◆語りコラム・40 研究論文≪味噌買橋の出自≫の要約

 

昔話「味噌買橋」のルーツをたどる

櫻井美紀

 

 

 
 

    柳田國男と昔話

 柳田國男(1875〜1962)は日本民俗学の創始者で、大正から昭和にかけて『郷土研究』『民俗』『民間伝承』などの雑誌を主宰し、幾多の民俗学者を育てました。柳田を師と仰ぐ学徒は多く、その中に東大医学部出身の澤田四郎作がいました。
 澤田四郎作は飛騨(岐阜県)の民俗調査に度々出かけ、調査期間は常に岐阜県大野郡丹生川村の松岡家に逗留していました。あるとき松岡家の人々が書いた昔話の原稿を受けとった澤田は、それを小さな冊子にまとめ、柳田に献呈しました。
 柳田は外国の文献に載っている「スワファムの行商人」の話をよく知っていましたから、丹生川村の昔話集に入っている「夢と夢」と題した味噌買橋の話に疑問を感じ、『民間伝承』に「夢と夢」の粗筋を紹介し、次のようなことを書きました。
 「この話の炭焼きを行商人に、味噌買橋をロンドンブリッジに取り替えれば、英国のものと同じである。誰が如何なる方法で運んで、この地球の両端ともいってよい二つの国に、共通の昔話を分布せしめたか」
 その後、この話はロンドン橋との比較で論じられることは度々あっても、詳しく調査する人はなく、1962(昭和37)年に中学1年の国語教科書に載ってからは全国で「味噌買橋」の話を語る人が増えてきました。


 
 

    外国昔話の翻案

 日本で外国の昔話が翻訳されるようになったのは、明治の初めの頃からです。しかし明治時代から大正時代では、外国文学の人物・土地・風俗を日本のものに移し変えて日本の話のようにつくる「翻案」という紹介の仕方があり、昔話もその翻案にならったものが多かったのです。そのような書き換えには、原典を明記する習慣はなく、それが後になって混乱を起す元になりました。
 1924(大正13)年から1927(昭和2)年にかけて、松村武雄の編纂による『世界文学大系』が刊行されました。このシリーズは23巻からなり、「グリム童話集」をはじめとして世界の昔話を主にしたものでした。このシリーズの第7巻にイギリス昔話の翻訳の「スワファムの行商人」が入っていました。

 
 

    日本の民話への混入

 昭和の初め、高田町(現在は高田市)の小学校の教師であった小林幹は『世界童話大系』を購入し、愛読していました。彼は土地の伝説や昔話を聞き取る郷土教育も熱心に行い、その一方で伝説風な創作を書いていました。やがて彼は「スワファムの行商人」をもとに、自分の住む土地の味噌買橋に当てはめた作品を書き、謄写版刷りの冊子に掲載、発行しました。その頃小林は高山町に隣接する丹生川村を度々訪れていました。丹生川村の松岡つぎと松岡みか子の姉妹が、知り合いである小林の書いた冊子を手に入れ、それを書き写し、その原稿を民俗調査に訪れた澤田四郎作に渡し、それが柳田の目にとまったのでした。
 
小林幹が地元の飛騨高山の「味噌買橋」の橋の名を使って書き換えをしたのは1933(昭和8)年頃で、柳田國男が疑問を呈したのは1939(昭和14)年でした。そのあと50年経ってから、櫻井美紀の調査により以上のことが分かりました。「味噌買橋の出自」としてまとめられた櫻井論文は、日本の昔話がすべて古くから伝えられたという考え方を突き崩す論文として注目されました。

【参考】
櫻井美紀「味噌買橋の出自」(『口承文芸研究・15号』に所収、1992年)
櫻井美紀「味噌買橋の翻案と受容」(『昔話の語りと現在』に所収、久山社、1998年)

 
 

要約作成:2009年1月  著作権所有:櫻井美紀  転載使用には許諾が必要です。

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