Colonel Bogey On Parade Vol. 1 |
曲 目 |
Side 1 1. Colonel Bogey (1914) ボギ−大佐 2. The Great Little Army (1916) 小規模 だが 屈強 の 軍隊 3. H.M. Jollies (1929) イギリス 海兵隊 (或いは、その 隊員 たち) 4. On the Quarter Deck (1917) 後甲板 にて 5. The Thin Red Line (1925) 細 く赤い 格子縞 (タ−タンの柄) 6. Voice of the Guns (1917) 砲声 7. The Standard of St. Geroge (1937) 聖 ジョ−ジ の 旗 Side 2 1. Cavalry of the Clouds (1923) 騎兵 の 群れ 2. The Middy (1917) 海軍 士官 候補生 3. Holyrood (1912) 聖 十字架 4. Army of the Nile (1941) ナイル の 軍隊 5. Dunedin (1928) ダニ−デン(ニュ−ジ−ランド 南島の 南東部に ある港町) 6. The Vanished Army (1919) 消えた 軍隊 7. Old Panama (1929) 懐かし の パナマ(運河) 曲目 の 由来 Colonel Bogey (ボギ−大佐) (1914) リケッツ(アルフォ−ド)が インヴァネス の ジョ−ジ 要塞/砦 の ゴルフ コースで プレイ中 メンバ−の 1人が「Fore !」と 前方へ 注意 喚起したが 効果が 無かったので 最初 変ロ音 と ト音 の 2音 の 口笛を 吹いたところ すかさず リケッツが その 続きを 口笛で 応えて 作られた 調べが この曲の ベ−ス と なった。 これが 一番 有力な 説。 一方、リケッツ の ゴルフ 仲間の 1人が ゴルフ コ−スで「ボギ−」の スコア ばかり だすので 彼の 名前を「ボギ−大佐」の ニックネーム(愛称)で 呼んでいた ことに 関連して この 曲名 が 付けられた との 説 も ある。 The Great Little Army (小規模 だが 屈強 の 軍隊)(1916) 第1次 世界大戦時 フランス 北部に 展開 していた イギリス 陸軍主力の 海外 派遣軍 (BEF/British Expeditionary Force)を 時の ドイツ 帝国 皇帝が 「軽蔑に 値する小軍隊」(A contemptible little army)と 揶揄 したことに 対して 愛国者 リケッツ(アルフォ−ド)は 「我らが イギリス 海外 派遣軍 は 小規模 では あるが 屈強な 軍隊(A Great Little Army)である」と 論じ返す 形で 作曲したのが この名行進曲。 The Thin Red Line (細く 赤い 格子縞)(タ−タンの柄)(1925) クリミヤ 戦争(1853〜1856)で 1854年 ロシア軍 の 大騎兵集団 の 攻撃を ものともせず 勇敢に 戦い 騎兵集団 を 撃退した 第93 サザ−ランド高地連隊 の 栄誉を 讃えて 作曲された行進曲。「無防備なイギリス軍基地 と 攻勢を かけてくる ロシア軍 の 騎兵集団との殺風景な 空間 地帯では 只々 第93 サザ−ランド 高地連隊 の 兵士達の "鋼入りの 細く 赤い格子縞"(タ−タンの柄)が 際立っていた」との 従軍記者 の イギリス本国への レポ−トが 根拠と なって 第93 サザ−ランド 高地連隊 の ニックネーム /愛称が「The Thin Red Line」と 付けられた。1881年 第91ア−ガイル 高地 連隊 と 第93 サザ−ランド 高地 連隊は 統合し The Argyll and Sutherland Highlanders となり 初代の 名誉 連隊長に ヴィクトリア 女王 の 四女 ルイ−ズ 王女 Princess Louise (1848〜1939) が 就任した。 Dunedin (ダニ−デン) (1928) ニュ−ジ−ランド 南島の 南東部に ある 港町。1925〜26年 リケッツ(アルフォ−ド) が 率いる ア−ガイル・ サザ−ランド 高地 連隊 軍楽隊 は ニュ−ジ−ランドを 親善訪問し 港町 ダニ−デンで 開催 された 国際 博覧会で 6ヶ月間に亘って 演奏活動を 行った。 「Dunedin」は この親善 訪問 の 思い出に 1928 年に 作曲 された。 The Vanished Army (消えた軍隊)(1919) 第1次 世界大戦 での 戦没者を 追悼するため 作曲。 毎年 11月11日 に ロンドン ホワイトホ−ル(官庁街)の 戦没者 記念碑 Cenotaph 前 広場で 開催されている 追悼式典 及び 休戦 記念日 の パレ−ド 等で 屡々 演奏 されている。 フレデリック・ジョ−ゼフ・リケッツ/Frederick Joseph Ricketts (ケニス/ケネス・ジョ−ゼフ・アルフォ−ド は ペンネ−ム) 1881年 2月 21日 ロンドン テ−ムズ河 北岸の ラトクリフにて 石炭小売商の 第4子として 誕生。7歳の時に 父親、14歳で 母親を亡くした為に その後 主として 母方の祖母に養育された。15歳の時 少年兵として 王立アイルランド連隊/Royal Irish Regiment 第2大隊 軍楽隊に入隊し 主として コルネット奏者として活躍した。同連隊は1896年から 約7年間 インドへ駐屯軍として派遣された。当駐屯地での 過酷とも言える 生活環境の中 リケッツも 当地 駐屯軍の軍楽隊員として その役割を 立派に果たし続けた結果、実績が 多いに評価され 本国へ帰国後 ネラ−ホ−ル(王立陸軍 音楽学校)のバンドマスタ−コ−スに 推薦された。同コ-ス終了後 異例の若さで 音楽学校の副指揮者に就任。ネラ−ホ−ルでの 約4年間 の 活躍後 1908年 南アフリカ植民地に駐屯するア−ガイル サザ−ランド 第93高地連隊 第2大隊のバンドマスタ−に就任。 リケッツ(アルフォ−ド)の大半の 作品は この頃から 第1次世界大戦中を 経て 大戦終了直後の 期間に作曲されたものである。 とりわけ、''Colonel Bogey'', ''Holyrood'', ''The Great Little Army'', ''The Voice of the Guns''. ''The Thin Red Line''は 何れも この期間に 作曲された行進曲の作品で 専門家や 愛好家から 高い評価を 受けている。 リケッツ(アルフォ−ド)が 作曲家として の 名声を 確固たるものに したのは 約20年間の ア−ガイル サザ−ランド 第93 高地連隊 軍楽隊での 活躍であった。1925年 リケッツ (アルフォ−ド)が 率いる 同軍楽隊は ニュ−ジ−ランドを 親善訪問し 南島の 南東部に ある 港町ダニ−デンで 開催 された 国際 博覧会に参加し 約6ヶ月間に亘って 演奏活動を 行い 好評を博した。 帰途は パナマ 運河 経由で 翌1926年の 初めに イギリス本国へ 帰国した。 この 親善 訪問 の 思い出に「Dunedin」は 1928年に、そして「Old Panama」は 1929年 それぞれ 作曲された。 共に 格調の高い 優れた行進曲である。 リケッツ(アルフォ−ド)は 1927〜1930年 ケント州 のディ−ルに 在る 王立海兵隊 軍楽隊の 隊長を 務めたが、1930年に ディ−ルのバンドが 解散したため 同年 海兵隊の プリマス師団 軍楽隊に移り 隊長に 就任した。 第二次世界大戦 勃発 直前には 同バンドを 率いて カナダを 訪問する等 国内外で 公式行事、式典 や 演奏会等で 多忙を 極めた。 リケッツ(アルフォ−ド)の献身的な 努力もあり Royal Marines Band の 実力 と 名声は 飛躍的に 高まり それに伴い イギリス の 吹奏楽 及び 軍楽 全般の 著しい 発展 にも つながった。1942年に 海軍少佐(Major)に昇格。 1944年 4月に 健康上の 理由で 同隊を 退役した。 翌年の1945年 5月15日に 64歳で その生涯を 閉じた。 (注)上記 各曲目 に 関する 解説 等は 御参考まで です。 個人的 解釈も 一部 含まれます故に 必ずしも 客観的に 100 % 正確とは 限りません。 御留意 願います。 |
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