ロシア映画「太陽」について


 「太陽」というロシア映画が話題を呼んでいることを知りました。Yahooから記事を転載します。

 現在開催中の第55回ベルリン国際映画祭で17日、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」がコンペティション部門の出品作として上映され、昭和天皇役のイッセー尾形と、皇后役の桃井かおりが出席した。
 同作品の日本人出演者は、これまで具体的に公表されていなかった。ソクーロフ監督がヒトラーとレーニンに次いで、20世紀の権力者を描いた3作目となる。日本公開は未定。[ベルリン 2005年2月17日 ロイター]

 昭和天皇が「人間宣言」をするまでの苦悩を描いた作品のようでした。

  大学生のときの話です。ゼミのレポートを書くために、図書館の書庫から「憲法撮要」(美濃部達吉)を借り出しました。レポートの課題は「天皇機関説」でした。重装なバードカバーでした。題字が読めないほどにボロボロでした。書庫に本を取りに行ってくれた初老の図書館員は、「よく勉強されていますね。古いものですから大切に扱ってください」と言って本を渡してくれました。余談ですが、「天皇は国家最高の機関なり」などの大切な個所をノートに書き写しながら本をめくっているときに、余白に鉛筆で書き込まれた文章を見つけました。おそらく、戦前に書かれたのだろうと思います。世の中が変わって学問が必要になったことや、農村出身者は貧しくて本を買えないことや、学問を志したい気持ちをどうすればよいのかわからないことが書かれていました。歴史は、本の余白に刻まれていくことを知りました。

 美濃部の天皇機関説は、軍部などから猛攻撃を受けました。「昭和天皇独白録」(寺崎英成)に、機関説についての記載があります。

「又現神(現人神(あらひとがみ)と同意味。あきつかみ)の問題であるが、本庄だつたか、宇佐美(興屋)だつたか、私を神だと云うから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういう事を云われては迷惑だと云つたことがある」

 昭和天皇は、機関説に賛成だったようです。しかし、「天皇機関説」と「天皇現神説」をめぐる国体論争は止みません。二・二六事件において頂点に達しました。

 二・二六事件は、軍部の青年将校たちが起こしたクーデター未遂事件です。目的は、天皇親政を実現することでした。事件を聞いた昭和天皇は、激怒しました。天皇の怒りは、軍部の狡猾な古だぬきや、日和見主義者たちを震えあがらせました。二・二六事件は、精神的な要素が強い半面、計画が稚拙でした。紆余曲折を経た後に、首謀者たちは投降し、銃殺されました。

 日本には「諫死」の伝統がありました。「諫死」は「かんし」と読みます。主君をいさめる「諫死状」を書いて、腹を切ることです。平手政秀は、若き日の織田信長の教育担当者でした。平手政秀は、たわけたことばかりを繰り返す織田信長を持て余しました。腹を切りました。平手政秀は、「かくなる上は、我が死をもって」と思ったのかもしれません。織田信長は、「平手は、何もわかってはくれぬ」と嘆いたのかもしれません。これも、「諫死」だろうと思います。

 「天皇現神説」の精神は、「天皇への片思い」と言えるのかもしれません。天皇が道をあやまったら、「諫死状」を書いて自決します。「諫死状」を書いて死ぬことで、「忠義」は達成されます。天皇に「諫死状」が届くか否かは、問題にしてはなりません。「神」に、返答を求めてはならないのです。二・二六事件の首謀者たちは、「諫死」の精神を越えました。事件を起こしたあとに、仲介者をとおして、事件の趣旨を天皇に届け、そして、天皇からの返答を求めました。天皇からの返答は、「断固討伐せよ」という人間としての怒りでした。

 「二・二六事件 獄中手記・遺書」という本があります。その本の226ページに、一枚の写真が載っています。事件の首謀者の一人、磯部浅一の写真です。磯部の獄中手記を読んだときに、私は、心が震えあがりました。死刑が確定した人間の精神は、イデオロギーを越えるのだと思いました。磯部は書きます。

「天皇陛下 何と云う御失政でありますか 何と云うザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」

 磯辺の写真が「226」ページに掲載されたのは、全くの偶然だろうと思います。しかし、同時に、言葉では説明できませんが、磯部の「怨念」のようなものを感じました。

 三島由紀夫は、磯部の獄中手記から共感を得たようです。もしかしたら、そこに「文学」を感じたのかもしません。三島は、「英霊の声」という小説を書きあげました。神憑りをしているときに、二・二六事件の首謀者と、特攻作戦で死んだ神風の隊員たちの魂を呼び起こしてしまう物語です。この世に舞い戻ってきた英霊は、嘆きます。

「忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳あとに、陛下は、
『実は朕は人間であった』
と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、そのわすか一年あとに……」

「あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たったお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。
 それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
 だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった」

 一度目は「二・二六事件」、二度目は「人間宣言」です。

 英霊は、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」という声を残して去って行きます。「すめろぎ」とは、「現人神」のことです。

 ロシア映画「太陽」が気になって、Yahooでニュースを見ているときに、イッセー尾形のインタビュー記事がありました。ソースは、「スポーツ報知」でした。

―演じきり、昭和天皇という方をどう思いましたか?

「劇中で陛下は自分を神とあがめることを否定します。一人の人間が『自分は人間である』と宣言する。なんて悲しい、なんてナンセンスなんだ、と思いました。これを世界中で唯一、背負わされた人間が昭和天皇。あの大変な時期に、権力の頂点に立たれた。これは想像を絶することです」

 映画「太陽」は、すでにロシアで一般公開されているようです。

 今後、(日本を除く)各国で上映される模様です。

(2005年3月2日)

映画「太陽

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