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世界残酷物語
MONDO CANE

伊 1962年 91分
監督 グァルティエロ・ヤコペッティ
撮影 アントニオ・クリマティ
音楽 リズ・オルトラーニ


 もう20年以上も前のこと、水野晴郎解説の「水曜ロードショー」で『世界残酷物語』のプライムタイムにおける最後の放送(今のところの)があった。放送されたのは『世界残酷物語』『世界女族物語』『続世界残酷物語』の3作を編集した「総集編」で、ナレーションはなんとタモリだった。
 当時のタモリは「密室芸人」として売り出したばかりだったので、まだまだなかなか面白かった。土人登場のシーンでは、今では決して放送できない大ハナモゲラ語大会で、そのシュールな世界に私は爆笑した。
 数日後、読売新聞にこんな投書が載った。

《タモリのナレーションにガッカリ》
 先日放送の『世界残酷物語』は、自然の驚異と人間の愚行を考えさせられる見ごたえのあるものでした。しかし、それをタモリのナレーションが台無しにしてしまいました。このような良質のドキュメンタリーのナレーションの選考には注意していただきたいと思います。(46才・主婦)

 良質のドキュメンタリー?。これがあ?。アホか。これがドキュメンタリーに見えるか?。これはれっきとした劇映画なのだぞ、ボケ。


 実は、正直云って、私も当初はドキュメンタリーだと思っていた。しかし、繰り返し観るうちに、不自然な部分が目立ち始める。
 有名な「ウミガメ」のシーンを例に挙げよう。
 ここはビキニ諸島。産卵のために浜辺へとやってきたウミガメは、水爆実験の影響で方向感覚が冒されて、海ではなく内陸へと足を進めてしまっている。ふと気がつけば眼前は砂漠。ヤコペッティは熱砂の中で息絶える海亀を、その瞬間をクローズアップで映し出す。
 尊い命が失われる瞬間を撮らえた、感動的な映像である。
 しかし、ウミガメはいつの間にか反転してしまっている。周りには反転させるようなものは一つもない。では、何故に反転したのか?。
 ヤコペッティがひっくり返したからである。そうでなければ、説明がつかない。

 このように、ヤコペッティのフィルムは「やらせ」ばかりである。そのような映画を「ドキュメンタリー」と呼ぶことは出来ない。撮りたい映像が予定されていて、それを撮るために事実をねじ曲げた場合、それはもう「劇映画」と呼ぶべきなのである。


 しかし、「やらせ」だと判っていても、我々はヤコペッティの作品に魅了され続けている。美しいからだ。彼が描き出す「悲惨美」は、とにかく圧倒的だ。
 本作の最後を飾る「カーゴ・カルト=飛行機信仰」を例に挙げよう。
 ここはオーストラリアの奥地。飛行場では原住民が金網ごしに飛行機を凝視している。そこでナレーション。
「彼らの信仰では、先祖は空に住んでいることになっている。しかし、或る日、空から乗り物がやってきて、白人の作った飛行場に着陸してしまった。彼らは先祖が送ってくれた恵みの品々を白人が横取りしているのだと信じている。そして、彼らの間にやがて飛行機信仰が始まった。山頂に飛行機の模型を作り、これに誘き寄せられて飛行機が着陸する日を、今日も首を長くして待っている」
 働きもせずに、来る日も来る日も空を見つめる原住民の姿で『世界残酷物語』は終わる。
 感動的なほどに悲惨である。
 ツッコミたいことは山ほどあるが(註1)、それでもこれほどの「悲惨美」を見せてもらうと、素直に「ありがとう」と御礼がしたくなってしまう。

註1 アボリジニの「カーゴ・カルト」は本当だが、村人全員が働きもせずに毎日空を見上げているというのでは干上がってしまう。


関連人物

グァルティエロ・ヤコペッティ(GUALTIERO JACOPETTI)


 

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