ごあいさつ
当山は妙宣山徳大寺と称し,今を去る凡そ六百年前、慈光院日遺上人により創立せられ,
開運大摩利支尊天を勧請し奉る。当時此の地一帯を広く、忍ぶが岡と称せしが以後
全國より絶えざる善男善女の参詣により俄然活況を呈し、上野の地名を生むに至る。
そもそも摩利支天とは「陽炎」或いは「威光」と訳され、大自在神通の力ましまして、
常に日天に先んじて進み、昼夜行住の別なく光を放ち、参詣祈願の面々に
「気力、体力、財力」を与え「厄を除き、福を招き、運を開く」
福寿吉祥開運守護を誓い給し、諸天善神中最も霊験顕著なる守護神と伝われる。
去れば日蓮聖人某に与え給う書に「この日蓮首題の五字を汝に授く。摩利支天法華経を
持ちて一切衆生を助け給う云々」と尊天の護りの堅き証明し給えり。
又宗門史上著名なる日親上人、全国の弘通に当り摩利支天王を守護神として奉持せり。
げに数千年の久しきに亘り印度中國、我國に於いて招福得幸開運の益速やかなる
霊験に依って、あまねく庶民の間に信敬せられ給いしものなり。
当山奉祀の尊天は、聖徳太子の御親作と伝えられ、頭髪上空に飛揚し、右手に利剣を掲げ、
左手を開いて前方に捧げ、走猪の上に立たせ給う。是れ正しく諸難をしりぞけ、
開運吉祥福寿無量を与え給う守護神であり、巨益霊験を施し給うこと枚挙にいとまなし。
これ即ち下谷摩利支天徳大寺の名四方に高き所以なり。
依って有縁の清衆、現世安穏、後生善處を浄願詣られんことを祈る。
摩利支天 徳大寺
第三十二世 日修 謹識