Hermann Ludwig Blankenburg
unser Marschkönig Folge 1
ヘルマン・ル−トヴィッヒ・ブランケンブルク 行進曲集
ドイツ 連邦 東部国境 警察本部 音楽隊
ベルリンMusikkorps des Grenzschutzpräsidium Ost, Berlin  Leitung: Hans-Jürgen Rohland
ドイツ語 & 英語 による 15ペ−ジ の 解説書付

(DBL-15758)

曲 目

01. Mein Regiment 我が 連隊
02. Dem Lenz entgegen ! 春が やって来る
03. Freundestreue 友人としての 信義
04. Die Wahrheit siegt ! 真実が 勝利を おさめる!
05. Europas Einigkeit ヨ−ロッパ の 結束
06. Unterm Freiheitsstern 自由の 星の もとに
07. Künstlerblut 芸術家たち の 気質
08. Zigeunerkinder ジプシ− の 子供たち
09. Im Rheinland liegt ein Städtchen ラインラント の 小さな町
10. Deutscher Stenografenmarsch ドイツ の 速記者たち の 行進曲
11. Givenchy Marsch ジバンシ− 行進曲
12. Auf der Wacht ! 警護 に ついて
13. Elkana (Intermezzo) エルカ−ナ
14. Kavallerie-Parademarsch 騎兵隊 の 分列 行進曲
15. Pilotenmut 飛行士 の 勇気
16. Er weicht der Sonne nicht ! 陽光に 屈することなく
17. Grüss mir die Heimat ! 我が 故郷よ、 こんにちは!
18. Mein Wesel 我が ヴェ−ゼル
19. Des Siegers Lorbeer 勝利者 の 栄冠
20. In memoriam H. L. Blankenburg ブランケンブルク 追想
21. Weltenstürmer 世界を 攻略して
22. Abmarsch in die Quartiere 帰営 の 行進曲 軍隊が 隊列を 組み
   歩調を とって 兵舎へ 帰る際 演奏される


"ドイツ の マ−チ王" ヘルマン・ル−トヴィッヒ・ブランケンブルク:
 1876年11月14日 ドイツ チュ−リンゲンテユ−リンゲン地方の タムスブリュック
Thamsbrück, Thüringenの牧羊農場の 長男として 生誕。 3人の子供のうち
 唯一の男子だったので 家族は この農場の後継を 期待していたが 本人は 当時 楽器

 
特にピッコロ 演奏に 熱中している等 音楽家志向が 非常に強かった為に 最終的に
 家族は
軍楽隊入隊を 条件に 音楽の道を 進むことに 同意した。 彼は 好みの楽器の
 ピッコロを はじめ バス−ン、チュ−バ、ヴァイオリン の 独習に 余念がなかった。
 
幾つかの 交響楽団で 主として Bass Tuba の奏者として 活動。18961898
 ブレスラウ
Breslauの 第6野戦砲兵連隊、19131915ヴェ−ゼル Wesel
 
43野戦砲兵連隊 の 各軍楽隊員として活動。
ブランケンブルクが "有能 & 多才な"
 作曲家として その評価を 一段と高め 地位を 確固たるものにした転機は
1906
 ロンドンの大手出版社 Hawkes & Son 社主催の 行進曲作品コンク−ルでの
 受賞だった。
一方 私生活の面では 波乱含みの展開も あった。1917年に家庭放棄
 
そして 1920
年には重婚の 問題を 起こしている。 しかしながら 地域社会への
 貢献度が 高く評価されて1936
60歳時に 生れ故郷 タムスブリュックの"名誉市民"
 と 認定された。
1956年 5月15日 長い間 住み慣れた 第2の 故郷 ライン川下流域
 の ヴェ−ゼル
Wesel, Nordrhein-Westfalenにて 79歳の生涯を 閉じた。
 ブランケンブルクの生誕 100年に当たる1976 ヴェ−ゼル市は その功績を讃えて
 彼の居住地 の 大通りを
Blankenburg-strasseに 名称を 変更した。
 
ブランケンブルクは 生涯1,000曲以上 作曲したが その大部分が 極めて優れた行進曲
 の 作品で とりわけ、ユ−フォニアム
Euphonium 演奏による 対旋律Counter
 -melody を 生かした 格調の高さ、洗練さの 中にも 剛毅 果断な ドイツ風スタイルを
 貫いている点 が 実に見事。



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