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三木秀夫法律事務所
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ニュース六法目次
痴漢「合理的な疑い」大阪地裁が無罪判決(2008年09月01日)痴漢冤罪事
○電車内で女子高校生2人に痴漢行為をしたとして、大阪府迷惑防止条例違反の罪に問われた兵庫県内の男性会社員(31)に対し、大阪地裁の中川博之裁判長は1日、「痴漢された事実は認められるが、被告が犯人というには合理的な疑いが残る」として、無罪(求刑・懲役6月)を言い渡した。 

起訴状などによると、男性は通勤中の昨年5月28日朝、JR大阪環状線の車内で、女子高校生の胸を右ひじで触った後、別の高校生の下半身を手で触ったとされた。しかし、男性は逮捕直後から「やっていない」と無罪を主張していた。

中川裁判長は「高校生の胸にこの男性のひじが当たった事実は認められるが、電車内は混雑しており、故意があったと認めるには疑いが残る」と指摘。別の高校生が下半身を触られた事実も認めたが、犯人の手をつかんだものの振りほどかれていることなどから「この男性を犯人であるとするには疑いが残る」とした。
男性は閉廷後、「事件後1年以上、自分の人生や家族を犠牲にしてきたが、真実を信じて闘ってきてよかった」と笑顔を見せた。 (2008年09月01日 毎日新聞)

○相次ぐ「痴漢」無罪 勘違いや立証困難も
痴漢事件は多発する一方で、超満員の車内での行為のため、犯人を明確に立証できなかったり、偶然の接触が痴漢に間違われたりするケースも少なくない。冤罪をテーマにした映画も注目され、現実の法廷では無罪判決も相次いでいる。

2006年4月、電車内で痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた会社員に、東京高裁は逆転無罪の判決。判決理由で「偶然の接触を女性が痴漢と勘違いした可能性がある」と指摘された。

ことし1月には、東京地裁が別の会社員を無罪とした。判決理由で「被害女性は痴漢をしているところを直接見ておらず、ほかに犯人がいる可能性もある」とされ、東京地検は控訴を断念した。

5月には奈良地裁で男性が無罪に。被害者の供述は「被告が犯人と断定できるほどの信用性はない」とされた。 (2008年09月01日 スポーツニッポン)

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○痴漢は卑劣な犯罪である。女性にとってはこれほど許せない行為はないだろうとおもう。決して野放しにしてはならない。罪としては、迷惑防止条例違反ないしは強制わいせつ罪となる。

○しかし、他方で、痴漢をしていないのに、被害申告を受けて逮捕されてしまうという「痴漢冤罪」が、たびたび話題になる。これはこれで、男性にとっては非常な恐怖である。今回報道された事件は、右ひじで胸に触ったという17歳の女子高生の痴漢被害についてのものであった。大阪地裁は、車内が相当混雑しており、「男性は後ろの客に触れている程度の認識しか持てず、胸に当たっているという認識まで持つことができない」と判断し無罪とした。ここに至るまでの被告人と弁護人の苦労が目に浮かびそうである。(なお、この事件は検察側が判決を不服として控訴したので、未確定である。)

○こういった刑事事件においては、刑事訴訟法は「推定無罪」の原則を採用している。したがって、痴漢といえども、疑惑をかけられても裁判で有罪が宣告されるまでは無罪として扱われないとならない。

しかし、痴漢犯罪においては、逆に「推定有罪」の原則があると言ってもおかしくないような現実がある。つまり、「ボクはやっていない」といくら叫んでも、一旦女性の叫びの前で警察に連行されたが最後、いくら無実を述べ立てても絶望的な状況となる。

警察段階では言い分が通らない場合でも、裁判に一縷の望みを託すこととなるが、被害者とされる女性の証言だけで、他に何らの客観的証拠も他人の証言もなくとも、有罪(場合によっては実刑)とされている裁判例も非常に多い。その結果、その男性は、仮に真実は無実であっても、社会的地位は地に落ち、周りから白い目で見られる最悪の事態となる。満員電車には、怖くて乗れない、という人まで出てきている。

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○さらに悪質な行為がある。示談金目当てで痴漢をでっちあげるケースまで出てきている。2008年3月11日には、大阪市営地下鉄御堂筋線で、示談金目当ての男が女に指示をして、気の弱そうな男性を狙って近づかせて「チカンに遭った」と叫ばせて、その男性が逮捕されたものの、その後に女性が自首してきたことから、その男女が虚偽告訴罪で検挙されるという事件が発生した。

誠にひどい事件で、この男女は厳罰に処されねばならない。しかし、この事件の恐ろしさは、事件直後にこの男性を襲った状況であった。つまりこの男性は、駅員は無理やり警察に引き渡し、警察署員は、この男性の弁明もほとんど聞かず、「白状したら許したる」等というと不適切な発言まで行っていた。さらに警察は家族にも連絡せずに、そのまま留置して取調べを行っていたのである。家族から警察に捜索願が出されるなどしていた。この事件は、幸いなことに女性の自主から男性の無実がはれたものの、状況からして、長期の勾留、裁判、有罪宣告という恐怖のコースに進んでいた可能性は高かった。

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○参考サイト
痴漢冤罪事件事例を集めたサイトがある。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tikanmuzaihannketu.htm

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○2007年1月20日に公開された周防正行監督の『それでもボクはやってない』は、まさにこういった「痴漢裁判」を扱った、誠にリアルな映画であった。

私は難波の映画館で観たが、取り調べの状況から起訴、公判のシーンなどが、実際に刑事弁護を担当する弁護士の目から見ても、あまりのリアリティさに思わずうなってしまった。

ストーリーは、フリーターの金子徹平が、朝の通勤通学ラッシュの電車で就職面接に向かう際、女子中学生に痴漢と間違えられてしまい、早く自由になるために「自白+示談」で済ませてはという「親切なアドバイス」という誘惑を拒んで、無実を晴らすべく戦う決意をしたが、そのまま逮捕されて長く拘留されて、厳しい取り調べの後に起訴されるというものである。その後は主人公と弁護人、そして支援者たちによる血のにじむような長い戦いが始まり、有利な目撃者たる女性の探し出しという展開も経たものの、結末はハッピーエンドではない・・・救いがない・・・司法の行く末を案じてしまう内容である。

現行犯逮捕から、司法警察員の取調べ、副検事による検察庁での取調べと調書作成、正式起訴・略式起訴・不起訴の決定前後の状況、公判、証拠調べ、判決と、見ている者にとって、刑事手続きの流れを簡単にかつ正確に知ることができる。

この映画は、2002年に東京高裁で逆転無罪判決が出された事件をきっかけに作られたものという。そして、この映画は、痴漢冤罪事件という切り口から、日本の刑事裁判の実態と病巣を見事に切り出して告発している。

リアリティに富んだ映画であったが、(大阪の弁護士は皆が同じことを言うが)、映画の中の法廷シーンでの「検察官と弁護人の席」は逆に感じた。通常は、傍聴席から見て、正面が裁判官で、左に検察官、右に弁護人が座るのが、逆でっあった。ただ、関西の法廷の大半はこのパターンであるも、必ずしもおそういった規則はないようで、全国的には、映画のような配置も多いようである。

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○絶望的な気になる「痴漢冤罪主張事件」であるが、これを打開する工夫も出てきてはいる。

被害を主張する女性の衣服から指紋を採取する技術や、被疑者の指に付着した衣服の繊維の採取と鑑定といった科学捜査手法が開発されてきた。こういった物的証拠が捜査段階で重要視されれば、ある程度は冤罪を防ぐことが可能となる。こういった技術のさらなる進化が望まれる。

ただ、触れはしたが、満員電車内での揺れからきた過失行為などでの場合などは、これでは解決しない。そういった意味では根本解決にはならない。

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○裁判例
以下に、実際に裁判で無罪が宣告された「電車内痴漢」事件を拾ってみた。


@大阪地方裁判所平成18年11月30日判決
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(昭和38年兵庫県条例第66号)違反被告事件 【新幹線(指定席)車内における痴漢の事実について、被告人の手が被害者の胸に触れたことは認められるものの、故意を認めるには合理的疑いが残るとして、無罪が言い渡された事例】(LLI登載)

A平成18年3月10日東京地方裁判所八王子支部判決
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反被告事件 【電車内での痴漢の事案において、被害事実の存在に関する被害者の供述及び被告人の捜査段階での自白供述の各信用性がいずれも否定され、無罪判決が言い渡された事案】(判例タイムズ1218号314頁)

本件公訴事実は、「被告人は、平成17年4月8日午後11時44分ころから同日午後11時49分ころまでの間、東京都新宿区新宿〈番地略〉東日本旅客鉄道株式会社新宿駅から東京都中野区中野〈番地略〉同社中野駅までの間を走行中の同社中央線電車内において、甲野花子(当時35歳)に対し、その臀部を着衣の上から手で触るなどし、もって公共の乗り物において、人を著しくしゅう恥させ、かつ、人に不安を覚えさせるような卑わいな行為をしたものである。」というものであった。
被告人は当初事実を否認し、逮捕勾留から数日が経過した後に自白して一旦は略式起訴に応じたものの、その後に正式裁判の申立てをして、公判段階では再び否認に転じた。そして、裁判所は、@被害者の供述によっても、そもそも「被告人が被害者の臀部を着衣の上から手で触るなどした」という公訴事実記載のような犯行があったかどうか自体極めて疑わしい上、A被告人の捜査段階での自白供述の信用性は極めて低いなどとして、被告人に対して無罪の言渡しをした。

B平成14年12月5日東京高等裁判所判決
強制わいせつ被告事件 【電車内における痴漢の事案において、被告人を犯人であるとする被害者の証言には疑問があるなどとし、有罪とした第一審判決を破棄して無罪とした事件】(判例時報1813号157頁)
上述の映画『それでもボクはやってない』の下敷きになった事件である。

この第一審判決は、「被告人は、平成一二年一二月五日午前七時五七分ころから午前八時一〇分ころまでの間に、西武新宿線鷺ノ宮駅から高田馬場駅に至る
までの間を走行する電車内において、乗客のB子(当時一九歳)の右手首をつかみ、その右手を自己の勃起した陰茎に擦り付けるなどし、もって強いてわいせつな行為をした。」という強制わいせつの事実を認定して、被告人を有罪としたが、高裁で無罪とした。
その理由として、同高裁は、「B子証言については、被害事実に関する部分は基本的にその信用性を肯定してよいと考えられるが、被告人を犯人であるとする部分についてはいくつかの重大な疑問があり、その信用性を肯定するには足りないというべきである。他方、被告人の本件犯行を否認する供述の信用性は、容易には否定できないというべきである。そうすると、ほかに本件犯行を立証する決定的証拠が存しないのであるから、結局、本件は合理的疑いを容れない程度の立証がなく、犯罪の証明がないことに帰する。」とした。

C平成12年10月19日大阪地方裁判所判決
強制わいせつ被告事件 【満員の阪急電車内での痴漢行為について、被告人を犯人とする被害者の供述に疑義があるなどとして、被告人に対し無罪を言い渡した事件】(判例時報1744号152頁)

本件公訴事実は、「被告人は、平成一二年三月二三日午前八時二〇分ころから同日午前八時三一分ころまでの間、大阪府豊中市本町《番地略》阪急電鉄株式会社豊中駅を出発し、大阪市淀川区十三東《番地略》同十三駅までに至る同雲雀丘花屋敷駅発梅田行き急行電車内において、乗客のA子(当時一七歳)に対し、手を同女のパンティー内に差し入れて臀部をなで、手指で同女の肛門を触り、更に手で同女の乳房を着衣の上からもみ、もって、強いてわいせつな行為をしたものである。」というものであったが、裁判所は、被告人を犯人とする被害者の供述に疑義があるなどとして、被告人に対し無罪を言い渡した。

同裁判所は、A子供述から認定できる事実として、「以上によると、被告人と犯人とを結びつける事項に関する供述については、疑問を差し挟む余地も小さくなく、高度の信用性を有するものとは到底評価できない。具体的に言えば、捜査段階から一貫していた、犯人着用の衣服のそでが紺色だったなどという点ですら、疑義を差し挟む余地がある上、A子が最初に犯人の手をつかんだときの犯人の手が臀部ないし腰部(身体の後ろ側)にあり、いったん振り払われた犯人の手を目で追うことは著しく困難であったと認めざるを得ないところ、その時点では本件電車のドアが開いて乗降が始まって車内の乗客の流れも生じており、A子の後方にいた人物が入れ替わっていた可能性もあり、A子が二度目につかんだ手(被告人の手)が本件わいせつ行為をした犯人の手であるとは言い切れないのであるから、A子供述により、被告人が本件強制わいせつの犯人である蓋然性があることを認定できるとはいえ、被告人以外の者が犯人である可能性を排斥することもできず、結局のところ、A子供述からは被告人を本件強制わいせつの犯人と認めることはできない。」とした。

その上で、被告人の犯人性について、「なるほど、被告人が本件前後に取った行動が不自然なものという余地があり、これに対する被告人の説明も必ずしも説得的であるもの(疑問を氷解するには至らない。)とはいえず、むしろ、実際に痴漢を行った者が取った行動と仮定すれば流れとして自然に理解できること、被告人の供述に信用性に疑問がある点が散見されること(被告人の本件前後の行動に関する説明、被告人が豊中・十三間の電車内でA子を認識していたかに関する供述、A子に手をつかまれたときの状況等)、A子自身も被告人を本件強制わいせつの犯人とは判断し、そのように判断した相応の理由も供述していること等に照らすと、被告人が本件強制わいせつをなしたとの疑いも強い。

しかしながら、被告人と犯人の結びつけに関する唯一の直接証拠であるA子供述の信用性には、犯人の特定という核心的な部分につき疑義があるのは前述したとおりであり、結局、犯人の特定に関するA子の供述に高度の信用性があるとはいえない上、A子がいったん手を振り払われた後、被告人の手をつかんだ時点では、少なくとも本件電車が十三駅に到着し、本件電車の出入口ドアが開閉しており、降車客など車内には乗客の流れが生じていたとみられることにかんがみると、A子がその臀部ないし腰部付近にあった犯人の手をいったんつかみ、すぐに振り払われてA子の視界から消えたほんのわずかの時間の間に犯人が逃走し、被告人が、客の流れに押されていったん電車を下りようと振り返るなどしたときに、A子に手をつかまれた可能性もある。これに加え、不自然・不合理と思われる被告人の行動や供述についても、それなりに合理的な説明を加えるのも全く不可能でなく、告人の供述を信用できないものとして排斥することも困難である。

そうすると、本件の証拠関係のもとでは、被告人と犯人が人違いである可能性がないと断定するには躊躇を感じるところであり、結局、被告人が本件強制わいせつの犯人であるとするには、なお合理的疑いが残るといわざるを得ない。」として、無罪とした。
                                            弁護士 三木秀夫

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