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夜と霧/V・E・フランクルのあらすじと読書感想文

2014年6月30日 竹内みちまろ

夜と霧のあらすじ


 第二次世界大戦中、オーストリアの心理学者で精神科医だった著者のヴィクトール・エミール・フランクルさん(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日−1997年9月2日)は、ポーランドのアウシュビィッツ(ビルケナウ)にあった大規模強制収容所の支所の被収容者となります。のちに、志願して医師として、ドイツのバイエルン地方にあった発疹チフス患者のいる収容所へ移送されます。戦争末期に赤十字に保護されました。

 フランクルさんは、「おびただしい小さな苦しみ」を描写するために体験記を実名で発表すことを決意し、「夜と霧」(現代は「心理学者、強制収容所を体験する」というほどの意味)を著しました。

 フランクルさんは、強制収容所での体験をおおまかに分類すると、収容所生活への被収容者の心の反応は、3段階に分けられると記します。

施設に収容された段階
収容所生活そのものの段階
収容所からの出所ないし解放の段階

【施設に収容された段階】


 アウシュビィッツ駅で貨物列車から降ろされた被収容者は、持ち物をすべて取り上げられ、被収容者番号だけを付けられます。被収容者には心理学で言うところのショック作用も起きますが、アウシュビィッツという名前や噂は聞いていたものの実態を知らなかったため、うまくいくはず/なんとかなるものさと考える恩赦妄想に囚われていました。

 しかし、親衛隊員(SS)が指で被収容者を右と左に分け、左へ選別された90パーセントの被収容者がそのまま焼却炉の建物まで歩かされたことを夜になって知るなどするうちに、恩赦妄想は消えていきます。

【収容所生活そのものの段階】


 被収容者は、数日のうちに、当初のショックらの段階から、第2段階である「感動の消滅段階」へと移行します。内面がじわじわと死んでいく段階です。

 横で同じ棟の被収容者が監視兵からサディスティックに拷問されていても、心にさざ波ひとつ立てず、無関心に、何も感じずに眺めるようになります。病気や寒さに苦しむ人間、痛めつけられる人間、瀕死の人間、そして死者たちを見続けるうちに、それらが見慣れた光景になってしまい、心が麻痺します。そして、隣で寝ていた仲間が死ぬと、木靴を取り替えたり、衣服をはいだりしにかかります。

 一方で、フランクルさんは、肉体的苦痛よりも、殴られることによる、不正や不条理への憤怒という精神的苦痛に苦しんだことが記されていました。殴られながらあざけられることが苦痛を伴い、監視兵から罵倒する価値もないと判断され、動物にするように小石を投げられたときは、とっくに消滅していたはずの感情が戻ってきたことも記載されていました。

【収容所からの出所ないし解放の段階】


 収容所から解放された被収容者は、しばらくたってから突然、感情がほとばしり、精神的な危険に犯されます。長い間、潜水艦の中にいた人間が異常に気圧の高い状態に居続けた状態から急に地上に戻ると健康を害する潜水病に似ていると指摘。特に、多くの被収容者に、今や解放された者として逆に力を自由を意のままにためらいなくとことん行使しての許されるのだとはき違える事例が観察されました。多くの被収容者が、新たに手に入れた自由のなかで運命から失意を手渡されたと記していました。

夜と霧の読書感想文


 『夜と霧』は、今までに何回か読んできました。美しい風景を見ても感動しなくなった被収容者からどんどん死んでいくことや、スープと交換できるタバコを吸い始めてしまった被収容者がいたら、あいつは長くないと言われ、実際に死んでいったことや、世界には「まともな人間」と「まともでない人間」の2種類しかおらず、監視者にも「まともな人間」はいた以上、どんな集団にも、「まともな人間」と「まともでない人間」の2種類が交ざっていると指摘していたことや、モラルや尊厳についてなど、たくさんのことが印象に残っています。

 今回は、「生きる意味」について考えたことを書いておきたいと思います。

 フランクルさんは、強制収容所では多くの被収容者が「今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる」と信じていたことを指摘し、そのうえで、「人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ」と記していました。

 ある日突然、居住棟で被収容者が横たわったまま動かなくなり、着換えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもやめ、「自分を放棄」することがあったそうです。また、「生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎり」で、「あっというまに崩れていった」とも。

 フランクルさんは、そこで必要になるのは180度の発想の転換であり、「生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているのかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」「生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」と記します。

「生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」

 自分は何ができるのか/どうすれば自分はよりよく生きることができるのか、ということではなく、自分は何を成すべきなのか/なぜ自分は生きるのかに真摯に向き合うことが、収容所で生き延びるためには必要だったと、フランクルさんは指摘しているのだと思いました。

 収容所では、自分の命に課された義務(ミッション)を見つけ、それに向かって真摯に生きることが、人間らしく、そして強く生き続けることにつながったのかもしれません。

 収容所という特別な環境下にとどまらず、その発想はどんなときにも必要なのかもしれないと思いました。必要というのは、役に立つということではなく、不可欠ということだと思います。何に対して必要なのかということを考えると、それは、モラルと尊厳を持った人間であり続けるために必要なのだと思います。

 どうすれば幸せになれるのかということばかりが叫ばれている今の世の中だからこそ、余計に、自分の命に課された義務(ミッション)ということを考える必要があるのだと思いました。




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