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1リットルの涙のあらすじと読書感想文


 『1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也)という本をご紹介します。昭和63年(1988年)に25歳10か月で亡くなった木藤亜也さんの日記を、母親の木藤潮香さんが判読し原稿用紙に筆者するなどして刊行されました。亜也さんは、脊髄小脳変性症の進行に伴い全身の運動能力が失われていきました。

 『1リットルの涙』の本編は、「14歳――わたしの家族」「15歳――忍びよる病魔」「16歳――苦悩の始まり」「17歳――もう、歌えない」「18歳――本当のことを知って」「19歳――もうダメかも知れない」「20歳――病気に負けたくない」「21歳――生命ある限り」となっています。

 「このごろ何だかやせてきた」という一文で始まる「14歳」は、中学1年生から3年生にかけて体育の成績が下がり続けていることや、最近、突然ひざから力が抜けて転んだことなどが記されています。歩き方がおかしいことを心配した母親から病院へ行くことを相談されたりしていました。「20歳」では、入院中にお正月には家に帰りたいと思いますが、「言葉が通じるだろうか? もし通じなかったらどうして伝えるか」と不安になる様子などが書かれています。母親の潮香さんによる「21歳」では、「このころから、文字は殆ど判読できないほど乱れてきた」ことや、それでも、「病魔と必死に闘いながら、今日も心の中で書き続けていると思います」という言葉などが記されています。

 『1リットルの涙』で印象に残っている個所があります。養護学校の3年生の時に書かれた亜也さんの「修学旅行の感想文」でした。「鳩と私の平和公園」と題された感想文の冒頭は、「ポッポッポッ、クルークルーとハトが鳴く。最初、車椅子を恐がって、なかなか寄ってこなかったハトたちなのに、餌を持つと肩に腕に頭にととまっている。ハトも原爆を落とした人間も、かなりいい加減だと思った。/さきほど、原爆資料館を見学してきた。…」となっていました。予備知識がなくても、筆者が車いすを利用していることや、独特の感性を持っていることや、広島に来ていることなどが伝わってきます。そして、これからどんなことが書かれていくのだろうと、読者に身を乗り出させて続きを読ませる力があります。亜也さんは感受性が高く、表現が上手で、豊かな精神世界を持ち、文才のある人だなと思いました。

 亜也さんは、公立高校の活気ある進学校へ入学しました。2年生に進級するタイミングで、養護学校へ転校。転校を決意したことが記された場面では、「こう決断を自分に下すのに、少なくとも、一リットルの涙が必要だったし、これからはもっともっといると思います」と記されています。亜也さんは、「『夜と霧(ドイツ強制収容所の体験記録)』の中のアウシュビッツ収容所の人達と、障害者の自分と、すぐに結びつけて考えてしまう。だんだん無感覚になっていくとこなんか、似ているもん」と思ったり、「夢の中でもわたしは足は不自由でした。車椅子に乗っているわたしが出てきました(以前は、歩いているわたしだったのに)」と回想していたりしました。亜也さんは、小さなころは体が普通に動き、後天的に、運動能力を失っていく病気のようでした。また、思考能力は明確です。亜也さんが感じていたであろう恐怖や不安は想像することができませんが、「わたしの生きがいっていったい何だろう」と悩む16歳の姿は、適切な言葉かどうかわかりませんが、ほんとうに、普通の16歳の少女のように思えました。

 『1リットルの涙』の本編である亜也さんの日記は20歳で終わっています。その後、日記を書くことができなくなってからの様子は、潮香さんによる『いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記』に綴られているそうです。日記が書けなくなってから、亡くなるまでの時間を、亜也さんはどのように過ごされたのだろうと思いました。『いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記』(Amazonへ)も読んでみたいと思います。

(2012年8月8日)


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