| 日本の民話への混入
昭和の初め、高田町(現在は高田市)の小学校の教師であった小林幹は『世界童話大系』を購入し、愛読していました。彼は土地の伝説や昔話を聞き取る郷土教育も熱心に行い、その一方で伝説風な創作を書いていました。やがて彼は「スワファムの行商人」をもとに、自分の住む土地の味噌買橋に当てはめた作品を書き、謄写版刷りの冊子に掲載、発行しました。その頃小林は高山町に隣接する丹生川村を度々訪れていました。丹生川村の松岡つぎと松岡みか子の姉妹が、知り合いである小林の書いた冊子を手に入れ、それを書き写し、その原稿を民俗調査に訪れた澤田四郎作に渡し、それが柳田の目にとまったのでした。
小林幹が地元の飛騨高山の「味噌買橋」の橋の名を使って書き換えをしたのは1933(昭和8)年頃で、柳田國男が疑問を呈したのは1939(昭和14)年でした。そのあと50年経ってから、櫻井美紀の調査により以上のことが分かりました。「味噌買橋の出自」としてまとめられた櫻井論文は、日本の昔話がすべて古くから伝えられたという考え方を突き崩す論文として注目されました。
【参考】
櫻井美紀「味噌買橋の出自」(『口承文芸研究・15号』に所収、1992年)
櫻井美紀「味噌買橋の翻案と受容」(『昔話の語りと現在』に所収、久山社、1998年)
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