懲戒請求呼び掛けで橋下知事に賠償命令(2008年10月02日)刑事弁護と懲戒 |
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○山口県光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求をテレビで呼び掛けられ、業務に支障が出たとして、広島弁護士会所属の弁護士4人が、大阪府知事で弁護士の橋下徹氏に一人300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2日、広島地裁であった。橋本良成裁判長は一人200万円の賠償を命じた。
橋本裁判長は、メディアを通じた懲戒請求の呼び掛けについて「不必要な心理的、物理的負担をさせて損害を与えるもので、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に当たる」と判断した。また、発言の一部について「意見、論評の粋を逸脱している」と指摘。弁護団が被告の弁解として虚偽の事実を作り出した事実はないとして、名誉棄損に当たるとした。
判決によると、橋下氏は2007年5月に放送された民放のテレビ番組で弁護活動に触れ、「許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたい」などと発言した。原告は足立修一弁護士ら。広島弁護士会は今年2月、4人らを懲戒しない決定をした。母子殺害事件で殺人などの罪に問われた元少年(27)は4月、広島高裁の差し戻し控訴審で死刑判決を受け、上告している。
日弁連によると、橋下氏の発言以来、各地の10弁護士会に、少なくとも約8300件の懲戒請求が出され、これまで懲戒を決めた弁護士会はない。橋下氏は「わたしの考え方は間違っていたと判断された。この点は重く受け止めたい」としつつ、「高裁の意見をうかがいたい」として控訴する意向を示した。
(2008年10月02日時事通信社)
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○これは、橋下徹弁護士が、大阪府知事就任前の2007年5月に、いわゆる「光市母子殺害事件」の差戻し裁判で弁護人を務めた弁護士らに対して、読売放送のテレビ番組(『たかじんのそこまで言って委員会』)の中で、「弁護団をもし許せないって思うんだったら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」と視聴者に呼びかけたことに端を発した裁判である。
このテレビ発言の後、それまではなかった当該弁護士らに対する弁護士会に対する懲戒請求が大量に発生し、その件数は、放送後から翌年1月21日ごろまでに、当該弁護士1人当たり600件以上にもなった。
これに対して、発言者たる橋下徹弁護士に対して、非難の対象とされた弁護士らが原告となって損害賠償を求めたいたところ、今回、その原告の主張をほぼ全面的に認容する判決が言い渡されたものである。極めて当然の判決であるとともに、その判決理由も明快であり、刑弁護人の役割に関する今後の重要判例になると思われる。
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○この橋下弁護士によるテレビ発言当時、「光市母子殺害事件」の報道は、被害者遺族である夫の涙を誘う姿勢が、世間の強い関心を呼んでいた。その刑事裁判が最高裁で差し戻されると行った特異な展開もあって、マスコミの集中的かつセンセーショナルな報道が過熱していた時期であった。わたし自身は、一人の弁護士として、この橋下発言は、あまりにもひどいものであって、およそ法曹の一員としての基本的倫理観すら、彼は持ち合わせていないのではないかと、感じた。
この「光市母子殺害事件」では、被告の元少年が一、二審で起訴事実を認め、無期懲役の判決を受けたが、最高裁からの差し戻された後の控訴審で一転して死刑が言い渡され、現在は上告中である。まさに、この事件では、無期懲役か死刑かが問われており、弁護人になった者は、被告人のための弁護に全力を尽くすのは、極めて当然のことである。
この弁護人の法廷での活動内容に対して、橋下弁護士は「許せない」と言い、テレビを通じて広く、その法廷活動に対して懲戒請求を扇動したことは、全く理解ができない。
○弁護人依頼権は憲法で認められる被告人にとって極めて重要な権利であって、冤罪の防止や罪刑の均衡の実現などのため、自由な弁護活動が最大限保障されなければならない。今回の広島判決がまさに述べているように、「弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命を有する」ものであって、そのための弁護活動のあり方が広く批判されたからといって、「懲戒されることがあってはならない」のである。
橋下弁護士の懲戒扇動は、こういった刑事弁護人の職責について、市民全体に誤解や偏見を生み出すものである。このことによる弊害は極めて大きく、刑事弁護人に萎縮効果を生じさせかねない他、刑事被疑者や被告人に対する権利保護に悪影響を及ぼす業務妨害行為と言ってもいいものである。
願わくば、橋下弁護士自身、弁護士という自らの仕事の根本を見つめ直して頂き、今後は、その知名度を生かして、真の弁護士の職務に対する正しい知識の普及に努めて欲しいと思う。
○この『たかじんのそこまで言って委員会』での橋下発言が話題になって以降、市井の人たちから、何度も、このことについての感想を聞かれて、弁護してしての率直な感想を述べると、意外な顔をされることが多くあった。これによって、多くの人々が、刑事弁護人の意義と役割への理解が極めて不十分であることや、マスコミの一方的報道がいかに市民の考え方に大きな影響を与えているかを、如実に感じた。この「母子殺害事件」の報道では、放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会(BPO)から、多くのテレビ番組が、刑事裁判の基礎知識不足や公平性、正確性の欠如を指摘されたことからも、その問題は明白であった。(ちなみに、マスコミのセンセーショナルな報道姿勢問題に関しては、その後、私が代理人として関与することになった「船場吉兆事件」でも痛感した。記者一人一人は、いい方が多いのだが。)
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○その後、この判決の意義については、その後に広島弁護士会会長が出した以下の声明が明快である。
○広島弁護士会 会長(石口俊一)声明
去る10月2日、広島地方裁判所民事第2部(橋本良成裁判長)は、いわゆる「光市母子殺害事件」の差戻し裁判において弁護人を務めた当会所属の弁護士らが原告となり、テレビ番組での発言をめぐり大阪弁護士会所属の弁護士に対して損害賠償を請求した訴訟において、原告の主張をほぼ全面的に認容する判決を言い渡した。当会は、この判決に接し、刑事弁護人の地位と役割及び弁護士懲戒制度の趣旨について、改めて広く市民に理解されることを期待するとともに、今後も刑事弁護に携わる全ての弁護士がその職責を全うできるよう最大限支援していくことを表明するために、本声明を発表するものである。
記
1 弁護人依頼権は、人類が過去の刑事裁判の歴史の中から、その叡智をもって生み出した被告人にとって極めて重要な権利である。憲法第34条は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」と規定し、また憲法第37条3項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」と規定しており、弁護人依頼権は憲法の明文で認められている。
また、被告人の弁護人依頼権の保障は、被告人に適正な裁判を受ける権利を保障するうえでも不可欠なものである。さらに、弁護人依頼権を十分に保障することは、@裁判所による真実の発見(冤罪の防止)、A罪刑の均衡の実現、B被告人の更生、C社会安全の維持といった重要な社会的利益の確保にも資するものである。
このような被告人の弁護人依頼権の重要性から、弁護人の刑事訴訟手続における弁護活動(主張・立証活動)については、その自由な活動が最大限保障されなければならない。
本判決は、『弁護士は議会制民主主義の下において、そこに反映されない少数派の基本的人権を保護すべき使命をも有しているのであって、そのような職責を全うすべき弁護士の活動が多数派に属する民衆の意向に沿わない場合がありうる。』、『被告人は有罪判決が確定するまでは無罪の推定を受け、弁護人はそのような被告人の保護者としてその基本的人権の擁護に努めなければならないのであって、その活動が違法なものではない限り、多数の者から批判されたことのみをもって当該刑事事件における弁護人の活動が制限されたり、あるいは弁護人が懲戒されることなどあってはならないことであるし、ありえないことである。』と述べ、刑事弁護活動の重要性を明確にしたものであり、高く評価できるものである。
2 過去にも刑事弁護活動に対する理解が不十分なことから非難が寄せられたこともあったが、今回の訴訟で問題とされたテレビ番組における発言は、本判決も指摘するとおり、これまで述べてきたような重要な役割を担う弁護人の使命や職責を正しく理解しないものであり、市民に誤解を与え、さらには助長するものであった。そして、弁護士自治の根幹たる懲戒制度についても、市民に対してその趣旨を外れた誤解を引き起こしたため、刑事弁護活動に対する一種の抗議活動の手段のように用いられたことも極めて遺憾である。
このような誤解は、結果として、弁護人による刑事弁護活動に対する様々な圧迫、制約を生み出すだけでなく、ひいては裁判所による真実の発見、冤罪の防止、罪刑の均衡の実現、被告人の更生、社会安全の維持などの重要な社会的利益をも損なうものである。
3 当会は、本判決が、刑事弁護人の使命及び職責に対する正しい理解の一助となることを期待して、本声明を発表する。 以上
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○広島地裁の判決要旨(共同通信社)
【名誉棄損】
被害者を生き返らせるためだったなどと弁護団が許されない主張をしているという被告の発言は、正確性を欠いているものの弁護団の主張と著しく乖離しない。弁護士が主張を組み立てたという発言は、刑事事件では被告人が主張を変更することはしばしばあり、本件でも原告らが選任される前の弁護人の方針により主張しなかったことも十分考えられる。創作したかどうか弁護士なら少なくとも速断を避けるべきだ。弁護士である被告が真実と信じた相当な理由があるとは認められず、発言は名誉を棄損し、不法行為に当たる。原告らの弁護活動は懲戒に相当するものではなく、そのように信じた相当な理由もない。
【それ以外の不法行為】
弁護士懲戒制度は弁護士会の弁護士に対する指導監督作用の一環として設けられた。だが根拠のない懲戒請求で名誉を侵害される恐れがあり、請求する者は請求を受ける者の利益が不当に侵害されないよう、根拠を調査、検討すべき義務を負う。根拠を欠くことを知りながら請求した場合、不法行為になる。
マスメディアを通じて特定の弁護士への懲戒請求を呼び掛け、弁護士に不必要な負担を負わせることは、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に該当する。原告らは極めて多くの懲戒請求を申し立てられ、精神的、経済的な損害を受けたと認められ、被告の発言は不法行為に当たる。
被告は、多数の懲戒請求がされた事実により、原告らの行為は非行に当たると世間が考えていることが証明されたと主張するが、弁護士の使命は少数派の基本的人権の保護にあり、弁護士の活動が多数派の意向に沿わない場合もあり得る。
また刑事弁護人の役割は刑事被告人の基本的人権の擁護であり、多数の人から批判されたことをもって懲戒されることはあり得ない。被告の主張は弁護士の使命を理解しない失当なものである。
被告の発言は懲戒事由として根拠を欠き、そのことを被告は知っていたと判断される。被告が示した懲戒事由は「弁護団が被告人の主張として虚偽内容を創作している」「その内容は荒唐無稽(むけい)であり、許されない」ということであるが、創作と認める根拠はなく、被告の憶測にすぎない。また荒唐無稽だったとしても刑事被告人の意向に沿った主張をする以上、弁護士の品位を損なう非行とは到底言えない。
被告は、原告らが差し戻し前に主張しなかったことを主張するようになった経緯や理由を、一般市民や被害者遺族に説明すべきだったと非難するが、訴訟手続きの場以外で事件について発言した結果を予測することは困難であり、説明しなかったことも最善の弁護活動の使命を果たすため必要だったといえ、懲戒に当たらない。
【発言と損害の因果関係】
発言は多数の懲戒請求を呼び掛けて全国放送され、前日までなかった請求の件数は、放送後から2008年1月21日ごろまでに原告1人当たり600件以上になった。
またインターネットで紹介され、氏名や請求方法を教えるよう求める書き込みがあり、ネット上に請求書式が掲載され、請求の多くはこれを利用していた。掲載したホームページには発言を引用したり番組動画を閲覧できるサイトへのリンクを付けて発言を紹介、請求を勧めるものがあった。
多数の請求がされたのは、発言で被告が視聴者に請求を勧めたことによると認定できる。被告は請求は一般市民の自由意思で発言と請求に因果関係はないと主張するが、因果関係は明らかだ。
【損害の程度】
原告らは請求に対応するため答弁書作成など事務負担を必要とし、相当な精神的損害を受けた。もっとも呼び掛けに応じたとみられる請求の多くは内容が大同小異で、広島弁護士会綱紀委員会である程度併合処理され、弁護士会は懲戒しないと決定した。経済的負担について原告の主張そのままは採用しがたい。
弁護士として知識、経験を有すべき被告の行為でもたらされたことに照らすと、精神的、経済的損害を慰謝するには原告らそれぞれに対し200万円の支払いが相当だ。
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○判決全文を見る場合は下記をクリック
http://image01.wiki.livedoor.jp/k/n/keiben/768752048f5c55e7.pdf(前半)
http://image02.wiki.livedoor.jp/k/n/keiben/7388d95c956749fb.pdf(後半) |
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