Internationale Marschperlen International Blankenburg Vereinigung e.v., Isselburg, Deutschland 制作 LP レコ−ド |
曲 目 |
Seite A 1. Musika-Marsch ムズィ−カ 行進曲 Opus 521 (2:49) 2. Amsterdam-Marsch アムステルダム 行進曲 (2:43) 3. Framåt ! 前進! Opus 790 (3:25) 4. På ärans bana 栄誉 ある 進路に (3:08) 5. Honnör för fanan 旗へ の 敬意 (2:43) 6. Germanentreue 信義 の 厚い ゲルマン人 Opus 64 (3:12) 7. Prinz-Eitel-Friedrich-Marsch アイテル ・ フリ−ドリッヒ 王子 行進曲 Opus 55 (3:47) 8. Wenn die Soldaten durch die Stadt marschieren 兵士たち が 街を 行進する 時 Opus 137 (2:43) Seite B 1. Adlerflug 飛び 行く 鷲 Opus 67 (3:33) 2. Andreas-Hofer-Marsch アンドレアス ・ ホ−ファ− (チロル 独立 戦争 の 英雄)(1767〜1810) 行進曲 Opus 136 (3:12) 3. Dem Schweizerland スイス の 地へ (3:38) 4. Oerlikon-Zürich-Marsch エルリコン−チュ−リッヒ 行進曲 (3:07) 5. Vivat Helvetia ! ヘルヴェツィア (スイス の 古名) 万歳! Opus 630 (3:14) 6. Auszug aus dem Marsch−Abschied der Gladia -toren 行進曲−「剣士の別れ」から 抜粋 (1:25) 7. Interview Reichssender Köln ドイツ 帝国 ケルン 放送 の インタビュ− (6:06) "ドイツ の マ−チ王" ヘルマン・ル−トヴィッヒ・ブランケンブルク: 1876年11月14日 ドイツ チュ−リンゲン/テユ−リンゲン地方の タムスブリュック (Thamsbrück, Thüringen)の牧羊農場の 長男として 生誕。 3人の子供のうち 唯一の男子だったので 家族は この農場の後継を 期待していたが 本人は 当時 楽器、 特に、ピッコロ 演奏に 熱中している等 音楽家志向が 非常に強かった為に 最終的に 家族は「軍楽隊入隊」を 条件に 音楽の道を 進むことに 同意した。 彼は 好みの楽器の ピッコロを はじめ バス−ン、チュ−バ、ヴァイオリン の 独習に 余念がなかった。 幾つかの 交響楽団で 主として Bass Tuba の奏者として 活動。1896〜1898年 ブレスラウ Breslau の 第6野戦砲兵連隊、1913〜1915年 ヴェ−ゼル Wesel の 第43野戦砲兵連隊 の 各軍楽隊員として活動。ブランケンブルクが "有能 & 多才な" 作曲家として その評価を 一段と高め 地位を 確固たるものにした転機は 1906年 ロンドンの大手出版社 Hawkes & Son 社主催の 行進曲作品 コンク−ルでの 受賞だった。一方 私生活の面では 波乱含みの展開も あった。1917年に「家庭放棄」 そして 1920年には「重婚」の 問題を 起こしている。 しかしながら 地域社会への 貢献度が 高く評価されて1936年(60歳時)に 生れ故郷 タムスブリュックの"名誉市民" と 認定された。 1956年 5月15日 長い間 住み慣れた 第2の 故郷 ライン川下流域 の ヴェ−ゼル/Wesel, Nordrhein-Westfalen)にて 79歳の生涯を 閉じた。 ブランケンブルクの生誕 100年に当たる1976年 ヴェ−ゼル市は その功績を讃えて 彼の居住地 の 大通りを Blankenburg-strasseに 名称を 変更した。 ブランケンブルクは 生涯1,000曲以上 作曲したが その大部分が 極めて優れた行進曲 の 作品で とりわけ、ユ−フォニアム/Euphonium の 演奏による 対旋律/Counter -melody を 生かした 格調の高さ、洗練さの 中にも 剛毅 果断な ドイツ風スタイルを 貫いている点 が 実に見事。 |
価格: ¥15,000- |