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人間失格/太宰治のあらすじと読書感想文

2011年7月25日 竹内みちまろ

人間失格のあらすじ


 『人間失格』は、語り手である小説家の男が3枚の写真を紹介する「はしがき」から始まります。写真には「見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせる」男が写っています。

 「第一の手記」では、手記の筆者である「私(=葉蔵)」の幼年期が語られます。葉蔵は、空腹という感覚がわからずに、それでいて、家に帰れば使用人たちから、おやつを勧められていました。葉蔵は、お腹が空いていないにもかかわらず、おべっかを使って「おなかが空いた」とつぶやきながらおやつを食べていました。葉蔵の中で、空腹など世の中にあるという感覚が自分自身でわからないことが、他人が何をどのように感じているのかわからないことにつながります。自分一人が何もわかっていないという恐怖におそわれ、葉蔵は、恐怖をごまかすため「道化」を演じるようになりました。葉蔵は、「内心、狂うほどの恐怖を感じ」ていましたが「何でもいいから、笑わせておれば」、自分一人が世の中の人たちからはぐれている(と感じる)ことを気にせずともよいと考えました。嫌なことも嫌と言えず、いつも内心ではおどおどして過ごしていました。しかし、東京へ行く父親からおみやげに何がほしいと聞かれた葉蔵は、いったんは「道化」を演じることをしませんでしたが、父親の不機嫌さを感じ取って、夜にこっそり父親のノートに父親がそれを自分に買い与えたがっている獅子舞の文字を記入して、「道化」を演じました。葉蔵は、父親や家族を含めた他者との関係性を放棄するようになりました。

 「第二の手記」では、家を出て中学校に通ったころと、東京で学生となって無理心中をはかり、自分だけ生き残ったことが語られます。中学でも「道化」を演じた葉蔵は、人気者になる一方で、内心ではいつ自分の「道化」がばれるのではないかとびくびくしていました。同級生の竹一が、葉蔵の「道化」に気がつきました。葉蔵が竹一を手なずけようと親切に接するという関係が生まれました。竹一が持ち込んだ画家の自画像を見て感動した葉蔵は、自画像の制作にとりかかりました。葉蔵は美術学校へ進学したかったのですが、父親の決めた官吏の道に口答えすることができずに、東京の高等学校(今でいう大学)に進学しました。葉蔵は学校へはあまり行かず、洋画家の画塾に通い、そこで堀木と知り合いました。堀木に誘われて遊び回るうちに、共産主義運動の会合に出席するようになります。カフェ(今でいるキャバクラのようなもの)の、夫が刑務所に入っている広島出身で2歳年上のツネ子と情死事件を起こしました。

 「第三の手記」には、転落が語られます。学校から追放された葉蔵は、父からつけられた男の家の二階に居候します。唯一、話ができる人間であった堀木を頼って堀木の家へ行き、そこで、甲州生まれで5つになる娘と高円寺のアパートに暮らしている雑誌社のシズ子(28歳、夫と死別して3年)と知り合い、シズ子の家に居候を始めました。葉蔵はマンガを書くようになり、シゲ子(娘)をあやすようになります。ある日、母娘の姿を垣間見た葉蔵は、「幸福なんだ、この人たちは」と思い、アパートを出ました。アパートを出て、京橋のスタンドバアのマダムの家に泊まり込むようになりました。たばこ屋の17、8歳になるヨシ子と知り合い、アパートを借りて2人で暮らし始めました。夏の夜に、葉蔵は堀木とアパートの屋上へ出て言葉遊びをしていましたが、階下ではヨシ子が編集者(?)の男に犯されていました。葉蔵は、その様子を見ましたが、助けることを忘れ、屋上へ逃げました。その日から、ヨシ子はおどおどするようになり、葉蔵はヨシ子が隠し持っていた催眠剤を飲みました。意識を取り戻した葉蔵は、モルヒネに頼りながらマンガを描いていました。薬屋の「奥さん」と関係を結ぶなどして、ついに、父親に自分の惨状を告白する長い手紙を書きました。葉蔵は、精神施設に入所します。初夏のころ、長兄が葉蔵を引き取りにきて、葉蔵は父が胃潰瘍のため死んだことを知りました。長兄のはからいで、療養生活を始めました。

人間失格の読書感想文


 『人間失格』(太宰治)は、語り手である小説家の「私」が、ある手記を垣間見るという構造をとります。小説家は、「はしがき」と「あとがき」に登場し、手記が「はしがき」と「あとがき」とに挟まれるという形式です。

 手記の内容は、「ことし、二十七」になる男が語る自身の人生です。男は、故郷の街から汽車で4、5時間走った先にある海辺の温泉地にいます。家政婦の老婆に犯されながら療養していますが、「たいていの人から、四十以上に見られます」。そうなるまでのいきさつが手記の内容です。

 『人間失格』を読み終えて、語り方が特徴的だなと思いました。手記の内容は、一人称の告白という、いわゆる私小説と呼ばれるものに近いと思います。そこで語られる内容は、あくまでも「私」から見た一面的な世界です。手記の中にも、父親に対する愛憎のようなものが行間ににじまされていますが、はっきりとした情報として提示されているわけではありません。

 語り手の小説家は、葉蔵の物語にとってはまったくの他人であり、手記を読んだだけの関係ですが、それはイコール、読者の立場と同じかもしれないと思いました。その語り手は、「多少、誇張して書いているようなところもあるけど」とあるので、葉蔵の手記を“私小説”と見なしていると思います(そもそも人間は日記にも「嘘」を書く動物ですが)。しかし、「僕がこの人の友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかもしれない」と口にした語り手に、手記の持ち主であった京橋のスタンド・バーのマダムは、「あのひとのお父さんが悪いのですよ」「私たちの知っている葉ちゃんは、(中略)神様みたいないい子でした」と告げ、そのセリフで『人間失格』という作品は終わります。語り手も、読者も、“私小説”というフィクションの中からしか情報を得ることができていなかったのですが、最後の場面にいたり、葉蔵を知る人物から直接の証言が提示されます。仮に裁判に例えれば、葉蔵の手記は証拠として採用されなくても、マダムの証言は重要視されるかもしれません。そのマダムのせりふにある「父親が悪い」「いい子だった」という情報は、手記には直接には書かれていないだけに、なにか、『人間失格』という作品世界には、手記には書かれなかった(書けなかった?)物語が存在するように感じられ、最後にその物語の存在をにおわすことにより、『人間失格』という小説が作品として成立している、と思いました。あと、昭和10年前後に京橋のスタンド・バーでハイボールを飲んだことが書かれていた場面には、ハイボールの歴史を感じました。

 また、手記では、葉蔵が自身を人間失格とまでいうようになる根本のはじまりについて、空腹という感覚が分からずに他者たちの言動から照らし合わせると自身自身というものを見出すことができないという現象にあると、直接的には解釈することが可能です。裕福な家庭でしたので、腹が減ったことはあるが腹をすかせたことはない、というようなことはあったかもしれませんが、そもそもに、腹が減るということがどういうことなのかわからないと書かれてしまうと、空腹感は生命の存続に関わる生理現象だと思いますので、どう受け止めてよいのか整理がつきませんでした。例えば、空腹感がないということは、絶食すれば人間はいつかは死ぬわけですが、葉蔵はもし無人島に一人で暮らしていたら、腹が減ることがないので何も食べなくてそのうちに死んでしまうこともあるのか、などと思いました。人間なら、ナイフで自分の体を刺したら痛いです。でも痛みを感じることがなかったら、ナイフでいつまでも自分の体を刺し続け、出血多量などで死んでしまうかもしれません。葉蔵は、家庭環境や人間関係などの後天的な社会条件うんぬんの以前に、生命維持に関わる根本的な問題があったようにも感じられました。ただ、作品は、嫌なことも嫌といえない/他者からよく思われようとしてしまう/器用さ・ずうずうしさ・割り切った考え方などを発揮できない、などの後天的な性格や社会性に焦点が当てられていましたので、空腹感がわからないという点は突っ込んでも、しかたがないのかなと思いました。



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