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ニュース六法目次
光市裁判報道でBPOが意見(2008年04月15日)  放送倫理・番組向上機
○山口県光市で起きた母子殺害事件の裁判を報道したテレビ番組について検討していた放送界の自主チェック機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会(委員長・川端和治弁護士)は15日、「一方的で感情的な放送は視聴者の不利益になる」とする意見をまとめ、NHKと在京民放5局に手渡すとともに、自主的な検証と報告を求めた。

同委は、広島高裁の差し戻し控訴審を取り上げた昨年5〜9月の計33本の報道、情報番組を検証した。その結果、「被告・弁護団と被害者遺族を対立的に描く手法」が共通しており、「視聴者に誤解を与える致命的な欠陥があった」と指摘。被害者遺族の感情に合わせて弁護団などを非難する一方、裁判の詳細や被告の内面を分析するなどの冷静な報道がない点を挙げ、「公正性・正確性・公平性の原則を十分に満たさない」と断じた。さらに、「集団的過熱取材」に似た「集団的過剰同調番組」とも呼ぶべき横並びで過熱化する番組作りへの憂慮を表明するとともに、裁判員制度への悪影響の可能性にも言及した。
(時事通信2008/04/15)

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○あの光母子殺害事件では、被害者の夫である本村氏の被告人の死刑を強く求める記者会見での姿が多くの人の目を引いた。被害者遺族がこういった発言をすること自体は、心情面から十分に理解ができる。

ただ、気になっていたのは、ほぼ全てのマスコミがこれに同調し、被害者側だけを大きくクローズアップするだけで、被告弁護側からの視点での報道はほとんどといって見受けられなかった。それどころか、被告人および弁護団への大衆的リンチのような感情的批判的過剰報道になっていたといえる。

○今回の報道で、特に問題なのは差し戻し審の弁護人への目に余るほどの強力パッシングであった。「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」がそれである。そこでの報道形態は、「被害者」対「弁護団」の対立構造としていた。このため、被害者の姿に涙した視聴者が、その怒りの矛先として弁護団が位置づけられたのである。このため、この裁判での論点が何かなど、本件裁判の本質を掘り下げて報道されてはいなかったと断言しうる。

○率直に言って、今回のこの弁護団の方針については、司法関係者の間でも賛否は分かれているし、私自身も疑問な点はいくつか持っているし、批判したい点もある。(ただし、裁判に調節にタッチせず、証拠関係も漏れ伝え聞く程度であることから、批判自体は本来控えるべきことではある)。しかしながら、今回の弁護団が受けたマスコミによるリンチ的なパッシングを認めるかどうかは全く異なる問題であり、私はこういったリンチ的なパッシングは決して許してはならないことだと思うし、これを許す日本社会は未熟社会としか言えないように思う。

○このことは、刑事裁判制度そのものの基本的な理解を前提にしたならば、容易に分かることである。この点で、BPOの今回の意見書の文章を引用してみたい。

まず、同意見書は、刑事裁判における当事者主義を次のように解説している。
「刑事裁判にあっては、検察官は、被害者やその家族・遺族の代弁者ではなく、国家的利益をはかる立場に立って、被告の犯罪を特定し、裁判所に裁くべき内容(訴因)を提示し、これを証明する役割を担っている。対して弁護人の役割は、被告との信頼関係のもとに、被告の利益を守る立場から、訴因について反論し、合理的な疑いの存在について主張と立証を尽くすことにある。」

そして、BPO意見書は、この当事者主義の理解の上に以下のとおり述べている。
「当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という『誠実義務』が課せられている。
被告は、強力な権限を行使して迫ってくる検察官に対して自己を防御しなければならない、という境遇にある。一般私人であれば、訴訟能力もさほど持ち合わせていないだろう。弁護人はそうした苦境にある被告とのあいだで信頼関係を築き、ときには被告に不利な事情にも踏み込んででも、可能なかぎりの事実と関係情報を集め、それを被告にもっとも有利な主張や立証として組み立てて法廷に提示することにより、全力を尽くして被告人を弁護しなければならない。それが、弁護人の誠実義務である。この義務に違反することがあれば弁護人は懲戒処分の対象になる。
弁護人が被告人に有利だと判断して法廷にあらたな事実を提示し、争うことは、場合によっては被害者やその家族・遺族を傷つけることにもなりうるが、だからといって弁護人が、被告の主張している事実を提出しなかったりすれば、この誠実義務に背馳することになるのである。
付言すれば、弁護人には、その公的、公益的な地位を勘案したとしても、被告に対する誠実義務や守秘義務に背いて、被告に不利な方向での『真実』発見に関する証拠や情報を進んで積極的に提出・開示するという義務(積極的真実義務)はない、とされるのが一般的な理解である。
弁護人にこのような義務を課し、もっぱら被告人のために立証・主張を尽くさせるのは、そのような役割をつとめる専門家がいなければ、真実を発見し、認定することはむずかしい、という司法の歴史的経験に由来している。三審という司法制度の背景をなすのも、真実発見は容易ではなく、審理は慎重に行わなければならない、という歴史的経験に培われた認識である。」

○今回の弁護団は、まさにこういった刑事訴訟の基本原理にのっとって、被告人本人のために何が最大限の弁護となるかを真剣に議論をして主張立証を尽くしたものと思われる。その審議は裁判所が刑事訴訟法という公正なルールにのっとって進め、裁判所は最後にジャッジをする。もちろん、検察の負う有罪の立証責任を揺れさせ有罪の立証ができていない状態になれば、裁判所は無罪の判断をし、また、検察の主張する犯罪事実よりも軽い事実認定になると裁判所が判断をすれば、それに沿った判決がなされ、また、検察の立証が揺るぎがないものなれば有罪として量刑判断がなされることになる。

この当事者主義という刑事訴訟法下の基本ルールさえ知っていたならば、弁護団の主張そのものを「そもそも被害者への冒涜だ」といって許容できないといったような言動が出るはずがないのである。

○また、マスコミの報道の中で、コメンテーターや市井の人の発言紹介などでよく聞こえてきたものとして「犯罪事件では被告人の人権ばかり重視している」という批判もあった。これも気になって仕方がなかった。

冷静に制度全体の実情を見渡せば、決してこのような指摘はあたらないことは明らかである。犯罪に対しては、検察・警察組織という極めて強大な捜査権力をもった組織がこれに当たる。この巨大組織と対峙する被告・弁護人側は、これとの対比で言えば、人数面でも、有する権限の面でも、恐ろしく対等ではない。このために弁護人は最小限とも言えるような刑事被疑者被告人を守る人権規定を頼りに戦っているのである。その巨大な権限を持つ検察に、被害者の声に心情的に同調したマスコミや大衆が味方に付いてしまうと、およそ「公正な裁判」や「基本的人権の保護」などは無いに等しくなる。BPO意見は、こういった極めて基本的な理解をマスコミに求めた意義は大きいものがあると考える。

○言うまでもなく、刑事裁判では判決が確定するまではあくまでも「無罪推定」を受けるにもかかわらず、こういった近代司法の大原則に反するようなこの報道合戦は憂慮すべき事態である。マスコミ関係者は、口ではもっともなことを言うが、今回のこのBPOの指摘を重く受け止め、今回のこのような異常な報道の実態に対しては深く再考をしてほしいものである。そうでなければ報道規制の道につながりかねない事態も起こりうる。そうなれば各社は自分の首を絞めているようなものである。

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○放送倫理・番組向上機構(BPO)
(BPO=Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization)
言論・表現の自由の確保や放送による人権侵害の被害救済などを目的に、放送界の第三者機関としてNHKと民放が設立した任意団体組織。

BPOは2003年7月1日の設立であるが、これは、従来から存在した「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO)と、「放送番組向上協議会」の2つの組織が統合されたものである。

「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO)は現在の「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)に、「放送番組向上協議会」は、現在の「放送と青少年に関する委員会」と「放送番組委員会」に引き継がれており、この3委員会が一つに統合されてBPOができたと言える。

理事会、評議員会、事務局のほかに、現在は@放送と人権等に関する権利に関する委員会(BRC)、A放送と青少年に関する委員会、B放送倫理検証委員会の三委員会から成り立っている。今回の山口県光市で起きた母子殺害事件の裁判報道に関する意見をまとめたのは、このうちのBの放送倫理検証委員会である。

本機構の目的は、BPO規約第3条に「放送事業の公共性と社会的影響の重大性に鑑み、言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的とする。」とある。

つまり、「言論と表現の自由」と「視聴者の基本的人権」という二つの人権の対立から生じる問題や、放送倫理問題を、放送事業者自身が自主的に問題を解決する。そしてBPOの判断を出したら忠実に守るという合意を行っている。政府からの独立性を保つために、所管官庁である総務省とは一線を引いており、そこに何らの人的・財制的つながりは無い。

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○放送倫理検証委員会
今回の山口県光市で起きた母子殺害事件の裁判報道に関する意見をまとめたのは、この委員会である。

この委員会は、放送倫理を高め、放送番組の質を向上させるための審議を行っている。虚偽の内容により視聴者に著しい誤解を与えた疑いのある番組が放送された場合に、放送倫理上問題があったか否かを調査・審理して「勧告」または「見解」を出す。また、必要に応じて再発防止策の提出を求め、その実効性を検証しいる。

審査対象番組はこの委員会が自ら決定する。取り上げるケースとしては、@放送事業者から自主的に委員会に報告があった番組、A番組関係者や外部関係者、視聴者などから指摘された番組、Bその他に委員会自身が必要と判断した番組、である。

この委員会では、民放キー5局・NHKに対する今回の「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」以外にも、過去にTBS『みのもんたの朝ズバッ!』不二家関連の2番組に関する見解(2007年8月)、フジテレビのFNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に関する意見(2008年1月)、テレビ朝日『報道ステーション』マクドナルド元従業員制服証言報道に関する意見(2008年2月)を出している。
意見書http://www.bpo.gr.jp/kensyo/index.html

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○放送と人権等権利に関する委員会(BRC)
(BRC=Broadcast and Human Rights / Other Related Rights Committee)
放送番組による人権侵害を救済するための委員会であり、1997年5月から活動している。報道機関による人権侵害を受けた場合、放送局との話し合いがつかなければ訴訟となる。BRCは、「視聴者の立場」からこの問題を迅速に解決することを役目とする。

この委員会に申し立てができるのは、@名誉・信用・プライバシー・肖像等の権利侵害、およびこれらに係る放送倫理違反に関するものを原則とし、A 公平・公正を欠いた放送により著しい不利益を被った者からの書面による申立てがあった場合は、委員会の判断で取り扱うことがある。B苦情申立権者は、放送により権利の侵害を受けた個人またはその直接の利害関係人を原則とし、団体からの申立てについても、団体の規模、組織、社会的性格等に鑑み、救済の必要性が高いと委員会が認めた時は、審理対象とすることがある。C放送のあった日から3か月以内に放送局に申し立てられ、かつ、1年以内にBRCに申し立てられ、苦情申立人と放送局の間で話し合いがつかない状況にあるものが対象となる。実際に権利侵害を受けていると主張する申立人の問題しか審理せず、訴訟中の案件やCMに対する申し立ては扱わない。

審理対象となった場合は、その結果を決定として出す。決定には「勧告」、「見解(問題あり)」、「見解(問題なし)」の三種類がある。

「勧告」は重大な人権侵害があったと認定した場合、「見解(問題あり)」は重大な人権侵害は存在しないものの、制作・編集過程に若干の問題があった場合、「見解(問題なし)」は放送事業者の対応に人権上の問題が見られなかった場合に出される。当事者双方に通知するとともに公表される。「問題なし」の場合を除いて、相手放送局に対し「審理結果の趣旨」を放送するよう求め、さらに決定に従って行った改善措置の報告を要請する。

この委員会では、これまで、テレビ朝日『週刊ワイドコロシアム』で、熊本で起きた交通事故について保険金殺人の可能性が高いと報道したことについて、十分な裏づけが無いまま報道し、当事者への配慮に欠けたとして人権侵害と認定した「熊本・病院関係者死亡事故報道」決定(2002年)や、関西テレビにおいて、タレントの杉田かおるが元夫の鮎川純太の名誉を傷つける発言を行ったとし、人権侵害と認定した『たかじん胸いっぱい』番組に関する決定(2006年)などがある。
決定内容http://www.bpo.gr.jp/brc/index.html

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○放送と青少年に関する委員会
視聴者から寄せられる「青少年に対する放送のあり方や放送番組への意見」をもとに、各放送局への意見の伝達と審議を行い、必要に応じて「見解」「提言」「声明」「要望」「注意喚起」を公表する。放送局に事実の確認をしたり、「視聴者意見に対する見解・回答」を求めたりなど、当該放送局からの回答を基に審議するとともに、その回答文を公表している。2000年4月1日から活動している。

この委員会では、「バラエティー系番組に対する見解」(2000年)を皮切りに、最近では「血液型を扱う番組」に対する要望(2004年)、「児童殺傷事件等の報道」についての要望(2005年)、「少女を性的対象視する番組に関する要望」について(2006年)、「『出演者の心身に加えられる暴力』に関する見解」について(2007年)、「注意喚起 児童の裸、特に男児の性器を写すことについて」(2008年)を出している。
http://www.bpo.gr.jp/youth/index.html

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○BPO「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」(抄)

X 刑事裁判---その前提的知識の不足
【問題の所在】
裁判制度に照らして見るとき、本件放送の際立った特徴は次の2点だった。
@被告・弁護団に対する反発・批判の激しさ
A裁判所・検察官の存在の極端な軽視

前者は、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」等々の反発・批判をさかんに浴びせたことを指す。多くの番組がそのことだけに終始した、という印象すらある。

その裏返しとして、ほとんどの番組は、裁判所がどのような訴訟指揮を行い、検察官が法廷で何を主張・立証したか、第1、2審の判決にもかかわらず死刑という量刑を追い求めた理由は何なのかについて、まったくといってよいほど伝えていない。その分、被告・弁護団が荒唐無稽、奇異なことを言い、次々に鑑定人などの証人尋問を行って、あたかも法廷を勝手に動かしているかのようなイメージが極度に強調された。これが、後者の問題である。
これらの背景には、番組制作者に刑事裁判の仕組みについての前提的知識が欠けていたか、あるいは知っていても軽視した、という事情があったのではないだろうか。

【意見1 本件放送は、裁判を主宰する裁判所の役割を忘れていなかったか】
言わずもがなであるが、裁判を主宰するのは裁判所である。裁判所は訴訟を指揮する強い権限を持ち、検察官と被告・弁護人の双方の主張を聞き、証拠の採否を決定して、真実を明らかにすべく審理を遂行する。

しかし、本件放送からは、こうした裁判所の存在がまったくうかがえない。中継レポートの背景に、差戻控訴審が行われている広島高裁の建物が映っていただけで、裁判所の役割が何であるのか、最高裁の判決を受けてどのような訴訟指揮を行ったのか、その理由や狙いは何なのか、等々について、いっさいの説明がない。

今回の差戻控訴審で被告・弁護人が提出したさまざまな事実や主張は、たとえそれらが第1、2審で提起されず、あるいは重要視されなかったものであり、また一見、奇妙に見えるものであっても、その全体が、裁判所が差戻審の審理において必要と認めた弁護活動の一環であった。裁判所が認めなければ、法廷では検察官も被告・弁護人も勝手に活動するわけにいかないことは、自明の理である。

その意味では、本件放送の多くが反発・批判の矛先を被告・弁護団にのみ向けたことは相当な的外れであり、もしそれを言うなら、そのような訴訟指揮を行った裁判所に対して、まず言わなければならなかったはずである。裁判は裁判所が主宰するという初歩的な知識を欠いた、あるいは忘却した放送は、それがセンセーショナルに、また感情的に行われれば行われるほど、視聴者に裁判制度に関するゆがんだ認識を与えかねないものだった。

【意見2 本件放送は、刑事裁判の「当事者主義」を理解していたか】
今日、日本を含む民主主義社会の刑事裁判を特徴づけているのは、「当事者主義」である。ここで言う当事者とは、検察官、被告・弁護人のことであり、事案の解明や証拠の提出の主導権が、これら当事者にゆだねられている、という意味である。

裁判所自体は、両当事者の主張・立証に基づき、審判の主体として、事実を認定し、法律に基づいた判断を下す役割を担う。

当事者主義は、裁判所みずからが積極的に真実を探索する「職権主義」としばしば比較されるが、被告人の人権の保障、証拠収集の確実性、判断の公平性等の観点から、真実発見のために歴史的に形成された最良の手段であるとの評価が定着している。

こうした刑事裁判にあっては、検察官は、被害者やその家族・遺族の代弁者ではなく、国家的利益をはかる立場に立って、被告の犯罪を特定し、裁判所に裁くべき内容(訴因)を提示し、これを証明する役割を担っている。対して弁護人の役割は、被告との信頼関係のもとに、被告の利益を守る立場から、訴因について反論し、合理的な疑いの存在について主張と立証を尽くすことにある。

このことは、今回の差戻控訴審であっても、基本的には変わらない。検察官の求めにもかかわらず犯行時の年齢と更生可能性を考慮して死刑を選択しなかった第1、2審とそれを破棄した最高裁の判決をふまえて、検察官は何を主張・立証しようとしたか、それに対して被告・弁護人はどう反論・反証したか。これらのポイントを整理し、事件と裁判の全体像を明らかにし、伝えることが、番組制作者の仕事だったはずである。しかし、本件放送において、検察官の主張や立証の内容を伝えたものは皆無と言ってよかった。第1、2審の判決にもかかわらず上告をして死刑判決を求めた検察官の意図は何であったのか、それは差戻控訴審でどう展開されたのか、検察官は弁護団の新たな主張と立証にどう対応したのかといった事実を知らせることは、弁護団の主張・立証の意味を正確に理解し、公正・公平に評価する上でも、不可欠だったはずである。

そのかわりにあったのは、被告・弁護団と被害者遺族を対立的に描く手法だった。法廷での被告の供述や弁護団の記者会見での発言映像のあいだに、被害者遺族の記者会見等における発言映像をはさみ、対比させる構成である。

こうした手法によって、差戻控訴審が、あたかも被告・弁護団と被害者遺族との攻防であるかのような誤解を視聴者に与えているばかりか、検察官も被害者遺族と同様の主張・立証を行ったかのような印象を濃厚に醸し出している。

被害者遺族が凜として入廷していく姿や、集中審理傍聴後の会見等で、愛する家族を失った無念さをにじませながらも冷静に語る様子には、誰しもが胸を打たれるものがあった。それだけにこの対比的手法には、刑事事件における当事者主義について、視聴者に誤解を与える致命的な欠陥があった。

【意見3 本件放送は、弁護人の役割の認識に欠けるところがなかったか】
当事者主義のもとでの弁護人には、被告に対して、被告のために最善の弁護をする、という「誠実義務」が課せられている。

被告は、強力な権限を行使して迫ってくる検察官に対して自己を防御しなければならない、という境遇にある。一般私人であれば、訴訟能力もさほど持ち合わせていないだろう。弁護人はそうした苦境にある被告とのあいだで信頼関係を築き、ときには被告に不利な事情にも踏み込んででも、可能なかぎりの事実と関係情報を集め、それを被告にもっとも有利な主張や立証として組み立てて法廷に提示することにより、全力を尽くして被告人を弁護しなければならない。それが、弁護人の誠実義務である。この義務に違反することがあれば弁護人は懲戒処分の対象になる。

弁護人が被告人に有利だと判断して法廷にあらたな事実を提示し、争うことは、場合によっては被害者やその家族・遺族を傷つけることにもなりうるが、だからといって弁護人が、被告の主張している事実を提出しなかったりすれば、この誠実義務に背馳することになるのである。

付言すれば、弁護人には、その公的、公益的な地位を勘案したとしても、被告に対する誠実義務や守秘義務に背いて、被告に不利な方向での「真実」発見に関する証拠や情報を進んで積極的に提出・開示するという義務(積極的真実義務)はない、とされるのが一般的な理解である。

弁護人にこのような義務を課し、もっぱら被告人のために立証・主張を尽くさせるのは、そのような役割をつとめる専門家がいなければ、真実を発見し、認定することはむずかしい、という司法の歴史的経験に由来している。三審という司法制度の背景をなすのも、真実発見は容易ではなく、審理は慎重に行わなければならない、という歴史的経験に培われた認識である。

今回の差戻控訴審では、あらたに弁護団が結成され、第1、2審が犯行の動機や態様などの解明や事実認定を十分に行わなかった、と主張し、第1回の公判で「更新意見」を陳述するとともに、被告・弁護人の主張や集中審理で立証しようとする詳細も明らかにしていた。

裁判所は、最高裁の破棄差戻判決をふまえた審理を行うのであるが、弁護団が求めるこれらの立証を行うことを認め、その訴訟指揮のもとで、弁護人らは弁護活動を行ったのである。そして、その結果として、本件放送でも繰り返し取り上げられることになる被告のさまざまな、一見荒唐無稽とも思われる供述が行われ、また精神鑑定の際の奇異な発言等が紹介されることになった。

被告は弁護人らの質問に答え、「被害者(の主婦)を通して、(自殺した)実母の姿を見ていた」「このお母さんに甘えたいと思った」「(幼児を床にたたきつけたことについて)事実無根です」「(被害者を殺害しようと思ったことは)まったくありません」「(屍姦は)生き返らせようとしてやった」「(幼児の遺体を押し入れ天井裏に放置したことについて)ドラえもんは押し入れが寝室なので、何とかしてくれると思った」等々を語った。

また、精神鑑定において、「被害者に来世で会う」「自分が(被害者の主婦の)夫になる可能性がある」などと語っていたことも明らかにされた。
                           *
 委員会が行ったアンケートと聴き取りの調査によれば、今回の差戻控訴審の弁護団は通例では見られないほど多数回の記者会見や背景説明(記者レク)を行っている。3回の集中審理の際には1、2日目は記者レク、3日目には記者会見を開き、会見には相当の時間がさかれていた。

各放送局の番組制作現場にリアルタイムで伝送され、インターネットでも公開されているそれらの映像を見ると、被告の犯行時における事実を争っている点についても、弁護団は何度か、第1、2審の「捜査機関、弁護人、裁判所がそれぞれ事実を事実として見ていなかった」「司法の怠慢である」「弁護人が事件の大きさに圧倒されたことが、事実の究明を鈍らせた」等々と説明している。

そこではまた、荒唐無稽、奇異に思われる被告のあらたな供述や殺意の否認についても、じつは「家庭裁判所の鑑別記録、捜査段階における供述、第1審の被告人質問等にすでに現われている」旨を言い、具体的な内容を例示している。

しかし、これに対する記者・番組制作者からの質問は低調であり、各記録に記載された正確な文言、その文脈や意味するところについて問いただしてもいない。本件放送の内容からすれば、当然、記者らには疑問や異論や違和感があったと想像されるが、弁護団とのコミュニケーションは成立していない。番組によっては、番組制作者がこうした記者会見の場に立ち会うこともなく、地元系列局の記者から送られた簡単なメモ程度の材料しかないまま、放送に臨んでいた。

本件放送では、こうした弁護団の記者会見の映像はときどき映し出されたが、その「内容」は触れられず、弁護人の一人が「司法の怠慢である」と述べた箇所が、脈絡なく、放送されるだけであった。これでは視聴者は、弁護団が何を主張しているのか、どこを争点にしようとしているのかについて、理解するためのヒントすら得られない。公平で正確な情報提供という観点からは、これは大きく外れた内容だったと言わざるを得ない。

ここには、真実はすでに決まっている、と高をくくった傲慢さ、あるいは軽率さはなかっただろうか。被告や弁護団の主張・立証など、裁判所が認めるはずがない、という先入観はなかったか。あるいは、いちいちの事実の評価を被害者遺族の見方や言葉に任せてしまい、自分では考えない、判断しない、という怠惰やずるさはなかったと言えるだろうか。

カメラは「現在」しか写し取ることはできない。その意味ではテレビが目の前にたえず生起する新しい出来事に着目し、そこだけに光を当てた放送になることは無理からぬことかもしれない。しかし、カメラに写らないからといって、被告の過去の供述をなかったものとして扱い、今回は過去とはまったく異なる、新しい供述をしたかのように描くのは、その供述の唐突さを強調することにしかならない。それが尋常では理解できない内容であってみれば、荒唐無稽さや奇異さばかりを目立たせる結果となる。

目の前のことしか写せないカメラの限界を破っていくのが、番組制作者の力量というものである。現在の事実、現在の供述を取材し、伝えるだけでは不十分であり、その背後にあるものを探る意欲と努力なしには、放送の公正性・正確性・公平性は実現できるものではない。
                                            弁護士 三木秀夫

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