◆語り手たちの会創立30周年記念基調講演◆語りコラム・36

光ある未来へ語り継ぐ

櫻井美紀

 

 2007年12月16日、東京家政大学の大講義室を会場に、語り手たちの会創立30周年記念事業のイベントの一つとして《新しい語りの創造》のタイトルでシンポジウムが開かれました。この原稿はそのシンポジウムの基調講演をもとに、語り手たちの会発行の会誌『語りの世界・46号』に掲載されたものです。(著作権所有者:櫻井美紀)

 

 
 

   1 はじめに

 
 

 今から三十年前の一九七七年十二月四日の午後、中野区の音楽室に十一人の大人と七人の子どもが集まって「むかーし、むかーし、あるところに……」という言葉で語りを始め、ともに聞き、楽しんだときから“語り手たちの会”は歩みを続け、はや三十年の月日が経ちました。語る仲間は全国に増え、私たちの会の会員は家庭で子どもに語るほか、学校や園や施設に出かけて語る活動を続けています。
 そこで今日は創立の日から現在までのことと、これから私たちは何をなすべきかを考えてみようと思います。
 ところで、本年(二〇〇七年)はいやなニュースが続いた年でした。年末になって、今年の一字漢字というのが“壊”(人心破壊、環境破壊、生活破壊)だの“偽”(白い恋人・赤福・防衛庁ほか)だのと発表されました。まったく心が暗くなってしまいます。来年のことを考えるときに、私たちはこの世の中が明るく幸せになることを願いたいですね。そのようなときに必要なのが語り手の語るちょっとした物語です。人は小さな物語を受取って心にちょっぴり幸せな灯をともすことができるのです。それを試してみましょうか?
 私が今から語ろうと思う小さな物語は、今年のイギリス旅行の途中で語り手から聞いた昔話です。若くて貧しいイギリスのお百姓さんのお話です。
 「むかーし、あるところに、一人の若いお百姓さんがおりました。このお百姓さんは働き者でしたが、とても貧乏でした。……」
 (私は五分間の妖精昔話を語りました。登場人物は若いお百姓さんと年老いた両親と若い妻、そして緑の服を着た小人の妖精です。小人の助力と若いお百姓さんの賢い願いで一家は幸せになります。話の途中で聞き手の皆さんは少し笑い、最後は大笑いと拍手がありました)
 今、聞いてくださった皆様はこのお百姓さん一家の幸せをイメージし、心が明るくなったのではないでしょうか。語り手は声と言葉で聞き手に良いものを届けることができるということなのです。では、未来の幸せを考える心の共通の土壌ができたところで、続きをお話したいと思います。
 十一人の会員で発足した語り手たちの会は最初の一年で会員数四十人となりました。八年目で百人を超え、十年目では二百人になりました。会員数が四百人を超えたのは二十二年目です。創立後三年目から講座をはじめ、五年目からは連続講座を始めました。十年目には一般公開のイベントを始め、十五年目の一九九一年に《語りの祭り》の提唱をして、それが今日の《全日本語りの祭り》へと発展しました。
 会報「太陽と月の詩」は活動の一年目から発行し、年六回の発行で本年の十二月号は一七八号となりました。会誌『語りの世界』は一九八五年から発行を始め、年二回の発行、今年の十二月で二十三年目、四十五号となりました。十九年目からはテラブレーションが始まり、二十年目からは十年連続の語りのセミナーが行われました。《新しい語りの文化の担い手を養成するセミナー》としてスタートしたこのセミナーで、八クラス、延べ二一三名が卒業していきました。その間、新しい語りへの挑戦と、クリエイティブな語り手の養成に、会としての多くの気づきがありましたので、このセミナーの十年間はまさに私たちの語りの目的を探る貴重な時期となったのでした。

 
 

  2 これまでの日本の語りについて

 
 

 語りは古代から始まっているものです。それは中世を通って、近世から現代へと続いた営みです。神話が語られた時代から、平家物語の語られた時代、江戸時代から始まった講談や落語、各地の家々で祖父母から孫へと語られた民話の語り、そして明治の中ごろからはじまった近代のストーリーテリングまで、すべて現在の私たちの語りの活動につながっています。
 語りの歴史については、本年、私は連続講座でお話しいたしましたが、本日、繰り返して申し上げたいのは日本の図書館活動の語りと市民文化活動の語りとの関係です。
 「語り」というものは、特別な場所で語ることばかりではなく、まず家庭で語る普通のコミュニケーションを含んでいます。親子で語り合うとか、幼い子が眠くなったときに歌のあるおはなしを語って眠らせることなどを私たちは普通のこととして続けております。しかし、家庭内に電化製品のあふれる現代社会では、家庭での語りは昔に比べて少なくなり、その結果引き起こされた人心の破壊は大きな問題となっています。
 語りの活動は家庭での語りとは別に、昔から社会的な、公共の場で語る活動があります。村の行事の特別な日の語り、語り芸人の語り、劇場で語られる語りなどです。どの国でも家庭の語りのほかに社会的な語りの場がありました。
 近代の図書館のストーリーテリングが古代からはじまっている語りの歴史と、まったく別のところから来たと考えるのは間違いです。近代のストーリーテリングについて発言するときには、古代からの語りの本質を忘れてはならないと思うのです。
 日本で図書館活動が始まったのは明治の初年です。新聞などを閲覧するところとして公立の図書館が始まり、明治の中期には県や市町村の公共図書館が生まれ、一九〇五年(明治三八年)には山口県立図書館に日本で初の図書館児童室が設置されました。そして一九〇八年(明治四一年)、日本の図書館にアメリカの図書館で行われている「ストーリーテリング」が紹介されました。その年(明治四一年)の『図書館雑誌』に「ストーリーテリング=児童のために談話をして聴聞せしむること」と紹介されました。次の号には「談話時間」の紹介があり、「ストーリーアワー」とルビがふってあります。それが今から九十九年前のことです。日本からアメリカのストーリーテリングを視察に行った最初の人は口演童話家の久留島武彦で、それが大正年間のことです。大正時代には日本の各地の図書館でストーリーアワーが始まり、口演童話家がおはなしを語りました。そのときのプログラムは大正時代の図書館報『市立図書館と其事業』に掲載されています。それで分かるように、昭和の戦争の時代まで、日本の近代的なストーリーテリングを進めていたのは口演童話家でした。口演童話の語り方は講釈師に近い口調で、語る内容には日本の昔話とともに、グリムやアンデルセンが多く含まれていました。
 太平洋戦争の後にアメリカにストーリーテリングの勉強に行った人が渡辺茂男さん・松岡享子さん・間崎ルリ子さんらです。その少し前、一九六一年に石井桃子さんがトロントで行われたストーリーテリング大会に出かけています。その報告を石井さんは『子どもの図書館』(岩波新書)に書きましたが、その本の出版が一九六五年です。同じ年に、図書館員だった小河内芳子さんが児童図書館研究会で「ストーリーテリング講習会」を始めました。
 図書館員のためのお話の講習会が始まったのが、今申しました一九六五年のことです。それ以来、日本の多くの図書館で児童奉仕としてのお話の時間が設けられているのは喜ばしい状況です。子どもたちのために楽しいストーリーアワーが行われているのを、私もとてもうれしいことだと思います。
 ところが一部で困った状況も起こっています。実は最近になって「ある所でこういわれました」という報告が頻繁に聞かれるようになったのです。語りを始めた人が困っている問題なのであえて申しますと、こういうことです。
 あるお話会でお話の途中で手を上げて動作をした人が「そこでなぜ手を動かしたのですか。手を動かすと子どもがその手に気をとられます」といわれたという報告が三件ばかりありました。一、二歩、歩いて動作をした人が「ストーリーテリングに下半身はいりません」といわれたという報告、「声色を使ってはいけません。子どもを脅かすような声を出してはいけません」「語り手が感情を出してはいけません」といわれたという報告もありました。そのほかにも「そこで、と、それから、を間違えましたね」などもありました。
 どうも、新しく語り始めた人は各地でストーリーテリングの先輩からそのように言われて、困っている様子がうかがわれるのです。
 語りを始めたばかりの人が、ストーリーテリングとはいったいどのような活動なのか、本来の姿はどのようなものなのか分からぬまま、グループの先輩からそのように言われると、とても困ると思うのです。
 確かに、ストーリーテリングは芝居とは違います。そこから「大げさな演技はいりません」という言葉が出てきたのでしょう。しかし自然な手振り身振りまで押さえつけて、硬直した姿勢を続けるのはかえって不自然なのです。普段の会話のときに身体は柔らかく楽にしているように、語りのときも楽にしている方が聞き手は聞きやすいのだと、自分で判断できると思います。会話のときに手振りが入るのは自然なことですし、聞き手に分かってもらう手段として楽に行うことなのですから、語りをするときにも自然な動作が入って当たり前と思いますが、いかがでしょうか。語る人の身体が固いと、聞き手に緊張感を与えて、楽しむことができません。
 また、「たんたんと語る」というときの「たんたんと」という言葉が、本来の意味から離れて「感情を押し殺して、無味乾燥に冷淡に語ること」のように曲解されているように思いますので、「あっさりと、しかし感情を豊かに」という言葉があればよいのですね。
 初心者の困惑の解決策は、ストーリーテリングの歴史を調べて、自分で判断するしかないのです。ひとに何か言われて変だと思ったら、以上のことを参考にご自分で考えてほしいと思います。

 
 

   3 海外の語りに出会って驚いたこと

 
 

 語り手たちの会では創立から今までの三十年間に海外のプロのストーリーテラーを約十人迎えています。海外の語り手たちに会うたびに、「ストーリーテラーとはこういうことをする人だったのか!」「ストーリーテリングとはこういうものだったのか!」と目を見張る思いがします。十五年ほど前にカナダから来日のストーリーテラー、キャシー・ミヤタを迎えたときは、本当に新鮮な驚きを覚えました。「ストーリーテリングとはこれほど表現豊かなものであるのか!」という驚きです。
 それと前後しますが、一九九〇年を過ぎた頃、日本民話の会の行事で知り合ったアメリカ文学研究者の阿彦周宜氏から、アメリカの語りの祭りのことをお聞きしました。「アメリカのテネシー州で開かれるストーリーテリング・フェスティバルは何しろ規模が大きい、毎年一万人もの人が集まる、そこで二十人のプロの語り手が三日間、語りを披露して聞き手を楽しませるお祭りだ」というのです。海外に現代のプロの語り手が存在することは見当がつきましたが、小さな田舎の町で大きな《語りの祭り》というのは想像がつきませんでした。その後、阿彦周宜さんがそのテネシーの語りの祭りの代表ディレクターであるJ・N・スミスの著書『ストーリーテラーたち』(大修館書店)を翻訳出版した時に、それを読んだ私たちはようやくアメリカの語りの祭りの想像がついたのでした。その本の出版がきっかけとなり、私たち日本人十人のグループでカナダとアメリカの語りを訪問したのは一九九三年のことでした。
 あのとき(一九九三年)のカナダとアメリカの語りの訪問は、語りをする者にとっては本当に大きい衝撃でした。すごい! 現代のストーリーテリングというのはこういうものだったのだ!と、海外の語りを現地で目の当たりにした感動は、私の語りを一挙に変える力を持っていました。衝撃の中で私が考えたのは「日本の近代の語りは、聞き手にこれほど大きい感動を運ぶには、何か欠けているものがあるのではないか」ということでした。
 そのときの感動とは、以下のことです。
  @語りには語り手と聞き手の大きな共感がある。
  A語りはもともと大人が楽しむ娯楽であった。
  B語りには語り手の個性的な魅力が不可欠である。
 一九九〇年以後に出会った海外のプロの語り手の中には図書館員の語り手も、元図書館員の語り手もいます。ハープの演奏とともに語るヨーロッパの現代の吟遊詩人、ボンゴをたたきながら語るアフリカ系の語り手、《参加型の語り》で聞き手の言葉を引きだす図書館員の語り手たち、中には演劇出身の人もいました。海外のストーリーテラーたちの魅力は、思い出しただけでも、心の中がポッと熱くなるような、うれしさのあるものなのです。
 海外の語りの場でそれにもまして驚いたのは、聞き手が《語りを共有したいという聞き方》の強大な力でした。人々は積極的に聞きながら、笑う箇所がくるのを最初から待ち構えているのです。その笑い声の、また、大きいこと! ご夫婦連れの聞き手が多いので、聞き手の男女比は半々です。老若男女が、うまい具合に混じっているので、これだけ大きい笑いが出るのだということと、大人の楽しみに応えるに足る語りがあるということにも感動しました。
 ストーリーテラーとかストーリーテリングが、聞き手に働きかけてくる力はすごい! これを日本の市民文化の語りでも何とかしなければ! 何とかして生み出さなければ! と思ったのでした。

 
 

   4 日本の市民活動の語り手がつまずく点とは?

 
 

 語りはもともと楽しみのためのものであったということを、今、再認識したいと思います。日本で語りの勉強をする人は、真面目一方の硬い態度になりやすいのは何故でしょうか。日本の昔話にも外国の昔話にも笑い話はたくさんありますし、愉快なもの、奇想天外なおかしいものもたくさんあります。語り手はその話がもともと口語りで語られていた状況を想像しなければなりません。聞き手が子どもなら子ども向きに、大人なら大人向きに語る語り方が必要です。その工夫が足りないのではないでしょうか。
 語り手の魅力はどうでしょう。個性豊かであることはもちろんですが、語る人がびくびくして語るのは、魅力がありません。なぜびくびくするのかといえば、間違えまい間違えまいと、緊張していることが原因です。楽な態度で語るときに、つい間違えたら、「ああ、そうじゃなかった、こうこうだった」と普通に言えばよいのではありませんか? 海外の昔話の語り手の語られた資料には、そういうものがたくさんあります。「そこで男はカタナを振り上げて、ああ、そうじゃなかったオノだったな。オノを振り上げて・・・・」というような記述が海外のテープ起こしの文献にはざらにあります。有名な語り手でもそんなことがあるのですから、駆け出しのアマチュアの語り手が時々言葉を間違えるのは普通のことですから、心配する必要はありません。大事なことは、語り手も聞き手もリラックスして語りを楽しむことなのですから。
 語りは口で語る文学、口承文学なのです。語る人の個性豊かな魅力をもって語るということが大事で、その上、聞き手の心と交流することがとても大事です。
 日本では《芸術》というと尊敬され、《芸》というときはなんとなく軽蔑の意味があるように思います。しかし語りにおいては、芸術も芸もひっくるめてともに「ストーリーテリングのアート」と考えるとよいのではないでしょうか。
 大人への語りをする人は、語りの伝統芸の琵琶語り、浄瑠璃や義太夫、説経節、講談、浪花節、落語などを聞いて伝承の語り手の上手な節回しで聞き手の感情をどのように揺さぶるのか、芸能の語り手が音声で物語を語るときの感情表現がどのようなものであるかを学びましょう。
 音声の表現では感情の表現を語りの調子で表現します。《言葉をたたみかける》《言葉を伸ばす》《息をつめる》《息をひそめる》などをしながら、感情を豊かに音と声で聞き手に伝えます。これはテキストの文字を一字一字暗記するやりかたではできないことです。
 以上のような音声芸術の語りの勉強を心がけることが大事で、テキストの文字が口から出るだけのものは語りとは言いません、ということを申し上げておきたいのです。文字の伝達よりも《音声の表現》に心を配らなければ語りは成立しないのです。テキストの文字の上には語りはなく、語りは語り手の音声にあるのです。
 題材も、もっと自由に考えたいものです。大人のための語り物でよく取り扱う内容には悲劇性が目立ちます。悲劇を語る語り物は、おそらく古代から人間たちが求め、語り手たちが求められてきたものでした。
 語りを始めた人がつまずくもう一つの点は文字のとおりに覚えなければならないと思い込むところです。他人の書いた文章を丸暗記して、ただ口から出すようなことが語りだと思う人があるのですが、語りの歴史を少しでも勉強すれば、語りは書かれた文字とは関係なく始まっているものだということが分かります。自分の思いや祈りを届けようとする気持ちが先にあったので、文字があったから語りが始まったのではありません。語りは文字の発明の前、何万年か前の音声言語によって始まった行為です。この語りの歴史の事実をはっきりと言えるなら、「テキストどおりでなくてはなりません」という人に対して、はっきり反論できるはずです。口承文学の自由な語り口を、歴史の上から根拠をもって証明できるのです。
 また、語りでは、人から聞いたものを語る場合も聞いたままではなく、語り手の個性や人生を込めて、構成(話の筋)も語り口も自分のものとして語ります。ですから何千年も口承で語られた物語や民話には語り手が自分流に付け加えた語り手の言葉が入り、改変が繰り返し行われ、一つの話からたくさんの類話が生まれています。
 昔話や民話は口から口へと語り継がれた口承文学なのですから、もともと文字の中にはないのです。民話集や資料集に書かれたものは書いた人の再話であって、もとの民話ではないのですから、本に載っている昔話や民話を一行一行暗記する意味はないのです。口承の物語が文字で書かれたと思うことを止めなければなりません。

 
 

  5 クリエイティブな語り

 
 


 語り手たちの会の会員は、地域の語りの集会で語る人と学校などへ語りを届けに行く人が多いので、ここでは家庭以外の場で語るときについて取り上げます(家庭の語りについては、『心をつなぐ語り、語りの文化シリーズ・10』に書いてあります)。
 一九九七年に始まった語り手たちの会の連続セミナーの開催目的は「語りに新しい風を吹き込むために、語りの伝統を学び、心と技を磨くセミナー」となっていました。一コースの開催回数は十二回から二十八回まで、長短さまざまでしたが、必ず組み込まれたのは《イメージ・レッスン》《身体を動かし、体全体を使っての柔軟な言葉表現》《語りの歴史を学ぶ》《自分のことを語る》《自分流の再話をする》などです。
 長期のクラスでは《ショート・ストーリーの創作》と《昔話研究資料を使ってのレポート提出》がありました。
《自作を語る》と、《再話をする》の課題では語り手の役割を発見できました。「口語りにより、自分たちの歴史を語ったことと、自分のことを語ったこと」が語り手の役割の根本に常にあったからです。
 (自分のことを語るというのは、『心をつなぐ語り』の「パーソナル・ストーリーについて」という項目にありますから、ご参考になさってください。)
 自分流の再話については以前から度々お話ししましたが、語り手は人から聞いた話を自由に自分の口調で語り変えをしてきました。語り手の語り変えにより、古事記の物語の一つのモチーフが口から口へと伝わって千年以上経ったときには、いつの間にか和尚と小僧が登場する民話の「三枚のお札」にまで姿を変えて伝わりました。
 何代にもわたって受け継がれた土地の民話にはルーツがあり、多くの類話が生まれています。「花咲爺」については『日本昔話大成』に記載されている類話の数は一八二種、「鳥呑爺」は二六二種類にもなっています。それらの資料を、ずっと見ていくと語り手の自由な語り変えがわかります。語り手は聞き忘れたところを自分の言葉で補っているらしい、と思い当たる節々があるのです。そのように見当をつけて日本中の記録を見ていくと、語り手は自分の語り口で語りやすいように変えていることがよく分かるのです。
 私がよく語る「お月さん金の鎖」のルーツは中国からきています。中国の民話「熊ばあさん」、韓国の民話「お日様とお月様になったきょうだい」を調べると、伝承の道筋とルーツを解明する参考になります。
 この話の筋は、三人きょうだいが留守番をしているところへ山姥がきて、一番幼い子どもを食べてしまうので、上のきょうだいは逃げ出し、木に登ってお月さんに助けてもらい、天に上る話です。
 きょうだいが男の子三人であるか、女の子が一人いるかとか、家にやってくるのはやまんばか、熊か、虎か、子どもが登るのは柿の木か、なしの木か、屋根裏かの違いがありますが、もとの話は同じものです。でも細部が変わっています。その民話の異型の話を読むと、もとの話がどのように中国から韓国を通って日本に伝わったのかが、とてもよく分かるのです。この話は日本に伝わってからまた類話が増えて何十話にもなっています。
 このような話をたくさん生み出したのは村々、家々の語り手たちです。どの話を文字で覚えたか、などということはまったく問題ではありません。多くの類話を作り続けたのは名も知れぬ何代にも何代にもわたる語り手の人々です。民話と文学の会の大島廣志さんがひとことでこのことをおっしゃってくださったので、その言葉をお借りすると、「語る人は語る話を自分化して語らなければならないのだ」ということです。
 私が「語り手は創り手」という言葉を『語りの世界』に書いたのは一九八八年の『語りの世界・八号』の誌上です。それからほぼ二十年たっていますのに、新しい語り手はまだ戸惑うのでしょうか。もう戸惑いにはきっぱり決着をつけて「語り手は創り手」となってほしいと思います。私が語り手たちの会でこのことをはっきりいえるのは、語りのセミナーを十年続けた成果です。
 「一字一句病」ともいわれている「文字通りに」という語り方と別れるためには、語りの歴史を学ぶことと、日本の中だけではない世界のストーリーテリングの情勢を見る目を持つこと、この二つだと思っています。

 
 

  6 光ある未来へ

 
 

 「新しい語りの創造」のもとになるものは、感性豊かな空想と人間らしい感情です。それを育てることを私たちは語りの活動を続けながらもっともっと考えたいと思います。
 私は三十年前から子どもたちにジプシーの語り伝えた昔話を度々語っています。語りながら、子どもたちが生き生きと目を輝かせて音声だけで語られる昔話の情景を、ありありと思い浮かべて楽しそうにしている姿に感動し続けているのです。「漁師とウルマとチャラーナ」というタイトルの昔話をよく語るのですが、その話には風の王と月の王と太陽の王が登場します。その三人は少年の姿をしていますが、「髪の毛を風になびかせた美しい少年」「銀色のマントを身にまとった美しい少年」「キラキラと光る金色の衣装を身につけた美しい少年」という言葉で伝えられます。聞いている子どもたちはその三人の姿をまざまざと思い描くのです。
 音声だけで伝えられる物語ですが、聞き手の子どもたちがどんなに美しい少年たちを見ているのかが、語っている私に伝わるのです。子どもたちは物語を聞きながらありありと三人の姿を見ています。情景を思い浮かべる子どもたちの想像力を大事にしてあげたいとつくづく思います。言葉をつかまえながら子どもたちは鮮やかに色と形を思い描き、あるときには香りまで感じ取って美しい世界を心に抱きます。それを思い描く想像力は一人ひとりが創り出す《創造の力》につながるものです。人間はそのように多彩で美しいもの、豊かなものを心に蓄えて生きていかなければなりません。想像力が生み出す《創造の力》は聞き手のその後の人生を力強く進める力になるのです。
 本年度、私たちは語り手たちの会の三十年の活動を基盤に、この組織を《特定非営利活動法人語り手たちの会》に移行しようと準備をしています。その設立の趣旨書にはこのように書きました。
 「この活動は語りを通して豊かな心を育て、言霊の文化を次世代に伝えようとするものです。私たちは、大人同士の心をつなぐメディアとしての語りを重視し、大人の文化としての物語をともに楽しみ、自分たちの生活や心情の記録を語りにして伝える活動に取り組んでいます。自分の人生をいとおしみ、人を愛し、世界を愛することこそ《すべての人が安心して幸せに生きる》ことにつながると信じるからです。」
 語りには人が生きる上で大事なことが込められています。会員たちの語りを聞くたび、よそへ出かけていろいろな方の語りを聞くたびに、その大事なものの意味を見つめることができます。
 私たちは日本と海外の多くの語り手の語りの中に大事なものを聞き取ることができます。私がイギリスで出会ったストーリーテラーのタフィー・トーマスは美しい豪華な物語のマントを持っている語り手です。そのタフィーから聞いた短い話をお伝えしましょう。
 「あるところに一人の旅人がいました。……(ここでStory and Truthの話を語りましたが、内容を省略します)……今も二人はともに旅をしています。ですから、今も、物語の裏にはいつも真実が隠れているのです」
 花のように笑い、鳥のように歌う子どもたち――次の時代を背負う人々――に語りを届けましょう。子どもに語ると同時に大人たちが楽しむ語りを届けましょう。私たちは 《言葉の力》を信じ、人間らしいみずみずしい想像力と創造性を培う語りの活動を、光ある未来に向かって進めたいと思います。

(さくらい・みき)
2008年3月、原稿整理と掲載

 
 

 
 

参考
≪語り手たちの会≫のホームページはこちらです。
『語りの世界』(語り手たちの会発行の機関誌)の紹介ページはこちら
『心をつなぐ語り』(櫻井美紀著、語り手たちの会発行)の紹介はこちら
≪語り手たちの会の連続セミナー≫の報告はこちら