日本映画の時代/廣澤榮のあらすじと読書感想文
語られない物語
「日本映画の時代」は、助監督として多くの映画制作にたずさわり、のちに脚本家として活躍した著者の回想記です。「日本映画の時代」は、少年のころの思い出からはじまります。幼いころに見たアメリカ映画「ベンガルの槍騎兵」では、味方を勝利に導くために命を捨てた主人公(ゲーリー・クーパー)のヒロイズムに興奮して、同じアメリカ映画「戦場よさらば」では、肩賞を剥ぎ取った主人公(ゲーリー・クーパー)の生きざまに心を奪われたことが書かれていました。いさましい戦争映画も、反戦への思想が込められた映画も、同じパラマウント社の製作であったことが心に残ったようです。著者は青年になりました。東宝撮影所に助監督として入社します。しかし、数ヶ月後には赤紙を受け取りました。入営するまでのわずかな期間に、軍部と手を結んだ映画産業が戦意高揚のための映画を作る姿を垣間見ます。
印象的なエピソードがありました。著者は、戦時中に、東宝撮影所の中で、「チャップリンの独裁者」を見たそうです。軍が押収したフィルムが、極秘で上映されたようです。字幕がなくて何を言っているのかはわかりませんでした。しかし、友人が、ポツリ、ポツリと翻訳して聞かせてくれます。著者は、映画に込められたチャップリンのメッセージを受け取ります。入営の日までに、自分が生きた証として、チャップリンのように、自分の言葉を込めたシナリオを書きたいと思ったそうです。敗戦後、著者は東宝撮影所に戻りました。昨日までは軍部に従い、今日からはGHQの言うがままに映画を作る、それでいいのかという問いに答えを出さないまま、戦後日本映画が走りだした姿が書かれていました。
ここまで読んだときに、「日本映画の時代」の半分が終わっていました。前半には、著者が感じたことが、著者自身の言葉で語られていました。それは、国じゅうが軍国主義に染まりはじめたころに出会った映画から受けた衝撃や、統制と検閲のもとで映画が歪曲されていく姿への疑問でした。「日本映画の時代」の後半でも、黄金期を迎える日本映画の時代の中で、著者が何を見て、何を考えたのかが書かれているのだと思いました。しかし、後半に書かれていた内容は、助監督として製作に参加した『七人の侍』の裏話や、巨匠と言われる監督たちの横顔でした。それはエピソードを超える内容ではありませんでした。文章というものは、意識しなくても、必ずどこかで著者の心が表れてしまうものだと思います。また、著者は、表現の世界に生きた人です。本文には当たり障りのないことを書きながらも、行間に読者へのメッセージを込めることは可能だと思います。しかし、本書の後半では、本文はおろか、行間からも、著者の思想を読み取ることができませんでした。(ある意味で)見事な文章でした。著者は ”日本映画の黄金期” に何を感じたのでしょうか。著者の心は提示されないまま、無情にも、「日本映画の時代」は終わってしまいます。解説には、多くの映画製作にたずさわった著者は、ついに、一度も監督にはならなかったことが書かれていました。著者は、2回ほど、監督をつとめる機会に恵まれたようです。しかし、これでは自分が思い描いている作品を作れないと、どちらも自分から断ったことが書かれていました。
(2004年12月13日)
