが、総理大臣一人で決めるものではない。

手続的には、総理大臣が閣議を開いて、天皇に署名をえるべき解散詔書に対して、全閣僚に署名させる。したがって閣僚の1人でも署名を拒否した場合は、解散ができないことになる。

今回、この署名を拒否した島村宜伸農相が罷免されている。総理大臣自らが農相の職務代理者となり、解散詔書に署名した。

全閣僚が署名した解散詔書に天皇が署名して、内閣官房長官から衆議院事務総長を経て、衆議院議長に渡される。

こういた手続きを経て渡された衆議院議長(今回は河野洋平議長)が本会議場で解散詔書の文言(今回は「日本国憲法第7条により解散する」)を読み上げ、その時点で解散となる、一瞬にして全衆議院議員が職を失い、以降は「前議員」となる。

解散の場合、今回もそうだが、なぜか一斉に「バンザイ」の声がおこる。これは何を意味するか分からない不思議な慣習であるが、やけっぱちの表現ではないかと思っていたが、今回は特にそんな感じの声が鳴り響いていたように思ったのは、私だけではなかったように思う。

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○衆議院の解散の可否に関する質問主意書
今回の解散に先立ち、衆議院において、「衆議院が議決送付した法案を参議院が否決した場合における衆議院の解散の可否に関する質問主意書」が出され、総理大臣が回答している。

○平成十七年七月十一日提出質問第九七号
【衆議院が議決送付した法案を参議院が否決した場合における衆議院の解散の可否に関する質問主意書】(提出者 島 聡)
小泉内閣総理大臣はサミットに同行の記者団に対し、郵政民営化関連法案が参議院で否決されれば衆議院の解散を行う可能性を示唆したと聞く。しかし、法案が参議院で否決された場合に衆議院を解散することには疑問がある。解散の可否について以下質問する。
一 参議院における法案の否決をもって、国民の信を問うとしても、法案を否決した当の参議院の勢力分布は総選挙によっては変更されず、法案が再度国会に提出されても法案の成立の見とおしがない。これでは、何のための解散・総選挙かわからないが、小泉総理はどのようにお考えか。
二 一に関連して、参議院で内閣提出の法案が否決された場合、両院協議会で成案を得て法案を成立させる方法、衆議院で三分の二以上の多数をもって再議決する方法がある。このような国会としての意思形成のための方途が尽くされない段階で、参議院での法案の否決をもって直ちに衆議院を解散することは内閣の解散権の濫用にあたると考えるが小泉総理のお考えはいかがか。
三 結局、内閣は憲法第七条による衆議院の解散は、内閣の政治判断として全く無制限に行使できるものとお考えか。
四 村上誠一郎国務大臣は八日の閣議後の会見で、小泉純一郎首相が参院で郵政民営化関連法案が否決された際に衆院解散・総選挙に踏み切る意向を示唆したことについて「参院で否決されて解散になった事例は過去になかったのではないか」「選挙には大義名分が必要になる」と述べ、衆院解散は疑問であるとの考えを示したと聞く。内閣として衆議院を解散する場合、全大臣の一致が必要であるが、村上大臣その他の国務大臣が解散に反対した場合、小泉総理としてどうされるお考えか。右質問する。

○答弁第九七号
平成十七年七月十九日 内閣総理大臣 小泉純一郎
【衆議院議員島聡君提出衆議院が議決送付した法案を参議院が否決した場合における衆議院の解散の可否に関する質問に対する答弁書】

一から四までについて
衆議院の解散をいかなる場合に行うかについては、新たに民意を問うことの要否を考慮して、内閣がその政治的責任において決すべきものと考えている。また、他の閣議案件と同様、衆議院の解散についても、内閣が一致して意思決定を行うこととなる。いずれにしても、郵政民営化関連六法案については、現内閣の最重要課題の一つとして、現在、参議院において審議されているところであり、内閣として同法案の成立のために全力を尽くしてまいりたい。

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○参考判例(昭和35年6月8日最高裁判所大法廷判決)
衆議院解散に関する判例は、昭和35年6月8日最高裁判所大法廷判決(衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件)がある。この事件では、衆議院解散の効力に関する裁判所の審査権限が問題となり、最高裁判所の多数意見は、衆議院解散の効力については、訴訟の前提問題としても裁判所は審査権を有しない、と判決した。(最高裁判所民事判例集14巻7号1206頁、判例タイムズ105号41頁、判例時報225号6頁)

○昭和35年6月8日最高裁判所大法廷判決
(衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件) 

主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理 由

上告代理人吉井晃の上告理由について。
本訴は、昭和二七年八月二八日行われた衆議院の解散は憲法に違反し無効であるとの主張にもとづき、当時衆議院議員であつた上告人は右解散によつては衆議院議員たる身分を失わないとして、同年九月分から上告人の衆議院議員の任期が満了した昭和二八年一月分迄の上告人の衆議院議員としての歳費合計二八万五千円の支払を求めるというのである。すなわち本訴は、右衆議院の解散の法律上無効なることを前提として、衆議院議員の歳費の支払を請求する訴訟である。
 
そして、上告論旨第一点は、原判決が本件解散は憲法七条に依拠して行われたもので、憲法に適合するものであるとしたのは衆議院の解散に関する憲法の解釈を誤つたものであるとし、同第二、三点は、原判決が本件解散について、内閣の助言と承認が適法に為されたと判断した点に対し、採証の法則違背、審理不尽等の違法ありと主張するものである。右論旨にもあきらかであるごとく、本件解散無効に関する主要の争点は、本件解散は憲法六九条に該当する場合でないのに単に憲法七条に依拠して行われたが故に無効であるかどうか、本件解散に関しては憲法七条所定の内閣の助言と承認が適法に為されたかどうかの点にあることはあきらかである。
 
しかし、現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。
 
日本国憲法は、立法、行政、司法の三権分立の制度を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとし(憲法七六条一項)、また裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(裁判所法三条一項)、これによつて、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せずいわゆる概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに憲法は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(憲法八一条)結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めてすべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。
 
しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである。
 
衆議院の解散は、衆議院議員をしてその意に反して資格を喪失せしめ、国家最高の機関たる国会の主要な一翼をなす衆議院の機能を一時的とは言え閉止するものであり、さらにこれにつづく総選挙を通じて、新な衆議院、さらに新な内閣成立の機縁を為すものであつて、その国法上の意義は重大であるのみならず、解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。
 
本件の解散が憲法七条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法七条によつて、―すなわち憲法六九条に該当する場合でなくとも、―憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法七条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであるとするにあることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。
 
されば、本件解散の無効なことを前提とする上告人の本訴請求はすべて排斥を免れないのであつて、上告人の請求を棄却した原判決は、結局において正当であり、上告人の上告は理由がない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官小谷勝重、同河村大助、同奥野健一、同石坂修一の意見あるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。
 
(裁判官小谷勝重、同奥野健一の意見は次のとおりである。)
多数意見は、先づ衆議院の解散が法律上無効であるかどうかは裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
 
しかし、憲法に反した当然無効な解散によつて、違法に議員たる身分を奪われ、歳費請求権を喪失せしめられた者は、裁判所に対し訴訟によつてその救済を求めることの許さるべきことは勿論であつて、その場合裁判所は、先づ解散が憲法上適法なものであるかどうか、即ち有効か無効かを判断しなければならないことは当然であり、また裁判所の職責でもある。例えば、上告論旨のいうように、若し、憲法が六九条の場合以外に解散を認めないものとすれば同条の要件なくしてした解散は違憲であり当然無効であると判断すべきものであつて、この場合でも解散は政治性の高いものなるが故に、裁判所の審査権が及ばないものとし、政府において、既に解散は合憲であるとしている以上、裁判所はそれに盲従し、憲法上無効な解散までも有効なものと判断しなければならないとすることは、憲法八一条の明文に照し裁判所の職責に反するものといはなければならない。けだし、解散は憲法八一条にいう「処分」であつて、正に裁判所の違憲審査権の対象であるからである。
 
よつて、進んで上告論旨の主張するように、解散は右六九条の場合に限つて認められるものであるか否かを検討するに、六九条は衆議院で内閣不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した場合における内閣の採るべき措置について規定したものであつて、この場合、内閣は一〇日以内に衆議院が解散されない限り総辞職をしなければならないことを定めたものである。そして、同条は「……衆議院が解散されないかぎり……総辞職をしなければならない」とあつて、解散のできることは当然の前提として、解散されなければ内閣が総辞職をしなければならないことに重点があるものと解すべきであり、同条によつて始めて解散を行い得ることを規定したものと解すべきではない。
 
元来議院内閣制の下においては、内閣は衆議院の信任を条件として成立、存続するものであるから、衆議院の信任を失つた場合には、当然総辞職をしなければならないのが原則であるが、憲法は抑制と均衡の原則から内閣はこれに対抗して衆議院を解散して主権者たる国民に信を問うことができる例外的対抗手段を認めたのが右六九条の規定であつて、この場合内閣は解散か総辞職か何れか一を選ばなければならないのである。右の如く衆議院の解散は政府が国民に訴え、その意思を問う制度であるから、内閣不信任決議案の可決、または信任決議案の否決の場合以外にも、衆議院において政府提出の重要法律案、予算案などが否決された場合など同じく政府は国民に信を問う必要がある場合があり、また、政党の所属議員の数の異動などにより衆議院が国民の代表としての意思をよく反映しているか否かに疑の生じた場合その他国の内外に新な重要事態が発生し、新しい国民の意思を問う必要がある場合など解散を必要とする場合が右六九条の場合の外にも多々存することは否み得ないところである。然らば、解散が右六九条の場合のみ可能であるとすることは前記の各場合に解散の途は閉されることになり、殊に、議院内閣制の下では多数党が内閣首班をとる慣例であるから内閣不信任の決議案が可決されることは殆どなく、実際上これによる衆議院の解散はあり得ないことになるのである。
 憲法によれば、衆議院の解散は憲法七条により行われるのであるが、同条は解散の場合を何ら制限していないのである。従つて、右六九条は衆議院解散についての一の場合を規定しているものと解すべきであつて、同条の場合以外に全然解散を認めない趣旨であると解すべきものではない。そして、衆議院の解散は六九条の場合をも含めて、内閣の助言と承認によつて天皇が右七条により、国事に関する行為としてこれを行うのである。天皇の行う解散は、内閣の助言と承認によりなされるものであつて、天皇は形式的儀礼的にこれを行うのであるから、衆議院解散の決定権は、内閣にあるものと解さねばならない。右の如く天皇の行う解散は内閣の助言と承認により、形式的儀礼的に行うのであるから、これがため天皇の権力を必要以上に強くするものということはできないし、また、内閣に解散の決定権があると解することは、国会より内閣を優位に立たせ、余りに強大な権力を内閣に与えすぎるとの非難も当らない。けだし、内閣は衆議院を解放すれば、総選挙の結果新しい国会の召集があつたときは当然に総辞職をしなければならないのであるから、解散権を濫用することができないからである。然らば、本件において憲法六九条の場合でないのに衆議院の解散を行つたことは違憲であるとの上告理由第一点の論旨は採用し難い。
 
次に、多数意見は、衆議院の解散に必要な内閣の助言と承認についても、その無効であるかどうかは、裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
 
しかし、衆議院の解散が内閣の助言と承認により行われることは有効な解散の必要条件であつて、その要件を具備した内閣の助言と承認がない場合の解散は憲法上無効であるから、衆議院の解散の有効無効を決するためには、この点の判断は不可決なものである。
 
よつて、本件において内閣の助言と承認があつたかどうかについて検討するに、憲法七条にいう内閣の助言と承認とは第一審判決のいうように両者を切り離して考えるべきものではなく、要するに、天皇の国事行為については、内閣が実質的決定権を有し、天皇は内閣の決定するところに従い、形式的儀礼的に国事行為として衆議院の解散を行うという趣旨と解すべきである。そうだとすれば、原審が適法に認定した事実関係の下においては、本件解散について憲法の要請する内閣の助言と承認があつたものと認むべきことは当然であつて、原判決のこの点の判断は結局正当である。然らば、上告理由第二、三点の論旨も採るを得ない。従つて、本件上告はすべて理由がないものといわねばならない。われわれは結論において多数意見と同じくするのであるが、理由において意見を異にするものである。
 
(裁判官河村大助の意見は次のとおりである。)
一、衆議院の解散が法律上無効であることを前提とする衆議院議員の歳費の支払を請求する本訴は、裁判所の審査権に服しないとの多数意見には賛同出来ないので以下その理由を述べる。
 
憲法八一条は裁判所に一切の法律、命令、規則、処分が憲法に適合するか否かを決定する権限を与え、裁判所法三条は右規定に立脚して憲法に特別の規定ある場合を除き裁判所に一切の法律上の争訟を裁判する権限を附与しているのであつて、所謂統治行為なるものを司法審査の対象から除外する旨の明文の存しないことは明らかである。わたくしは、如何に高度の政治性を有する国家行為と雖も形式上司法審査の対象となり得る要件を備えるものである限りは、司法権に服さなければならないものとする説に賛成するものである。我国においても統治行為なる観念を認め純法律的判断の可能な問題であつても、司法審査の埓外に置くべしとする有力な学説が存在し、多数意見もこれを採用している。そしてその根拠を概ね司法権の内在的制約に求め、裁判所は他の機関の権限に介入しないという三権分立の原則を強調するものであるが、かかる内在的制約論又は自制説は憲法八一条の如き明文をもつわが司法権に必ずしも妥当するものでないと考える。けだし、高度の政治性を有する問題であつても、それが同時に法律上の争訟を含む場合においては、その法律問題が「憲法に適合するかどうかを決定する」ことは三権分立の均衡勢力を超えた部分につき違憲審査権が附与されているものと解せられるからである。もつとも、内閣や国会の有する広汎な政策的ないし裁量的決定の権限はこれを尊重すべきは当然のことであり、かつその実体がもつぱら政治的性格をもつものについては、裁判所の自制も妥当であろうが、当該国家行為が直接に国民の基本的人権に対する制限、侵害を内含するような場合には裁判所はその本来の使命である人権保障の責務を全うすべきであると考えられる。単に高度の政治性を有する国家行為だから裁判所は介入すべきでないということになると、「自制の名における司法権の後退」になりはしないか。勿論裁判所は具体的事件について法を適用することを本来の任務とするのであるから、統治行為ないし政治問題についてもそれが市民法秩序につながりをもち、直接国民の権利義務に影響する場合において、司法審査の問題を生ずるにとどまるものであることも多言を要しないところであろう。第一審判決が「当該行為が法律的な判断の可能なものであり、それによつて、個人的権利義務についての具体的紛争が解決されるものである限り裁判所は一切の行為についてそれが法規に適合するや否やの判断を為す権限を有し又義務を負うものである。これが我が法制の建前」であると判断したのは正当である。従つて本件衆議院の解散の効力如何が原告の議員として有する権利の存否に直接影響すること明らかな本件においては、その前提を為す解散の方式、手続が憲法の定めるところに適合して行われたりや否やは一切の政策的評価を排除して法律的判断を為すことが可能であるから、司法審査の対象となるものと解するを相当とする。
よつて進んで本件解散が上告論旨の如く無効であるかどうかを判断する。

二、論旨は衆議院解散は憲法六九条の場合にのみ行われ得るものであつて、本件のように憲法七条のみによつて為された解散は違憲無効であると主張する。
 
しかし憲法六九条は本来国会の不信任に基く内閣の総辞職について規定したものであつて、ただ同条には「衆議院が解散されない限り」ということがつけ加えられているので、解散が行われることを予定しているとはいえるが、同条に関係のない解散の可能性を一般的に否定する趣旨を含むものでないことは明らかである。そして憲法は如何なる場合に解散をなし得るかにつき特にその要件を定めていないのであるから、その決定は、解散権を有する機関の政策的ないし裁量的判断に委ねられているものと解すべきである。通常行政部と立法部との意見が対立して調整の余地のない場合、衆議院が民意を反映しているかどうか疑わしい場合、その他憲法改正、条約締結等国家の重大事につき、総選挙を通じ民意を確めようとするために行われることが予想される。
 
憲法七条三号は衆議院の解散を天皇の権限としているが、天皇は国政に関する権限を有しないため(四条)天皇の国事行為としての解散は、他の機関の解散決定に基き、これを外部に表示する権能すなわち形式的宣示行為に過ぎないものであつて、この天皇の形式的行為に対し内閣は助言と承認を与えることになるのであるから、その解散の実質的決定は右助言と承認に先行するものと解すべきであろう。しかして、その実質的解散権について特別の定めのないわが憲法においては、内閣に実質的決定権があればこそ天皇の形式的宣示行為に助言と承認をなすべき責務をも負わせたものと解することができる。すなわち右助言と承認の規定は内閣に実質的解散権が存在することを予定されているものと解するを相当とする。また前記六九条においても内閣は解散するか総辞職するかの何れか一を撰ぶべきことを余儀なくされているのであるから、同条も内閣が実質的解散権を有することを予定しているものと解することができる。のみならずわが憲法は所謂自律的解散は認めない趣旨と解せられるから、少ともその解散権が立法部及び司法部に属しないことは明らかである。この点からみても憲法は解散の決定を内閣に担当せしめたものと解するほかはない。或は内閣の成立及び存続が国会の信任に依存する議院内閣制のもとにおいては、内閣に一般的解散権を認めることは国会の最高機関たる地位を低めるもので背理の甚だしいものであるとの論がある。しかし、立法部と行政部の権力相互の均衡抑制が保たれることは三権分立の原則の要請であつて、立法部の専断又は行き過ぎ等に対して、行政部がこれを抑制するため、総選挙を通じ国民の判定に訴えるというねらいが、必らずしも国家優位を傷けるものではない。現に六九条の場合において、衆議院の不信任決議に対抗する手段として内閣に解散権を認めているのも内閣に独立の権能が附与されていることを示すものにほかならない。しかも、解散は、議員の任期を短縮せしめるほかに総選挙後内閣を総辞職せしめる効果をもつものであつて、一方においては解散、他方においては総辞職ということにより、結果においては両者間の勢力均衡は保持できるのである。従つて行政部優位又は立法部軽視というような非難は当らないものといわなければならない。
以上要するに憲法七条の方式に従い行われた本件解散は所論の如き違法の廉はない。
 
三、つぎに上告論旨は、本件解散につき憲法七条による内閣の助言と承認が適法に行われたとの原審判断を非難するので、この点について検討する。
 
憲法七条に所謂「助言と承認」とは、語義からいうと助言及び承認の二つの言葉にわけて解釈すべきもののように見えるが、同条が天皇の国事行為につき内閣の助言と承認を必要としたのは、天皇は単独で国事行為を為さず、内閣の意見すなわち内閣の決定した意思に基いて行うことを意味するに過ぎないものであるから、特に助言と承認を区別する必要はなく、法律上一個の観念とみるを相当とする。本件において原審の引用する乙第一号証によれば閣僚全員承認の下に衆議院解散の詔書案及び衆議院議長宛伝達案等が決定され、昭和二七年八月二八日施行されたことを窺うに足りるから、同号証のみを以てしても、天皇の解散宣示行為が内閣の意思に基くことを証し得て、憲法の要求は十分に満されたものと解するを相当とする。従つて上告論旨は採用できない。

以上の理由により本件上告を棄却する多数意見に同調するが、その理由を異にするものである。

(裁判官石坂修一の意見は次の通りである。)
わたくしは、本判決主文には同意するけれども、多数意見がその理由とする所には、異見を持つものである。
 
多数意見は、裁判所に、衆議院の解散が法律上無効であるか否か、また衆議院の解散に必要とする内閣の助言、承認の無効であるか否かにつき審査する権限がないと判示する。
 
しかし、衆議院を解散すべきか否かの問題と、憲法の条章に遵ひ内閣の助言、承認を経た、有効なる衆議院の解散が行はれたか否かの問題との間には、自ら分界がある。前者について、裁判所に審査権のないこと、当然であるけれども、後者については、裁判所に審査権があるものとせざるを得ない。その理由とする所は、憲法七条二号の解散行為が単に儀礼的意味を持つのみであるか否かは別として、小谷、奥野両裁判官の所見と異らない。
 
而して、審査の結果、本件解散は、憲法の条章に遵ひ、内閣の助言、承認を経て行はれ、有効なものであるとの判断に至つたのであつて、これと同趣旨に出た原判決を維持するものである。


最高裁判所大法廷
裁判長裁判官 田中耕太郎
裁判官    小谷 勝重
裁判官    島   保
裁判官    斎藤 悠輔
裁判官    藤田 八郎
裁判官    河村 又介
裁判官    入江 俊郎
裁判官    池田  克
裁判官    垂水 克己
裁判官    河村 大助
裁判官    奥野 健一
裁判官    高橋  潔
裁判官    高木 常七
裁判官    石坂 修一
                                            弁護士 三木秀夫

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