かの「帰ってきたドラゴン」こと倉田保昭氏が或るインタビューでこのようなことを述べている。
「日本映画はやはり海外の観客に対しては閉じていますね。世界の映画マーケットのリサーチを全然してないでしょう。香港映画は、どういう奴が観ているか、市場調査して作っているから続いているんじゃないですか」
さすが、単身香港に渡り、カンフー映画ブームを支えた倉田氏だ。至言である。
本作を観ると、倉田氏の指摘が的を得ていることが判る。『タイタニック』や『アルマゲドン』が大ヒットした今日なればいざ知らず、10年前の1990年当時に超大作のSFパニック映画など時代遅れで、世界中のどのマーケットも必要としていなかったのだ。
否。世界は疎か日本国内のマーケット調査さえも怠っていたと断言できる。というのも、本作のプロットは大失敗した『さよならジュピター』にそっくりなのだ。大失敗作をもう一度、余計に金をかけて作り直すなど愚の骨頂。ロクなマーケッティングも行わずにホイホイと70億円もの金をドブに棄てた学研とNHKは、企業として破綻しているのではないだろうか?。
結局、本作の我が国での興業収益は14億円に留まり、アメリカでは「アラン・スミシー監督作」としてひっそりと公開されたのみ。製作費がまるで回収されていない「不良債権映画」なのであった。
とにかく、本当につまらない映画である。
これならまだ『さよならジュピター』の方が支離滅裂な分だけ面白い。『さよならジュピター』のつまらなさに驚いた私としては「下には下があるもんだなあ」と感心している次第。
西暦2050年、太陽が異常に膨張し始め、このままでは地球は死の星と化してしまう。正常化の方法は「反物質爆弾」を抱えての特攻があるのみ。そこで人類は、宇宙船ヘリオス号に太陽系の未来を託すのであった。
と、あらすじを書けば面白そうに思われるかも知れないが、物語の比重はむしろ、主な筋とはあまり関係がないチャールトン・ヘストンの孫探しに置かれており、拍子抜けもいいとこだ。
で、『さよならジュピター』の「ジュピター教団」と同じく、人為に基づく宇宙の変革を一切認めない狂信的団体(今回はヒッピーではなく大企業)が登場し、理不尽な妨害工作を行うのであるが、どうして日本人が書くとかくも同じ内容になってしまうのだろうか?。
結局、サスペンスが盛り上がる(実はそれほど盛り上がらない)のはラスト20分になってからだが、その頃には時既に遅し。観客は席を立っているか、熟睡しているかのどちらかである。
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