Hermann Ludwig Blankenburg |
曲 目 |
01. Mein Regiment 我が 連隊 02. Dem Lenz entgegen ! 春が やって来る 03. Freundestreue 友人としての 信義 04. Die Wahrheit siegt ! 真実が 勝利を おさめる! 05. Europas Einigkeit ヨ−ロッパ の 結束 06. Unterm Freiheitsstern 自由の 星の もとに 07. Künstlerblut 芸術家たち の 気質 08. Zigeunerkinder ジプシ− の 子供たち 09. Im Rheinland liegt ein Städtchen ラインラント の 小さな町 10. Deutscher Stenografenmarsch ドイツ の 速記者たち の 行進曲 11. Givenchy Marsch ジバンシ− 行進曲 12. Auf der Wacht ! 警護 に ついて 13. Elkana (Intermezzo) エルカ−ナ 14. Kavallerie-Parademarsch 騎兵隊 の 分列 行進曲 15. Pilotenmut 飛行士 の 勇気 16. Er weicht der Sonne nicht ! 陽光に 屈することなく 17. Grüss mir die Heimat ! 我が 故郷よ、 こんにちは! 18. Mein Wesel 我が ヴェ−ゼル 19. Des Siegers Lorbeer 勝利者 の 栄冠 20. In memoriam H. L. Blankenburg ブランケンブルク 追想 21. Weltenstürmer 世界を 攻略して 22. Abmarsch in die Quartiere 帰営 の 行進曲 (軍隊が 隊列を 組み 歩調を とって 兵舎へ 帰る際 演奏される) "ドイツ の マ−チ王" ヘルマン・ル−トヴィッヒ・ブランケンブルク: 1876年11月14日 ドイツ チュ−リンゲン/テユ−リンゲン地方の タムスブリュック (Thamsbrück, Thüringen)の牧羊農場の 長男として 生誕。 3人の子供のうち 唯一の男子だったので 家族は この農場の後継を 期待していたが 本人は 当時 楽器、 特に、ピッコロ 演奏に 熱中している等 音楽家志向が 非常に強かった為に 最終的に 家族は「軍楽隊入隊」を 条件に 音楽の道を 進むことに 同意した。 彼は 好みの楽器の ピッコロを はじめ バス−ン、チュ−バ、ヴァイオリン の 独習に 余念がなかった。 幾つかの 交響楽団で 主として Bass Tuba の奏者として 活動。1896〜1898年 ブレスラウ Breslauの 第6野戦砲兵連隊、1913〜1915年 ヴェ−ゼル Wesel の 第43野戦砲兵連隊 の 各軍楽隊員として活動。ブランケンブルクが "有能 & 多才な" 作曲家として その評価を 一段と高め 地位を 確固たるものにした転機は 1906年 ロンドンの大手出版社 Hawkes & Son 社主催の 行進曲作品コンク−ルでの 受賞だった。一方 私生活の面では 波乱含みの展開も あった。1917年に「家庭放棄」 そして 1920年には「重婚」の 問題を 起こしている。 しかしながら 地域社会への 貢献度が 高く評価されて1936年(60歳時)に 生れ故郷 タムスブリュックの"名誉市民" と 認定された。 1956年 5月15日 長い間 住み慣れた 第2の 故郷 ライン川下流域 の ヴェ−ゼル/Wesel, Nordrhein-Westfalen)にて 79歳の生涯を 閉じた。 ブランケンブルクの生誕 100年に当たる1976年 ヴェ−ゼル市は その功績を讃えて 彼の居住地 の 大通りを Blankenburg-strasseに 名称を 変更した。 ブランケンブルクは 生涯1,000曲以上 作曲したが その大部分が 極めて優れた行進曲 の 作品で とりわけ、ユ−フォニアム/Euphonium の 演奏による 対旋律/Counter -melody を 生かした 格調の高さ、洗練さの 中にも 剛毅 果断な ドイツ風スタイルを 貫いている点 が 実に見事。 |
価格:¥3,300- |