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ストーリーテリングや語り、または、<ストーリーテラーはストーリー・クリエーター>について、

どんなご質問でも、お寄せください。お待ちしています。 ご質問はこちらへどうぞ
                           回答・櫻井美紀  


      Q8. 創作民話のテキストについて 

       Q7. 創作の話を語る場合は? 

      Q1. 決まった語り方は?       (下線をクリックしてください)

       Q2. 語りと語り口の違いは?

       Q3. ボランティアをしたい

       Q4. 残酷な話

       Q5. プロのストーリーテラーの勉強は?

       Q6. 類話とは? 

          

 

  Q.8 ボランティアサークルで図書館や学校・園などへ出向き、語っています。作家の書いた創作民話を語るときは一字一句その本のとおりに語らなければなりませんか? 私は読み物として出版された作品を語るときに、語りに適した言い回しに置き換えることは、当然のことのように思えてならないのです。テキストに縛られずにおはなしの世界を作り出すことは可能でしょうか? (M.K.さん)  
 

 

A.そもそも民話というものには原作者はありません。いつの時代からか、だれが語り出したものか分からぬほど、遠い昔から人々の間で口伝えで伝わったものが民話です。民話絵本を書いている作家は、皆、先祖からの民話の資料をもとに書き換えをしているのです。創作民話というのは民話を素材として、作家の考えで主題や構成や表現を変えて作品にしているものです。作品として発表されたものには著者としての著作権がありますが、もとの民話は作者の作品ではありません。
 あなたが語りたい民話があったら、そのもとの資料を調べたらよいのではありませんか? 民話にはたくさんの類話があります。資料を調べるには『日本昔話大成』(角川書店)などの資料を集成したものを見てください。そのあとで各地の昔話(民話)資料集を調べ、書き換えの民話もなるべく多くの種類を見てください。
 そのような調べ作業をするうちに、「私はこのように語りたい」というものが見えてくるでしょう。それから自分流に語る練習をしたらいかがでしょう? 民話には祖先の人々の深い思いがこもっています。その思いを大切にしながら、民話の題材をお借りして自分の語り口で語るという謙虚な気持ちが大事です。作家の書いた一冊の創作民話を基にして、今度は自分の民話が生まれることでしょう。
 ただし、学校や園で絵本の読み聞かせをするのであれば、作家と出版社の仕事を尊重して、本のとおりに読むのがよいと思います。

 読み聞かせと民話の語りは違います。自分の語り口で自由に語ることは全世界の語り手たちが楽しくやっていることです。そして語りの歴史の上でも何千年もの間、語り手たちが自分の言葉を付け加えて語り伝えたという事実があります。どうぞ、昔話や民話の語りについて、幅広く学んでください。

 

 
 

 

Q.7 創作の話を語る場合、テキストを語り用に手を加える事は、あってはならないことでしょうか。文学的に完成された世界だから、一字一句違えてはいけませんか?創作のお話が、口承で民話化している事とは次元が違いますか? (M.K.さん)

 
 

 

A.語りにはテキストのあるものとないものがあります。 語りは文字に頼らずに自由に語るものだと言っても、 舞台で語る場合は舞台の進行上、技術の方たちとの連絡のためにテキストを作ることがあります。
 あなたはどのような場で語りをなさるのですか?
 創作は誰の作品を取り上げているのですか?
 今、語りのジャンルが広がって、「舞台朗読」も「語り」ということがあります。 その場合、舞台の制約上、作品に手を加えることもあるでしょう。ただし、その場合は創作した作家の許諾が必要です。 著作権のない作品の場合と、作家の許諾が得られた場合は ○○○○作、『 (作品名) 』にもとづく語り―― ということができるでしょう。
 入場料を取らない集まりで語る場合は、自分の解釈で自分流の語り口で作家の作品からヒントを得たものを語ることもできるでしょう。口承文学の歴史の上では語り手が語り変えをした作品が多く遺されています。

 私は作家の作品はなるべく朗読をするようにしています。 朗読は文字を読むものですから、本を手に持って本の中の作品をそのまま読みます。 私の場合は朗読と語りは区別をしています。
 私のWEBの語りコラムに「ストーリーテラーはストーリークリエーター」 というのがありますから(イントロダクションの中)ご覧になってください。 下記からも開けます。
http://www.storytellingworld.net/html/story-creator.html


(メールにもうすこし詳しくお書きくださいませんか? 次のメールをお待ちいたします。)

 
 

 

Q.6 語りの勉強の3年目の者です。先日、語りのセミナーで「昔話の類話”を調べるように」といわれましたが、類話”は 似たような話” ということでしょうか? (埼玉県 Wさん)

 
 


A. “同じ種類の話”ということも“類話”ですが、ここでは昔話の分類の問題も含めて、もう少し詳しく見ることにいたしましょう。
 民俗学研究の上では、世界の昔話は19世紀から資料の収集研究が行なわれましたが、20世紀初頭から分類研究が行なわれるようになり、フィンランドのアンティー・アールネを始めとする多くの学者が優れた分類研究の論文を発表しています。1907年に発表されたアールネの「比較昔話研究」の初論文では約800話型の分類が行なわれました。後に彼の研究をもとにアメリカの口承文学研究者スティス・トンプソンは『昔話の型目録』を仕上げ、さらにモチーフ研究をすすめ、1936年に31冊からなる『民間文芸モチーフ研究』を仕上げました。
 (*モチーフとは、昔話を構成する要素の最小の1単位です。)
 これに引き続き、世界の口承文学研究者が資料収集と分類研究を進めましたので、現在では資料に上った昔話の数はおそらく10万を越え、昔話の資料研究はさまざまな方法で研究が続行されています。
 その分類研究の上で使われることばが
異型(主要なモチーフは共通するが、細部のモチーフは異なるもの)”または“類話”です。
 基本形式は同じでも、細部が違っている昔話の
“類話”を調べるということですね。

 世界の昔話はそれぞれ基本的な型と伝統的な構造を持っています。しかし細部は無数に分かれて絶えず変化し、モチーフと挿話の離合集散は必然的に行なわれてきました。@は歴史的な変化であり、Aは地理的な変化(他国から入ってきた昔話は、土地の風習や風土に順応する形で変化する)、Bは宗教による変化、Cは語り手による変化などがあって、元の昔話は時とともにさまざまに変化して伝えられてきました。

 日本の昔話の「長い名の息子」の話では、息子につけられた名は「寿限無(じゅげむ)寿限無……」をはじめとして「トクトクリンボウ、ソウリンボウ……」「……ヘイトコヘイトコ、ヘイガーノコ」「アッチグヘッスグへーケノコジリノアガドンボ……」などと、それぞれ違った名で語られています。『日本昔話大成』(角川書店)の第10巻を見れば、息子の呼び名は57例も挙げられ、類話の載った資料数は155、類話は約200話もあることが分かります。
 私はいろいろな国の「シンデレラ」を語りますが、フランスのシンデレラとドイツのシンデレラは細部が違い、スペインのシンデレラは、また、とても違うのです。スペインのシンデレラの話では、よく働く娘の額には美しい星がつき、怠け者の娘の額には、ロバの尻尾がくっつくのです。このような面白い類話はまだまだあるのです。

 類話調べは面白いと同時に、昔話の伝承の問題を考えるよい勉強になりますね。楽しく勉強を続けてください。それがあなたの語りをもっと豊かにしてくれることでしょう。


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Q.5 私は27歳の男性です。このホームページでプロのストーリーテラーというものを知りました。 ストーリーテラーになる勉強方法を教えてください。アマチュアのストーリーテラーというものもあるのでしょうか? (岩手県 Mさん)


A. もちろん、プロのストーリーテラーも、アマチュアのストーリーテラーも現在、全世界で活躍しています。

 ストーリーテリングを職業としている人は、日本ではまだ、きわめて少数です。しかしアマチュアの語り手は、多いところで一つの市に50人以上も存在します。私の住むN市にはお話のグループが二つあり、ボランティアで学校や児童館に語りに行くメンバーは20人ほどいます。それにくらべてフェスティバルやイベントに招かれて語るプロのストーリーテラーは、日本全国で20人ぐらいでしょうか。ただし、日本には伝承の語り手が大勢おられます。その方々もイベントや祭りで語っており、そのうちの何人かは半ば職業的に語りをしておられます。

 海外にはストーリーテラー養成のスクールがあります。日本にはまだありませんが、養成講座はいろいろ開かれています。勉強方法は語り手たちの会のページも参考になさってください。

 世界のプロのストーリーテリングの事情を知るには、『ストーリーテラーたち―現代アメリカのフォークロア―』(ジミー・N・スミス編著、大修館書店)をご覧になるとよいでしょう。アメリカのストーリーテリング・フェスティバルで語るストーリーテラーたちの紹介、語る話の作り方、語り方の特徴と、20人のストーリーテラーがフェスティバルで語った話が紹介されています。

 私が外国で見聞きしたところでは、アマチュアの語り手100人に対して、プロの語り手は一人か二人の割合のようでした。500人〜1000人の聞き手を前に堂々と語るプロのストーリーテラーの様子や、居酒屋のようなパブで楽器を弾きながら伝承の語りを朗々と唱える語り手の様子に、聞き手の心を楽しませる本来のストーリーテラーの姿を見る思いでした。

 語り手たちの会の会誌『語りの世界』もご参考になさってください。全国で語る大勢のボランティアの語り手たちの活動報告が、随時掲載されています。子どものいるところ(学校や保育園・施設など)へ行く人、高齢者の方々の施設に行って語る人の体験談には、ボランティアの喜びと地域活動の心の交流の大切さがあふれています。

 岩手県の遠野市には民話の語りを聞かせてくださる語り手が何人もおいでです。まずは伝承の民話の語りをお聞きになってください。そのほか、本年は外国からプロの語り手が何人か来日されますから、機会をとらえて聞きに行かれるとよいでしょう。そのあとで、ご自分がどんな語り手になりたいのかを、じっくりお考えになるようにおすすめします。

 日本には男性の語り手が少ないので、あなたが語りに関心をお持ちになったことをうれしく思います。細かい点について、またご質問をお寄せください。
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Q.4 私は図書館や学校でお話のボランティアをやっています。前からハイチの民話「魔法のオレンジの木」が大好きで、図書館のお話の時間には度々語っています。今度、学校のお話会でもこの話を語りたいと思いますが、仲間の一人から「あの話は<母さんはほんとの母さんじゃない>という歌が何度も出てくるから、学校で話すのはよくない」といわれました。私はあの歌の部分が心に沁みるように思うのですが。(福島県 Yさん)


A.「魔法のオレンジの木」(ウォルクスタイン再話、清水真砂子訳、岩波書店)には、<まま母>という言葉が何回も出てきます。最後に空に押し上げられた<まま母>は砕け散ってしまい、娘はそのあとは幸せに生きていきます。 

 ここだけを書き出したら、読者は「なんと残酷な話だろう」と思われることでしょう。しかしこれは現実の話ではない(実話ではない)のです。古代のアフリカの魔法のお話のタネが、三百年も前にカリブ海地方に運ばれ、アフリカの土地に祖先を持つ人々が、心の故郷の昔話として20世紀まで語り伝えてきた伝承の民話なのです。

 古代から口承で伝えられた話には、人間の暮らしの奥底にある心情が語られています。その語り方は単純に分かりやすく語ったため、具体的な形をもって語ることが多いのです。例えば「生まれる>成長する>旅に出る>戦う>殺す、あるいは殺される>生き返る>求めていたものを手に入れる」などです。

 または「何かをなくす>困難に出会う>誰かに助けられる、または何かを与えられる>それを使う>幸せになる」などが語られています。それらのストーリーを単純に具体的に語ったのが、世界に何万とある昔話です。

 「魔法のオレンジの木」を高学年のクラスや中学校で語るなら、始めに「この話には<まま母>という言葉が出てきますが、この言葉は子どもの成長にかかわる大人全体を指しているのです」と手短に説明しておくのもよいでしょう。

 終わったあとに、「子どもは誰でも大人との葛藤を乗り超えて大人になります。乗り超えるために必要なのは自分の持つ知恵と力です。皆さんはこの話を聞きながら、主人公の娘が助けを借りて知恵と力を働かせ、自分の人生を自分でつくるところに共感したことでしょう」と言ってもいいと思います。

 Yさんが「歌のところが心に沁みる」と思われた直感を大切にしてください。人に理解されない苦しみがある場合や、人に受け入れられない悲しみを抱いている時に、苦しみや悲しみを和らげ更なる勇気を導き出すために必要なものがそこにあるからです。

 苦しんでいる人や悲しんでいる人に叱咤激励を与えるだけで、勇気を導き出せるでしょうか? ストーリーテラーはそのような時には、ともに苦しみ、ともに悲しむ心を差し出すのです。心が和らぎ、癒されたときに生きる勇気が再び生まれるからです。

 語り手と聞き手の間に「良い人間関係」が育てられた時に語りは成立します。聞く人がお話の全体と語り手の人間性の全体を受け入れる関係が生まれるよう、あたたかい時間の積み重ねも大切ですね。  
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Q.3 私は、OLをやっていますが、以前から、私の声でだれかにあったかいものを届けてあげられたらいいな、と思っていました。このホームページで、「語り手」という仕事を知りました。私も語りのボランティアをやってみたいと思いますが、どんな勉強をしたらよいのでしょうか? (東京都 E・Yさん)


A.このホームページは「語りとは何か」に始まって、日本と世界のいろいろな語りの活動とその内容をお読みいただけるように考えながら作っています。語りのボランティアについても、なるべく早く1ページ作るようにいたします。

 私は語りのボランティアとしては、月一回、近所の児童館で学童クラブの子どもと幼稚園児と母親たちにお話を語る活動をしています。そのほか、保育園に語りに行く、小学校・中学校のお楽しみ会に出かけてストーリーテリングのプレゼントをする、高齢者の学級(寿大学など)で民話の語りをする、公共図書館のお話会で語る、自宅の文庫で子どもと父母たちにストーリーテリングを楽しんでもらう、・・・などを、ボランティア(無償の活動)として行っています。

 小・中学校、高校などで少し予算があるときには、交通費程度の謝礼をいただくこともあります。私はそのような時は授業時間に「語りの授業」として、生徒さんたちに民話や物語を楽しんでもらい、ことばや人間関係について学ぶワークショップをいたします。

 さて、「語り手」の仕事についてですが、たぶん、あなたは家庭で語る以外の語りを考えておられるのだと思います。私は語りはまず、家庭の中で、家族の間で語る語りのことを考えてほしいと思っています。語りの土台は身近な人と語ることと、自分の思いを言葉にすることであるからです。その次に家庭以外の語りを考えましょう。

 今、子育てを終えた母親たちが、地域のいろいろな場所で語りのボランティアをしています。週に一度、または月に一度、訪問先をきめて民話などの語りを届けています。幼稚園・保育園に紙芝居や手遊びをしに行く人たちもいます。小学校の各クラスで、朝の10分間、本を読むボランティアをしている人もいます。たいていは地域で「お話ボランティア」のグループを作って活動している人たちです。

 ボランティア活動とは、時間と労力を無償で提供して、差し出す側と受け取る側がともに喜びを分かち合うものです。語りのボランティア(お話ボランティア)は、語りに行った先で聞き手とともに心を分かち合うことを喜びとしています。それは、上手な語りを聞かせて聞き手を感心させることではないのです。聞き手とともに物語(お話)の感動を分かち合えるとき、私は本当に幸せをいただいた気持ちがします。

 ご自分が、どのようなボランティアをしたいか考えるために、いくつかの「お話ボランティア」のグループを訪ねることをおすすめします。「語り手たちの会」の集まりにもいらしてみてください。

 ボランティアグループのお話会は平日以外にも、土曜の午後や、日曜にも設定されていますから、何度でも見学に行き、ボランティアグループの方たちとお友達になって、勉強方法を話し合ってみてください。

 絵本を読む練習もあり、指人形などの制作や動かし方の練習も、短いお話(ストーリーテリング)の練習もあるでしょう。子どものところへ語りに行くのでしたら、図書館にある優れた児童書をたくさん読むことも必要で、子どもの本を読んで勉強するグループもあります。

 家庭以外で不特定多数の聞き手に語りを届けるためには、発声・発音の基礎、聞き手との心の交流をもつ語り方、イメージ訓練、ことば表現の訓練、語りの演出なども、多少は勉強した方がよいでしょう。語り手たちの会の講座内容などをご参考に、お考えください。

 あなたが大人の人たちに語りたいと思われるのでしたら、大人の聞き手が語りに何を求めているのか、語りとは何か、語りの伝統と語り手の仕事をじっくり考えられる講座に出席されることをおすすめします。

 文学を語るためには、文学研究も怠らずしなければなりません。子どもの聞き手と、大人の聞き手の求めるものの違いを初めに勉強する必要があります。本を読んで文学の楽しみを受け取るのと、耳で聞いて文学を楽しむのは同じではなく、聞いて楽しんでもらうための語りの修行は長期間かけて行うものです。

 お答えがすこし長くなりましたが、初めは語りをたくさん聞いて、どんな語り手になりたいか考えながら、ゆっくりと取り組んでいただくのが、いちばんよいと思います。どうぞ、ご自分も楽しみながら、長く続けられますように。 
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Q. 2  ”語り”と、”語り口”と、どう違うのですか? (神奈川県 K・Iさん)

 

 
 

A.   “語り”は、このHPの Introduction でご覧になったように、大変広い意味を持つことばです。日常的に”語り合う”ことから、“語らい”も“語り”の範囲に入ります。そして、もちろん、“物語を語る・Storytelling” の領域がすなわち“語り”といわれるものです。しかし、特別に物語を語るのでなくても、「しみじみと語る」、とか、「心をこめて語る」と、いうときには、語りに近い行為がそこにあることを思わせます。つまり、語りとは、「語り手が聞き手に向かって、訴えかけ、願いをこめて、相手の魂に直接働きかける」行為として、ことばをさしだすものを指すのです。このHPの初めに書きましたように、「音声による“ことば”で、相手の魂に衝撃を与えようとする」行為です。

 “話す”口調より、“語る”口調の方が、ゆっくりとなるのは、相手がしっかり聞いているか、しっかり聞いているか、と、たしかめながらことばを届けるからなのです。口先からことばを出すのではなく、魂をこめてことばをさしだそうとするから、相手も魂で受けとることを要求するために、そうなるのです。

 語りは、語る人がいて、それを聞く人がいて、ことばと心の交流があったときに成立するものです。つまり、語り手と聞き手と双方の魂の交流ができたときに、語りは成立するものなのです。

 さて、“語り口”というのは、その語りの「口調と、語るときの態度」を指すことばです。声の調子や、いいまわし、内容の届け方、自分らしいことばの表現、個性・・・などが、そこに含まれます。「あの人の語り口はすばらしい」、「人を魅了する語り口だ」などといいます。語る人の声や、語るときのリズムだけではなく、内容をどう伝えるかの言い回しが、その人らしい独特のものであるときに、“語り口”ということばを当てるのです。

 私は“語り口”には、「語る人の人生から伝わることばの解釈と使い方」を含め、語る内容をどう伝えるかの「語りの演出」を含めて考えています。語り口とは、語るときの文体にあたるものです。その文体は音声でつくるものですから、「声・息遣い・音の高低大小・緩急・間」などにより、感情表現・相手に働きかけるオーラ・相手の気持ちを受けとめる間・包容するゆとり・熱意・・・を届けようとします。さらに、古くから“語り口”というときには、“うまさ”がなくてはならぬものとして使われてきました。“うまさ”の中身は何であるかを、あなたもどうぞ、考えてください。 BACK

 
 

 

Q1   「この話はこう語るべきだ」ということがありますか? (千葉県 N・Sさん)

 

 
 

A.  まず、話に対しても、物語に対しても、自由に考えましょう。人は生きるときに、まず、「私はこう生きたい」という希望と意志を持って生きるものです。この世の中では、環境に自分を合わせなければ生きてはいけないのですが、生命は生きたいという意思を持って生まれてきます。生命の根本にある意思が、周りの環境に自分を合わせて生きていくのです。人が物事をどうとらえるか、というときにも、同じなのではないでしょうか? つまり、この話をこう語りたい、という直感があって、次に「聞き手にどう伝ええるか」の、周りとの融合や調和が必要になるのですね。 

 ここに「語りたい」と思う“こわい話”があるとします。大人に対してだったら、こわさや不気味さを、強調して語るでしょうが、同じ話を小学生に語るときは調子を和らげ、しかし、ちょっぴりこわがらせて語るでしょう。語りは語り手と聞き手の“あいだ”にあるものです。語り手の一人芝居ではありません。聞き手がしっかり受けとめるところに、“語り”というものがあるのです。こわい話を大人が心の底からぞっとして聞いて満足するのと同様に、子どもも、こわい話をちょっぴりこわがって聞いて満足する・・・、そこが語り手と聞き手の共同作業なのではありませんか。これも感動の共有です。

 話や物語の語りは、相手により、時間により、場により、微妙に(あるときは大幅に)変わるものです。

 悲しい話をたった一人の聞き手と向かい合って語るときと、同じ話を50人の聞き手に向かって語るときは、自然に語り方が変わってくるものです。たった一人の聞き手でも、それが高齢の方であるか、小学生であるか、3歳の幼児であるかによって、語る人は語りのテンポ、リズム、強弱、言葉づかい、描写のしかた、全体の運びなどを変えて語ることを自然に行うものです。つまり、「こう語るべき」ではなく、相手によって、年齢によって、時間や場の設定によって語り手は語り方を変えるのです。それが、相手に向かい合ったときに出てくることですから、話や物語自体が決める語り方の規則とは別のものです。語り手と聞き手の人間的な関係によって、語り方は異なるのです。

 その次に、伝承の物語の歴史的な価値と、創作の物語であったら、作家の作風を考えます。これは「どう語るか」の問題に第二にかかってくることです。特にその作品が世に知られた有名なものである場合は、聞き手に「こう語ってほしい」という希望や期待があるものです。語り手は作品から学ぶと同時に、聞き手の気持ちを受け入れて語り方を完成させる必要があります。語りは独りよがりでは通用しません。ここでも、語りは「語り手と聞き手の共同作業である」意味をわきまえて、語りの場に臨むことが大切になります。

 以上を考えた上で、「この話は(この物語は)こう語りたい」という、自分の方針を、自分の考えで出してください。  BACK 

 

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