映画『嘆きの天使』のあらすじと感想


 エミール・ヤニングスは、1920年代のドイツに君臨した映画スターです。アメリカで出演した映画では、創設されたばかりのアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したほどの実力者でした。時代は、ちょうどサイレント映画からトーキー映画への転換点でした。そのヤニングスのために初のトーキー映画が製作されることになりました。ヤニングスは監督にジョゼフ・フォン・スタンバーグを指名しました。スタンバーグが原作小説からまとめあげ、映画「嘆きの天使」のストーリーが完成しました。ヤニングスの役は、実直で堅物の初老の教師でした。禁欲的で生徒からも恐れられて、それゆえに尊敬もされていた老教師です。そんな老教師があるとき安キャバレーで見かけた踊子ローラに一目ぼれをしてしまいます。めろめろになってしまい、人生を棒にふるというストーリーです。ローラは、名優ヤニングスを色気で悩殺してしまう悪女でした。ローラを演じる女性はなかなか決まらず、周囲がこの人ならと推薦した人気女優も、スタンバーグは却下してしまいました。そんなある日、スタンバーグは評判のミュージカルに出かけます。舞台を見る前に、「ディートリッヒという女優をお見逃しなく」と言われます。ゾクッとするほどセクシーと一部で名を上げていたようです。舞台が終わるや否や、スタンバーグは楽屋に押しかけて、明日来てほしいと、ディートリッヒに約束を取り付けました。ディートリッヒに可能性を見い出したスタンバーグは、映画の撮影をストーリーにそって行いたいと申し出ました。

 「嘆きの天使」(監督:ジョゼフ・フォン・スタンバーグ、1930年/ドイツ、主演:エミール・ヤニングス、マレーネ・ディートリッヒ)では、冒頭でローラが登場する場面の安キャバレーと、最後の場面でローラが老教師を冷たく突き放す安キャバレーは同じ場所です。しかし、映画をストーリーにそって撮影する場合、同じ場所での撮影でも、時間が違えば、用意したセットを一旦壊すか、次の撮影までの間、長時間スタジオをセットを残しておくためだけにキープしておく必要が生じます。異例というよりは、常識の範囲外の要求でしたが、スタンバーグは押し切りました。経験豊富なヤニングスであれば、一度に複数の場面を演じることはたやすいことでしたが、やぼったさが抜けない素人のディートリッヒにローラを演じさせるには、ストーリーにそった撮影が必要だったのでしょうか。ローラがはじめてスクリーンに現れた場面、「真実の男を求めて」と歌うディートリッヒは、まだぽっちゃりしていて、安っぽい振り付けで作り笑いを投げかける田舎娘という印象がありました。しかし、最後の場面、はやくあっちへ行きなさいと指差して、男を冷たく突き放す場面のディートリッヒには、もはや田舎娘の面影はなく、男を狂わす女を演じていました。ラストシーンで、人生を狂わされた老教師は、発狂してローラの首を絞めます。狂った男を演じたヤニングスには、ただならぬ狂気がありました。演技だけで、あそこまでの迫力がだせるのかと思いました。この場面、いったん撮影にはいりましたが、我を失ってしまったヤニングスのために失敗したそうです。ディートリッヒの恐怖の叫びに、ただならぬモノを感じた周囲の人間が、あわててヤニングスを取り押さえました。我に返ったヤニングスは謝罪しましたが、ディートリッヒの首には、あざが残されてしばらく消えなかったとのことでした。監督のスタンバーグは、自分をそっちのけでディートリッヒに入れ込んでいました。自分の映画のはずだった『嘆きの天使』が、いつの間にか、ディートリッヒのための映画になっていたことを、監督も周囲の人間も、そして自分自身も認めざるをえない状況が、ヤニングスを狂気に導いたのでしょうか。

 「嘆きの天使」は1930年にベルリンで封切られました。上映されるやいなや、新星ディートリッヒ登場の話題で持ちきりになったそうです。そんなディートリッヒは、ベルリンで「嘆きの天使」のプレミアショーが開催された日の夜に、アメリカへ旅立ちました。


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