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三木秀夫法律事務所
このページは最近話題になったニュースを題材にして、そこに関係する各種法令もしくは
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ニュース六法目次
男性襲撃の土佐犬を警察官が発砲して射殺(2009年01月10日)  緊急避難
○10日午後9時40分ごろ、愛知県稲沢市増田東町の畑で、飼い犬を連れて散歩中の近くの男性(39)に、大型犬が襲いかかり馬乗りになった。近所の住民から「迷い犬がいる」との110番で出動していた県警稲沢署地域課の男性巡査(25)が、男性を守ろうと拳銃2発を至近距離から発射し、大型犬を射殺した。襲われた男性にけがはなかった。調べでは、大型犬は体長約1.25メートル、体高約74センチで、鎖の首輪をしており飼い犬らしい。飼い主を捜している。

大型犬は男性を襲う直前、署員らに襲いかかろうとしてパトカー内に侵入。別の署員(27)が追い払ったところ、男性に襲いかかったという。また、近所の飼い犬1匹がかみ殺されていた。拳銃の使用について、後藤久雄同署副署長は「目の前で人が襲われ危険な状態で、拳銃使用は適正と考えている」と話している。(毎日新聞09年01月11日)

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○現場では、これは大騒ぎであったろう。大型犬が馬乗りになって襲われていた男性は、生きた心地はしなかったものと思う。怪我がなかったというのも奇跡的である。その大型犬は、その直前には署員らに襲いかかろうとしてパトカー内に侵入したというが、その時の襲われた署員も恐怖であったろう。また、近所の飼い犬1匹がかみ殺されていたというが、さて、この大型犬がここまで狂暴になったのは、何が原因だったのであろうか。

○同日の他の報道からの情報によると、この大型犬は、現場から約5キロ離れたところに住む建築業者の男性が闘犬用に飼育していた3歳の雄の土佐犬であったという。自宅敷地内に鉄材で作った囲いの中で放し飼いにしていたが、10日夕、いなくなっているのに飼い主が気付き、11日午前、県警に届けたという。囲いは施錠してあったが屋根がなく、乗り越えて逃げ出したとみられ、同署は飼育や管理の方法に問題があったとみて県動物愛護条例違反(係留義務違反)の疑いで男性から事情を聴いているとのこと。10日午後8時50分ごろ、付近の住人から「飼い犬が大型犬にかみ殺された」と通報があり、署員2人が出向き、この土佐犬を発見したが、その後は、上記の毎日新聞記事のような結果になったということである。

別の新聞では、男性に馬乗りになっていた土佐犬が、今度は警官に向かってきたために拳銃を発射したというものもあった。この辺の事実関係は、いくぶんか不明な点がある。

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○この事件で、恐怖感を味わった方々や、飼い犬をかみ殺された近所の方には気の毒だが、この記事を読んだ時には、思わず、大学時代や司法試験受験時代に悩んだ、「刑法と民法の緊急避難」という法律用語や、今回とよく似た事案をひねったような複雑な試験問題を思い出してしまった。

○今回のこの事件(男性に馬乗りになっている土佐犬を撃ったという毎日新聞記事を前提とする)をもとに、試験問題を考えるとなると、以下のようなものだろうか。
(1)刑法の試験
拳銃2発を至近距離から発射して大型犬を射殺した警官Aの罪責について論ぜよ。
(2)民法の試験
この大型犬の飼い主Xは、大型犬を射殺した警官Aと愛知県警に対して、大型犬を殺されたことに対して損害賠償を請求することができるか。

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○この2問は、法律を学んだ方でなくても、結論自体は、容易に分かるかと思う。
まず、刑法の罪責について、この大型犬を射殺した警官Aが罪に問われることはないであろうということと、民法の損害賠償においても、警官Aや愛知県警が損害賠償義務(愛知県警は国賠)を負うことも無いと解される(ただし、あくまでも、毎日新聞記事での情報だけでの判断である。)
法律的な回答となると、ここでは、きちんと法律の条文上の根拠を示しながら理由を示さなければならない。そして、ここでは、刑法と民法とで、同じ法律用語についての使い方が大きく違っていることが法律を難しくしている。

○条文上の法的根拠に触れながらの回答となると、以下のようになろうか。

刑法問題:「警官Aの大型犬の射殺行為は、器物損壊等(刑法第261条)の構成要件には該当するが、物(大型犬)から生じた現在の危難に対して、第三者(男性)の生命・身体を守るため、他の手段が無いためにやむを得ず他人の財産(大型犬)に危害を加えたものであるが、やむを得ずに生じさせてしまった大型犬の損害よりも避けようとした損害(男性の生命身体)の方が大きいことから、緊急避難(刑法37条1項本文)に当たるため、違法性が阻却され、無罪となる。」

民法問題:「他人の物(大型犬)によって生じた急迫の危難に対して、第三者(男性)の権利(生命身体)を防衛するために、その物(大型犬)を毀損(射殺)する行為は、民法720条2項の緊急避難となり、その大型犬の所有者から損害賠償義務は負わない。」

○刑法
(正当防衛)
第36条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。 (第2項略)
(緊急避難)
第37条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。 (第2項略)

○民法
(正当防衛及び緊急避難)
第720条  他人の不法行為に対し、自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため、やむを得ず加害行為をした者は、損害賠償の責任を負わない。ただし、被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
2  前項の規定は、他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。

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○刑法・民法と、「正当防衛」・「緊急避難」
この二つの法律解釈では、ともに「正当防衛」・「緊急避難」の語が用いられるが、概念は違っている。この点が、法律の初学者の混乱を招いているが、それだけでなく、専門家といえどもいつまでも頭の混乱を生じさせている。

○刑法における「正当防衛」と「緊急避難」
刑法の「正当防衛」は、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」をいい、犯罪とならない(刑法36条1項)。

そして刑法の「緊急避難」は、「自己又は他人」の「生命・身体・自由・財産」に対する現在の危難に対して、これを避けるため、やむを得ず他人やその財産に危害を加えたとしても、「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」には、違法性が阻却されて犯罪とはならない(刑法37条1項本文)。

緊急避難の問題については、ギリシアの哲学者であるカルネアデスが出した問題(カルネアデス板)が有名である。これは、乗船していた船が難破してしまい、荒れ狂う海面に投げ出されて、何とか浮かぶ板切れに乗ったものの、その板切れは、ひとりの体重を支えることが限界であったところ、他の誰かがその板切れにしがみつくと、一緒に沈んでしまう状況下で、後から来た誰かがしがみつこうとした際に足でけり飛ばしてこれを妨害したことにより助かった場合、その行為が罪を問われるかを問うたものである。この場合、刑法第37条「緊急避難」として罪には問われないことになる。

○対物防衛
なお、今回の土佐犬は、飼い主がいるために、射殺した警官は、一応器物損壊罪が問われる可能性があるが、これについて、「これは正当防衛にはならないのかどうか」が議論にはなる。

しかし、通常、正当防衛が問題になるのは、人が他人に対して危害を加えてきたことに対しての防衛行為の場合である。このため、犬という人以外のものに対する場合は、「対物防衛の問題」として議論がされている。

これまでの通説では、対物防衛は否定されていた。正当防衛は、「急迫不正の侵害」が前提になるが、従来の通説ではこれを人間の違法な行為のことを指すとしていた。したがって、犬の襲撃は急迫不正の侵害にはあたらないので、正当防衛の要件を満たさないことになる。このため、これを「緊急避難の問題」としていた。

緊急避難は、「自己又は他人の生命・身体・自由・財産」に対する現在の危難があり、これを避けるため、やむを得ず「他人やその財産」に危害を加えることで、「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」は違法性が無いということになる。他人の犬によって今回のようなことが生じた場合は、これに当たるとされてきた。

ただし、飼い主が犬をけしかけて人を襲わせたような場合(故意による侵害)ならば、それは人間の直接の違法行為(犬は単なる道具)によるものなので、まさに正当防衛の問題となる。さらに、最近は、飼い主の飼い方のミスで脱走しその結果危害を生じさせたような、過失によって危害を発生させたような場合も、人の行為による侵害と解して、その場合も正当防衛になるとするのが一般的になりつつある。

○民法における「正当防衛」と「緊急避難」
民法の「正当防衛」は、「他人の不法行為」に対して自己や他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為のことをいい、それによって他者に損害を与えたとしても損害賠償責任は発生しない(民法720条1項本文)。

そして民法の「緊急避難」は、「他人の物から生じた急迫の危難」から、自己や他人の権利を防衛するために、その物を損傷した場合のことをいい、それによって他者に損害を与えたとしても損害賠償責任は発生しない(民法720条2項)。

このように、民法の「正当防衛」と「緊急避難」の違いは、前者の正当防衛が「他人の不法行為からの防衛」であるのに対して、後者の「緊急避難」は「他人の所有する物から生じた急迫の危難に対する防衛」が対象となる。今回の土佐犬の事例で言えば、土佐犬の襲撃は「他人の行為」ではなくて、「他人の所有物たる犬から発生した危難」であるから、緊急避難ということになる。

○「刑法上の正当防衛」と「民法上の正当防衛」
刑法の「正当防衛」と民法の「正当防衛」の違いは、前者の刑法では、違法性を失わせて無罪となるかどうかの問題であり、後者の民法では、損害賠償責任を負わなくてはならないかどうかという次元で問題となる。
このように刑法の正当防衛は、急迫不正な行為に向けられたものであるのに対し、民法では、反撃型だけではなく、第三者転嫁型(720条第1項但書)も正当防衛と呼んでいるのである。これは民法720条第1項は正当防衛を定め、第2項が緊急避難だという解釈から出ている。(「ああ、ややこしい」の声が聞こえてきそうである。)

○「刑法上の緊急避難」と「民法上の正当防衛」
今回の事件は土佐犬による襲撃であるが、これを「粗暴犯による襲撃」と仮定して置き換えた場合において、その粗暴犯から逃れるため、他人の家の玄関を壊して家屋内に逃げ込んだ場合、刑法上では緊急避難の問題となるが、民法上は正当防衛の問題となる。
つまり、刑法上は不正の侵害者たる粗暴犯とは別の第三者の財産である家屋を侵害しているので、緊急避難の問題となり、生命身体と財産権との比較からして前者が軽いので、その家屋破壊行為(建造物損壊)については罪に問われない。

これを民法上で考えたら、粗暴犯たる「他人の不法行為」への対応で、自分の生命身体を守るために玄関を損壊した行為であるから、「正当防衛」の問題ということになり、壊した玄関について所有者には賠償する義務がないこととなる。しかし、家屋所有者(被害者)から粗暴犯に対して損害賠償請求をすることができる。(民法第720条1項但書)。

○過剰避難
昨年、こういうニュースがあった。
「散歩中の他人の愛犬をけり殺したとして、愛知県警は15日、名古屋市千種区清住町、会社員T容疑者(44)を器物損壊の疑いで現行犯逮捕し、名古屋地検に送検したと発表した。発表によると、T容疑者は今月13日午後4時45分ごろ、同区覚王山通の歩道で、男性会社員(40)が連れていた飼い犬を右足でけり、死亡させた疑い。犬は生後4か月の雄のチワワで、動物病院に運ばれたが、内臓破裂のため間もなく死亡が確認された。T容疑者は右足で思い切りけった後、歩いて立ち去ろうとしたが、目撃していた男性会社員(47)に取り押さえられた。調べに対し、「犬が怖かった」などと話しているという。」(2008年7月15日読売新聞)

これは、犬好きの人からしたら、到底許せない事件である。生後4か月のチワワを、怖いと言ってけり殺すなどとは、普通では信じがたい。こういったケースは、そもそも、「現在の危難」そのものが存在していないと言えるので、通常は緊急避難自体が成立しないと言える。また、仮に、このチワワが、この男性に「襲いかかった(?)」としたとしても、これを排除することは極めて容易なわけであるのに、あえて蹴り返すというのは、危険が回避されたことで得られた利益とそれによって侵害されてしまった利益を比較するという法益均衡の要件からしても緊急避難とはならない。

ただし、世の中には極めて犬嫌いの人もいるのも事実である。こういった場合は、場合によったら過剰避難が議論される余地があるのかもしれないが、いかがだろうか。ただ、その場合は、情状が考慮される可能性が生じるだけであるが。 
                                            弁護士 三木秀夫

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