泉鏡花 竜潭譚(りゅうたんだん)のあらすじと読書感想文


 二万字弱の短編です。ストーリーは、二段構成になっていました。ほとんどの文字数を使って、少年のころに神隠しにあったエピソードが描かれていました。ラスト・シーンでは、青年になった主人公は、海軍の少尉候補生になっていました。少年のころに神隠しにあったほろ苦い思い出を、かけがえのないものとして守ろうとする青年の一瞬のうしろ姿が描かれていました。「少年のころのほろ苦い思い出」+「青年のうしろ姿」という構造が印象的でした。芥川龍之介の「トロッコ」のような構造です。もしかしたら、泉鏡花や芥川龍之介が生きた時代では、特に、説得力を持つ技巧だったのかもしれないと思いました。

 「竜潭譚」の冒頭の場面は、雲一つない晴天の午後でした。きれいな虫を追いかけるうちに、少年は、町外れの見知らぬ場所に迷い込みます。突然に目の前に現れた母を思わせる美しい女性に誘われて、一晩をいっしょに過ごします。翌日に、少年は、村の大人に助け出されました。


たそがれどき


 「たそがれどき」という言葉は、「誰ぞ彼どき」という意味であると「神隠しと日本人」(小松和彦)という本に書いてありました。電気のない生活を送っていた時代には、時計を持たない人びとは、ニワトリが鳴けば起きて、日が暮れれば「暗うなった」という生活をしていたようです。夕暮れどきになると、向こうから歩いてくる人は、すれ違うまで誰だかわからなかったのかもしれません。月の出ない夜には、提灯の明かりの外側は、真っ暗闇に包まれた世界になったようです。


この世の外へ


 「少年のころのほろ苦い思い出」は、時間軸にそってエピソードが配置されていました。見知らぬ神社にたどり着いた少年が、そこで遊んでいた子どもたちに誘われて、「隠れんぼ」をする場面がありました。じゃんけんに負けて鬼になった少年は、「もう、いいよ」という声に誘われました。目を開けた少年は、一瞬、世界が違って見えるような錯覚に陥りました。いっしょに遊んでいた子どもたちは、「もう、いいよ」という声だけを響かせながら、少年一人を置き去りにして、家に帰ってしまいました。「夕暮れどき」、「隠れんぼ」、「声だけが響く世界」、「置きざり」、「一瞬の錯覚」など、神隠しの条件が、一つ、一つ、整ってゆきます。

 少年は、日が暮れる前に帰ってきなさいという、母の代わりとして慕う姉の戒めの言葉を思い出しながらも、一人で遠くにまで来てしまっていました。少年のばつの悪さや、夕暮れとともに妖しいものたちが出回りはじめる様子など、少年が神隠しにあうエピソードには、暗い影がいくつも散りばめられていました。


うしろ姿


 そんなエピソードが描かれたあとに、青年となった主人公のうしろ姿を垣間見せて、「竜潭譚」は終わっていました。神隠しにあった少年は、むごい仕打ちを受けます。村人は、少年に取りついた妖しいものを忌み嫌います。少年の体から、たたき出そうとします。少年は、庭で冷や水をあびせかけられたり、暗室に閉じ込められたり、柱に縛りつけられたりします。昨日まではいっしょに遊んでいた仲間たちから、「さらはれものの、狐つき」とはやしたてられます。少年が自分に起こった出来事を説明しようとしても、幼い口から発せられる要領を得ない言葉は、大人たちには、支離滅裂に聞こえました。少年をやさしく見守ってくれていた姉にまで、「うす気味悪いねえ」と言われます。少年は、いっそうのこと、もう一度、死んだ母を思い出させてくれる女の人のいる世界に戻ってしまいたいと思いました。

 読み終えて、青年になった主人公の中では、思い出の世界が完結していることを感じました。青年は、軍隊に入っていました。青年にとっては、他に取る道がない選択肢だったのかもしれませんし、青年が生きた時代では、それがすばらしいことであったのかもしれません。しかし、ラスト・シーンで、青年は、少年のころに神隠しにあった思い出を、かけがえのないものとして、必死になって守ろうとします。そんな青年のうしろ姿が心に残りました。

(2005年12月5日)

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