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(31)山本覚馬と小田時栄


 戊辰戦争、会津藩、会津の人々の活躍を整理したノートです。


山本覚馬


 明治元年(1868年)9月23日、鶴ケ城(若松城)に籠城していた会津藩が降伏します。旧幕府勢力はなおも抵抗を続けますが、明治2年(1869年)5月に、箱館の五稜郭に立てこもっていた榎本武揚らが降伏しました。戊辰戦争が終結し、明治維新が成し遂げられます。後に会津松平家は再興を許され、明治3年(1870年)、津軽の地で斗南藩として再出発を計ります。が、食料不足に苦しみ大量の餓死者を出すなど、塗炭の苦しみを舐めました。

 会津藩藩校・日新館の教授で砲術家の山本覚馬は、文久2年(1862年)、京都守護職に就任した藩主・松平容保(かたもり)に随行し、上洛します。以後、覚馬は再び会津の地を踏むことはありませんでしたが、元治元年(1864年)、薩摩藩と組んで長州藩を京都から排除した禁門の変では、砲兵隊を率いて活躍します。しかし、破片や煤煙による負傷で目を痛めたといわれ、失明していきます。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの際、敵方となっていた薩摩藩に捕まり、同藩邸に身柄を拘束。しかし、覚馬を知る者がいて粗末には扱われず、明治元年(1868年)に仙台藩邸の病院に移され、岩倉具視の訪問を受け、明治2年(1869年)に釈放されます。自由の身となった覚馬は明治3年(1870年)、京都府大参事・河田佐久馬の推挽により京都府庁に出仕し、槇村正直(のち京都府令・知事)の顧問となります。明治5年(1872年)には、日本で最初の「内国勧業博覧会」を京都で開催することに尽力します。この頃から、足の自由も利かなくなっていきます。

 鶴ケ城の籠城戦に参加していた覚馬の妹・山本八重は、会津藩の降伏後も会津に留まっていましたが、のちに覚馬の存命を知り、明治4年(1871年)、京都府顧問となっていた覚馬を頼って、母の佐久、覚馬の次女「みね」(長女は夭折)とともに京都に来ます。その際、覚馬の妻「うら」は会津に残りました(理由は不明)。八重は、明治5年(1872年)、覚馬の推薦で、公立女学校「京都女紅場」の教師となります。が、明治8年(1875年)、アメリカから帰国していたキリスト者の新島襄と知り合い、そのことが元で、女紅場を追われました。八重は新島嬢と結婚します。新島襄は覚馬の協力も得て、明治8年(1875年)、京都に同志社英学校を開校しました。


小田時栄


 覚馬は、御所に出仕した丹波郷士・小田勝太郎と知己を得ていて、勝太郎の13歳の妹・小田時栄が、視力を失った覚馬の身の回りの世話をしていました。薩摩藩に囚われの身となった際も、薩摩藩の許可を得て、世話を続けていました。釈放された後、覚馬と時栄は同棲を始めます。覚馬42歳、時栄16歳でした。

 時栄は、八重が上京した年に、覚馬との間の子・久栄を生みました。覚馬と時栄は入籍します。しかし、後年、時栄が「不祥事」を起こしたため、時栄は山本家を追われたといいます。


小田時栄の「不祥事」


 小田時栄の「不祥事」は、徳冨健次郎(蘆花)の自伝的小説『黒い眼と茶色の目』に登場します。同作は、主人公の得能敬二(徳冨健次郎)が、20年以上前の若き日の出来事を妻に告白するという形式を取ります。描かれているのは、敬二(徳冨健次郎)と、山下勝馬(山本覚馬)と時代(小田時栄・山本時栄)の間の子である寿代(山本久栄)との結ばれなかった恋愛。

 『黒い眼と茶色の目』では、伊予(愛媛県)に住んでいた敬二(徳冨健次郎)の従兄の能勢又雄が牧師として活動しており、まず単身で京都へ行き、後に、妻の稲(八重が会津から連れてきた覚馬の子、山本みね)が上京します。敬二(徳冨健次郎)は、11歳から13歳まで協志社(同志社)で英語とキリスト教を学び、19歳の時に再び、協志社(同志社)の門を叩きます。京都では、敬二(徳冨健次郎)は又雄の家のやっかいになっており、又雄と稲(みね)の子の「お節ちゃん」を見ていてくれと頼まれた敬二(徳冨健次郎)が、座敷裏の小縁で「お節ちゃん」と遊んでいると、障子が開き、16歳の山下寿代(山本久栄)と目が合います。その後、敬二(徳冨健次郎)は、勉強中にもかかわらず、食事の度にテーブルからどけられることに嫌気が差して、2畳の離れを占拠します。2畳にいた敬二(徳冨健次郎)は、勉強していたテーブルのある部屋の格子戸が開けられ、山下寿代(山本久栄)の「敬さんは?」という声を聞くと、息がつまりました。

 19歳の敬二(徳冨健次郎)が京都に出てきた時、すでに、山下寿代(山本久栄)の生母・時代(小田時栄)は山下家(山本家)にはいませんでした。勝馬(覚馬)が60歳でしたが、『黒い眼と茶色の目』によると、山下家(山本家)に以下のような「騒ぎ」が起きたようです。

 山下家(山本家)では、嫡女だった稲(山本みね)が又雄に嫁いだため、家督を継ぐことになった寿代(山本久栄)が14歳の年、婿養子にするつもりで会津の士族の家から18歳の青年を迎えました。時代(小田時栄)は35歳で、勝馬(覚馬)は60近く。青年は協志社(同志社)の寄宿舎にいましたが、山下家(山本家)で寝泊まりもしていました。時代(小田時栄)は、青年を、「わたしが十七の年生んだ子に当る」といってかわいがりましたが、そのうち、時代(小田時栄)が病気になります。ドクトル・ペリーの来診を受けたら思いがけず妊娠しており、いったん帰りかけたペリーは、引き返して、声高に、「おめでとう、最早(もう)五月です」と告げます。声は山下勝馬(山本覚馬)の耳にも届きますが、「山下さんは覚えがない、と言い出した。山下家は大騒ぎになった」とのこと。

 時代(小田時栄)は当初、青年をかばい、鴨の夕涼みでうたた寝をしているときに、見知らぬ男に犯されたなどといいますが、最後には、涙と共に許しを請いました。長年の世話を嬉しく思っていた勝馬(覚馬)は「許して問わぬ心」でしたが、「飯島(新島)のお多恵(八重)さんと伊予から駆けつけたお稲さんとで否応なしに時代さんを追出してしまった」とのこと。「騒ぎ」は、敬二(徳冨健次郎)がまだ伊予にいたときに起き、同じくまだ伊予にいた稲が、京都から知らせを受け、「眼色を変えて汽車に乗った事を覚えている」とあります。また、「山下家の縁を切られた時代さんは、娘の顔を見たがったが、飯島の夫人(おくさん、八重)が厳重に監督して、決して近寄らせぬ」とも。時代(小田時栄)がいなくなったあと、勝馬(覚馬)の世話は、心得のある「女中」が行い、一家の暮らしは、勝馬(覚馬)が奥で横になりながら指図したようです。

 『黒い眼と茶色の目』には、以下のような記述もありました(一部、現代的な言葉使いに直して引用しています)

「烈婦の名をとった妹のお多恵(八重)さん」

「飯島先生の夫人(おくさん)のねちゝゝした会津弁」

「寿代がね、今日もな、癇癪をおこしてな、御飯におしたじをぶっかけてな、茶碗をな、拠って、と山下のお婆さんが息をつきゝゝお稲さんに訴えることもあった」

「お稲さんは大まかな男の様な性質の人であった。会津の女だけに中々剛情で、随分我儘でもあった」

「家族の中でのお稲さんの評判は好くなかった。口の悪いおいよ婆さんは、『結婚する為にお情で卒業させてもらうたてちふもン』だの、『京都に来ると二人乗りの車があるけン直ぐ夫婦合乗で出かくる』だの、とさまゞゝに毒づいた」

 この時代、「会津の女」は特別な存在であり、また、八重は夫の新島襄と連れだって出かけ批難されたそうですが、覚馬の娘・みねも夫と人力車に並んで乗って批難され、また、八重といっしょになって、時代(小田時栄)を追い出す気の強さを持っていたようです。「ならぬことはならぬ」を心情とする会津の女の気質を持っていたということでしょうか。

(2012年6月21日)

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