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(17)源義朝の昇殿

登場人物:後白河天皇、信西、源義朝


 内裏の高松殿では、後白河天皇が南殿に出て、公卿詮議がありました。少納言入道・信西は、末座に伺候。袖(そで)が短い浄衣を来て、家に伝わる小狐という木地のまま仕立てた鞘(さや)の木刀をさしていました。

 そもそも、朝家が開いてからこの方、出家した者が禁中に出入りすることは、先例がほとんどありません。昔、称徳天皇の時代に、弓削の道鏡という僧が、如意輪観音を本尊として祈願する修法を成就させたため、称徳天皇の寵愛が深く、太政大臣の位を授けられ、禁中に伺候したのは特別のこと。信西が居並ぶ今日の詮議はまれに見ること。しかし、信西は諸道を学び、文武を身に着けていました。治世のまつりごとも、乱世のまつりごとも知り、故事に通じているので、信西なくしてはこの難儀の次第を決めることができず、仕方のないことと思われました。

 信西が宣旨を承り、下野の守・源義朝を召しました。義朝は赤字の錦の直垂に、脇を防ぐ楯に小具足だけの姿で、太刀を帯びていました。烏帽子をかぶり、中庭に跪きました。

 信西が義朝に告げました。

「貴殿が、父親、兄弟を捨て、味方に参じたこと、後白河天皇の感心もはなはだ高い。なので、今回の大将は、貴殿に給わる。忠義、武功によっては、日頃から所望している昇殿も、すぐに許されよう。そのことを存じ置くように」

 義朝は畏まり、告げました。

「家に伝わることですが、合戦に出て死ぬことは当たり前、生きて帰ることこそ、存外。しかし、手前にとっては、故鳥羽法皇の遺言と、宣旨に従うのみ。また、今すぐにでも屍を戦場にさらす覚悟。生きて再び帰れば栄光にあずかることもあるでしょうが、生き死には天運にまかせるだけのはかない命。後日に勅命があるというなら、ただ今、宣旨を下されたく思います。というのも、年来の願いがかなえば、今以上に勇む心も生まれます。願いをかなえる前に2つとない命を捨てれば、怨念となり、かつ、無念です」

 義朝は、そう告げながら、階下に詰め寄りました。信西は後白河天皇に奏上しました。

「これこそ、難題です。義朝の先祖、源頼義、源義家は朝敵をひたすら平らげ、昇殿を許されたといえども、父である源為義はいまだ地下の検非違使なり。その子がただちに昇殿を許されるというのはいかがなものでしょうか」

 後白河天皇は答えました。

「乱世は武力をもって鎮めよという言葉もある。世はすでに乱れている。忠功の義朝に恩賞を与えないということはあってはならない」

 後白河天皇がそう言うので、もはや子細に及ばず、義朝は衣装も改めず、兵装のまま、階段を上りました。まことに珍しい昇殿の仕方です。『昇殿は俗界を超えた、選ばれた人たちだけの世界。俗人が内裏の雲を踏んではならないと言われている。弁官はまた天下の望み。凡才の者を昇殿させてはならない』とうわさされましたが、源義朝がこの日をもって殿上人の札に名前を刻んだのは、六孫王から伝わる弓矢の家の面目でした。

2012年7月23日

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