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(3)鳥羽法皇

登場人物:鳥羽法皇、熊野神社の巫女


 久寿2年(1155年)の冬、鳥羽法皇は熊野神社(和歌山県)に参詣しました。熊野参詣のための、岩代から南部(みなべ)までの間の海岸の参道「千里王子」を進み、供奉する公卿・殿上人が神社の周りの垣根にひざまずきました。すぐに、熊野本宮である証誠殿の御前で夜通しの祈りを行い、現世と来世のことを祈願しました。御前に立つ波が嵐のようで、風は山を鳴らしました。嵐は夜がふけるにつれ静まり、鳥羽法皇は心をすませて来世と現世を願い、仏法の真理を観じ念ずる実践修行をしていました。

 すると、深夜になり、神社の人々も寝静まった後、証誠殿の簾のすそから左手を思われる美しい手が出てきて、なんども、手のひらを返します。鳥羽法皇は、現実のこととも、夢のことともはっきり思わないで見ていましたが、誰にもそのことを言わないまま、熊野山に聞こえた無双の伊岡(これをか)の板という巫女を呼び出し、「不審なことがある。しかと、占いをせよ」と命じました。

 巫女は、朝から、熊野権現を呼び出すための儀式を行いましたが、日が過ぎるまで権現は姿を見せませんでした。人々は心をすませて、参詣者にいたるまで、目を見張っています。すると、程なく、権現が巫女に憑依していたと思われ、巫女が、鳥羽法皇へ体を向け、左の手をさし出し、2、3度、手のひらを反して、「これはどうだ」と告げました。鳥羽法皇は、夢うつつに見ていたことと同じでしたので、「真実の託宣だ」と合点が行き、急いで御幣をささげ、手を合わせて、「私は、十善の恩を受け、天子の位に就きましたが、一切衆生の生死が流転する欲・色・無色界の三種の世界に縛られた凡人です。どうしてことの是非をわきまえているでしょうか。どうか、事の由をお示しください」と告げました。

 巫女は、か細い声で、

  手にむすぶ 水にやどれる 月影の

    あるかなきかの 世にもすむかな

 という歌を、2、3回、繰り返し、涙を流し、神託を告げました。

「貴殿は知る由もないだろうが、明けた年の秋、崩御するに違いない。その後、世は、手のひらを裏返すようになるだろう」

 神託を聞いた公卿・殿上人はみな胆をつぶして色を失い、「どうすれば鳥羽法皇の寿命を延ばすことができるのだろう」と口々に言いました。鳥羽法皇も驚き、重ねて告げました。

「仏や菩薩が衆生を救うために姿を変えて世に現れるのは、苦を取り除き、楽しみを与えるため。大慈悲の心がどうして憐れみを下さらないことがあろうか。さらに、厄難から救うことは、権現のもっとも大きな本懐。願わくは、権現の本懐を示し給え」

 鳥羽法皇が泣く泣く告げると、巫女はますます涙を流して答えました。

「君はわが国の主として、40余回の季節を治め、私はこの国の鎮守として、1千余年の月日が過ぎた。なので、憐れんで利生方便の慈悲を与えないということはないが、人間に前世から定まっている報いとしての寿命があることはどうすることもできない。ひとえに、極楽の地を踏み往生することこそを、願い続けなさい。このような、5つのけがれが渦を巻く五濁乱慢の浮き世に心を留めるべきではない。いまはただ、現世のことを思うことは捨て、後生のための勤めに励みなさい」

 そう告げて、権現はすぐに姿を消しました。

 神託では来年の秋と示されましたが、鳥羽法皇はすぐにでも入滅しようと思い立ち、臣下の者たちも、すぐにお別れがくると悲しみました。熊野神社の参道では、供奉の人々があちこちに従っており、数多くある末社で執り行われる、旅人が神社や仏寺の前を通る時に手向けに踊る舞は、熊野参詣がいつもの旅とは違っていることを示し、人々は進んで参詣に訪れます。それにひきかえ、鳥羽法皇一行の帰路は、みな涙を流しながら袖を絞り、葬列の儀式そのものでした。熊野詣の帰路は、身分の高い人も低い人もみな「悦びの道」といいました。しかし、鳥羽法皇の一向については、占いを行い神託を告げた巫女ですら、かえって心を冷やしてしまいました。

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